できごと

香道

Kōdō, the way of incense
AD15世紀末
重要度 3
シベリアの諸集団明チベットオイラト連合ビルマの諸王国アユタヤ朝日本朝鮮王朝大越フィリピン大越カンボジアアイヌモシリラオスPeguAD15世紀末京都
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概要

香木を焚いて、その香りを当てる。日本ではこれを「嗅ぐ」ではなく「聞く」と言う。仏前に供える香から始まり、平安の貴族が衣に薫きしめ、室町の東山文化で作法として整った。志野宗信と三条西実隆が二つの流れの祖とされる。数種の香を順に聞き、組み合わせを言い当てる「組香」は、源氏物語の巻名を答えに使う。香木は一度焚けば失われ、同じ木の残りは年々減る。名香には銘が付き、由来が記録され、切り分けられて伝わる。消えるものを、記録によって残した。

場所

京都
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府

本文

香道では、香りを嗅ぐとは言わない。聞くと言う。香を味わうことを聞香(もんこう)と呼び、いくつかの香を区別して当てることを「聞き分ける」と言う。なぜ聞くと言うのか、確かな由来は分かっていない。仏典で「聞」が心で受け止めるという意味に使われることから来た、という説がある。音に耳を澄ますように、静かに注意を向けて受け取るものだ、という感じ方が、言葉に残っているのだろう。

日本の香は、仏教とともに入ってきた。6世紀、香は仏前に供えるものとして伝わった。『日本書紀』には、推古天皇の3年(595年)、淡路島に大きな香木が流れ着いたという記事がある。島の人が薪にして燃やしたところ、煙が遠くまで香ったので、驚いて朝廷に献上したという。日本の香の歴史の始まりとして、よく引かれる話である。

平安時代の貴族は、香をもっと身近なものにした。何種類もの香料を粉にして蜜などで練り合わせた薫物(たきもの)を焚き、その煙を衣に移した。調合の割合は家ごとの秘伝で、香りはその人の教養と趣味を表した。『源氏物語』の「梅枝」の巻には、娘の入内の準備のために、光源氏が女君たちに薫物を作らせ、その出来を比べる場面がある。物語の後半の主人公の一人は、生まれつき体からよい香りがするという設定で、薫と名づけられている。

『源氏物語』に関わる図版:Genji emaki 01003 002
『源氏物語』Wikimedia Commons Imperial Palace Kyoto · Public domain

鎌倉時代から室町時代にかけて、香の楽しみ方は変わっていく。いくつもの香料を練り合わせるかわりに、一種類の香木を小さく切って、そのまま焚くようになった。これを一木(いちぼく)と呼ぶ。簡素を好む武家の感覚に合っていたとも言われる。南北朝の時代には、佐々木道誉のような婆娑羅(ばさら)と呼ばれる大名が、名香を惜しげもなく焚いてみせた。15世紀の後半、足利義政のまわりに集まった人々の東山文化の中で、香を聞くことは作法として整えられた(銀閣と東山文化)。同じ頃に、茶の湯や立花も形を得ている。

香道の二つの流れは、この時代の人に始まるとされる。一つは志野宗信を祖とする志野流で、武家の側に広まり、作法は簡素で厳しい。もう一つは公家の三条西実隆を祖とする御家流(おいえりゅう)で、優美さを重んじる。二つの流れはいまも続いていて、道具の扱い方や、香炉の灰の形がそれぞれ違う。

平安時代の宮廷で香が重んじられた様子(土佐光起画『源氏物語』、1617〜91年)
平安時代の宮廷で香が重んじられた様子(土佐光起画『源氏物語』、1617〜91年)Wikimedia Commons Tosa Mitsuoki · Public domain

香の焚き方には工夫がある。香木を火に直接当てることはしない。香炉に灰を入れ、その中に火のついた炭団を埋め、灰を山の形に整える。灰の表面には、へらで筋をつけて模様を描く。この模様が流派によって違う。山の頂には、雲母の薄い板である銀葉(ぎんよう)を載せ、その上に米粒ほどに切った香木を置く。香木は焦げずに、下からの熱で温められる。煙はほとんど出ず、香りだけがゆっくり立ちのぼる。客は香炉を手のひらで包むように持ち、静かに香りを聞く。

香道を特徴づけるのが、組香(くみこう)という遊びである。何種類かの香を順に焚いて聞き、その中のどれとどれが同じだったかを答える。答えは数ではなく、決められた名前で書く。最もよく知られるのが源氏香だ。5種類の香を5包ずつ、合わせて25包用意し、そこから5包を選んで順に焚く。5つの香の同じ・違うの組み合わせは52通りあり、その一つ一つに『源氏物語』の巻の名が当てられている。54帖のうち最初の「桐壺」と最後の「夢浮橋」を除いた52である。答えは、5本の縦線を横線でつないだ図で表す。この図は源氏香の図として、着物や和菓子、家紋の意匠にもいまも使われている。匂いを当てる遊びが、文学の記憶と結びつけられたのである。香を聞くには、物語を知っていなければならない。

牡丹文様の香炉、平戸焼、江戸・1800年ごろ
牡丹文様の香炉、平戸焼、江戸・1800年ごろWikimedia Commons Anonymous ( Japan ) Unknown author · Public domain

香木は人の手では作れない。香道で使う沈香(じんこう)は、東南アジアに育つジンチョウゲ科の木が、傷や病気に対して樹脂をためこみ、それが長い年月をかけて変質したものである。樹脂がしみ込んだ部分だけが香り、水に沈むほど重いことからこの名がある。その中でも最上のものが伽羅(きゃら)で、いまは金より高い値が付くこともある。沈香はすべて海を越えて運ばれてきた。乳香の道が運んだ乳香と同じく、焚けば無くなるのに、遠くから運ぶだけの値打ちがあった。

一度焚けば、その分の香木は無くなる。だから名香には銘が付けられ、由来が書き留められ、少しずつ切り分けられて伝わってきた。最も名高いのが、正倉院に伝わる蘭奢待(らんじゃたい)である。長さは1.5メートルほどある大きな沈香で、名の三文字の中に「東」「大」「寺」の字が隠されている。この香木には、切り取った跡がいくつも残っている。足利義政や織田信長、明治天皇が切り取った箇所には、その旨を記した札が付けられている。天下を取った者が蘭奢待を切ることは、権力を示す行いにもなった。信長は1574年、東大寺に命じて蘭奢待を取り寄せさせ、一片を切り取った。その一部は天皇や茶人に贈られたと伝えられる。

正倉院に伝わる10世紀の伽羅、蘭奢待
正倉院に伝わる10世紀の伽羅、蘭奢待Wikimedia Commons Public domain

江戸時代になると、香道は公家や武家だけでなく、裕福な町人のたしなみにもなった。組香の種類は数百に増え、和歌や物語や季節の景色を題材にした遊びが次々に考え出された。香の道具は嫁入り道具の一つにもなり、蒔絵の香道具が数多く作られた。

匂いは、残らない。絵は残り、文字も残り、音もいまは記録できる。だが匂いはその場で消えてしまう。だから香道の人々は、香木に銘を付け、由来を書き、組香の答えを図にして残した。香道がこれほど記録の工夫に頼っているのは、扱っているものが消えていくからである。消えるものを、名と記録によって受け継いできた技芸だと言える。

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