概要
共産党の武装闘争を、イギリスが50万人の住民を強制移住させて封じ込めた。この方法が、のちにベトナムでアメリカが真似て失敗する。
場所
クアラルンプール
3.14°N 101.69°E · マレーシア
3.14°N 101.69°E · マレーシア
本文
1948年、マラヤ共産党が武装闘争に入った。 主力は華人で、日本軍と戦ったゲリラの組織がそのまま残っていた。
イギリスはこれを「戦争」ではなく「非常事態」と呼んだ。 戦争にすると、保険が農園の損害を払わなくなるためだった、という説明が当時からある。
対策の中心は、軍事ではなく人の配置だった。 ジャングルの縁で暮らしていた華人50万人を、 柵と灯りと警備のある「新村」へ移した。 食料がゲリラへ流れる道を断つのが狙いになる。
同時に、独立を約束した。 戦っても得られるものが、待てば得られる。
1960年に非常事態が解かれ、マラヤは1957年に独立していた。
この方法は「マラヤの成功」として研究され、 アメリカがベトナムで戦略村として真似た。 そこでは、独立を約束する側がいなかった。