概要
香木を焚いて、その香りを当てる。日本ではこれを「嗅ぐ」ではなく「聞く」と言う。仏前に供える香から始まり、平安の貴族が衣に薫きしめ、室町の東山文化で作法として整った。志野宗信と三条西実隆が二つの流れの祖とされる。数種の香を順に聞き、組み合わせを言い当てる「組香」は、源氏物語の巻名を答えに使う。香木は一度焚けば失われ、同じ木の残りは年々減る。名香には銘が付き、由来が記録され、切り分けられて伝わる。消えるものを、記録によって残した。
場所
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府
本文
**「聞く」**。
(——**香道では、**香りを、嗅ぐ**とは言わない**。
〈**——**「聞香」**(もんこう)。
**——**香を、**聞く**。
**——**そして、**当てることを、**「香を聞き分ける」**と言う**。〉
**——**なぜ、そう言うのか**。
〈**——**確かな由来は、**分かっていない**。
**——**仏典の**「聞」**の用法**(心で受け取る)に、**由来するという説がある**。
**——**そして、**音を聞くように、**注意を向けて、受け取る**ものだ、という理解が、**言葉に残っている**。〉)
**来た道**。
(**(1)**仏教とともに**。
〈**——**六世紀。
**——**香は、**仏前に、供えるもの**として、来た**。
**——**そして、**『日本書紀』**に、**淡路島に、香木が流れ着いた**という記事がある**。
**〈——推古三年(595年)。**
**——島の人が、薪として燃やしたところ、**遠くまで、香った**。**
**——それで、朝廷に、献上した。〉〉**
**(2)**そして、**平安**。
〈**——**「薫物」**(たきもの)。
**——**数種の香を、**練り合わせる**。
**——**そして、**衣に、薫きしめる**。
**〈——「源氏物語」の「梅枝」の巻。**
**——薫物を、**競い合う**場面がある。**
**——調合は、**家ごとの秘伝**であった。〉**
**——**主人公の名に、**「薫」**がある**。
**〈——生まれつき、体から香る、という設定。〉〉**
**(3)さらに、**鎌倉から、室町**。
〈**——**練り合わせるのをやめ、**一種類の木を、そのまま焚く**ようになる**。
**〈——「一木」(いちぼく)。**
**——武家の、**簡素を好む感覚**に、合っていたと言われる。〉**
**——**そして、**東山文化**。
**〈——足利義政のまわりで、**作法として、整えられた**。**
**——同じころに、**茶の湯**と**立花**も、形を得ている。〉〉)**
**二つの流れ**。
(**(1)**志野宗信**。
〈**——**志野流**の祖とされる**。
**——**武家の側**。
**——**作法は、**簡素で、厳しい**。〉
**(2)**そして、**三条西実隆**。
〈**——**御家流**(おいえりゅう)の祖とされる**。
**——**公家の側**。
**——**優美さを、重んじる**。〉
**——**二つは、**いまも、続いている**。
〈**——**そして、**道具の扱いと、**灰の形**が、それぞれ違う**。〉)
**焚き方**。
(——**火に、**直に、当てない**。
〈**(1)**香炉に、**灰を入れる**。
**(2)**そして、**中に、**炭を、埋める**。
**(3)さらに、**灰を、**山の形に、整える**。
**〈——「灰押さえ」で、筋を付ける。**
**——この形が、流派で、違う。〉**
**(4)そして、**頂に、**雲母の薄い板**(銀葉)を置く**。
**(5)さらに、**その上に、**米粒ほどの香木**を、乗せる**。〉
**——**つまり**。
〈**——**焦がすのではなく、**熱で、温める**。
**——**煙は、**ほとんど出ない**。
**——**そして、**香りだけが、立ち上る**。〉)
**組香**。
(——**遊びの形をしている**。
〈**(1)**数種類の香を、**順に、聞く**。
**(2)**そして、**同じものが、**混ざっている**。
**(3)さらに、**どれとどれが同じだったか**を、答える**。
**(4)そして、**答えは、**数ではなく、名前**で書く**。〉
**——**「源氏香」**。
〈**——**五種の香を、**五包ずつ、二十五包**作り、**
**——**そこから、**五包を選んで、焚く**。
**——**同じものの組み合わせは、**五十二通り**ある**。
**——**そして、**その五十二に、**『源氏物語』の巻名**が、一つずつ、当ててある**。
**〈——五十四帖のうち、**最初と最後を除いた、五十二**。**
**——答えは、**五本の縦線を、横線で結んだ図**で、示す。**
**——この図が、**着物と、菓子と、家紋の意匠**として、いまも使われている。〉〉**
**——**つまり**。
〈**——**匂いを当てる遊びが、**文学の記憶**と、**結び付けられている**。
**——**香を聞くには、**物語を、知っていなければならない**。〉)
**消える資源**。
(——**香木は、**作れない**。
〈**(1)**沈香**(じんこう)。
**〈——東南アジアの、ジンチョウゲ科の木。**
**——傷や病に対して、樹脂を溜める。**
**——その部分だけが、香る。**
**——年月が、要る。〉**
**(2)**そして、**伽羅**(きゃら)。
**〈——沈香のうち、**最上のもの**。**
**——いまは、**金より高い**値が付く。〉〉**
**——**そして、**一度焚けば、**その分は、無くなる**。
〈**——**だから、**名香には、**銘が付く**。
**——**由来が、**書き留められる**。
**——**そして、**切り分けられて、**伝わっていく**。〉
**——**「蘭奢待」**(らんじゃたい)。
〈**——**正倉院に伝わる、**長さ一メートルを超える香木**。
**——**名の三文字に、**「東」「大」「寺」**が、隠されている**。
**——**そして、**切り取った跡**が、いくつも、残っている**。
**〈——足利義政。**
**——織田信長。**
**——明治天皇。**
**——それぞれの札が、付けられている。〉**
**——**削り取ることが、**権力を示す行為**になった**。〉)
**残ること**。
(——**匂いは、**残らない**。
〈**——**絵は、残る**。
**——**文字も、**残る**。
**——**そして、**音は、いま、記録できる**。
**——**だが、**匂いは、**その場で消える**。〉
**——**だから**。
〈**——**銘を付け、**由来を書き、**
**——**答えを、**図にして残した**。
**——**香道が、**記録の技術に、これほど寄りかかっている**のは、
**——**扱っているものが、**消えるからである**。〉
**——**そして**。
〈**——**[[incense-road]]**が運んだのは、**同じ種類のもの**である**。
**——**焚けば無くなり、**それでも、**遠くから運ぶ値打ちがあった**。〉)