概要
白村江で敗れた天智天皇が、全国の民を戸ごとに登録させた。姓と名と年齢と続柄。これに基づいて口分田を配り、租庸調と兵役を課す。日本で最初の全国的な戸籍とされ、氏姓の根本台帳として永久保存が命じられた(後に焼失)。数えられることは、土地を与えられることであり、同時に税と徴兵の名簿に載ることでもあった。逃亡した者を追う仕組みでもあり、8世紀の戸籍には、実態と合わない女性ばかりの戸が並ぶ(兵役逃れのための偽籍)。
場所
34.47°N 135.82°E · 日本・奈良県
本文
**663年、白村江**。
倭国と百済の遺臣の連合軍が、唐と新羅の水軍に大敗した。
倭国は、朝鮮半島から完全に撤退した。そして、次は本土が攻められるかもしれない、という恐怖が残った。
**防衛**。対馬・壱岐・筑紫に防人と烽(のろし)を置き、水城(大堤防)を築き、大野城など朝鮮式山城を造った。都を近江大津宮へ移した(667年)。
**内政**。国の仕組みを、唐に倣って作り直す。
その根幹が、**人を数えること**だった。
**庚午年籍(こうごねんじゃく)**。
**670年**(天智天皇9年、庚午の年)。
『日本書紀』天智天皇9年2月条。
「戸籍を造り、盗賊と浮浪を断つ」。
記述は、これだけである。しかし、後世の文書に、この籍が繰り返し現れる。
**内容**(後の戸籍から推定される)。
戸ごとに、
- **戸主**の姓名 - 家族の**姓名、年齢、続柄** - 男女の別 - **課役の有無**(税と労役を負担する対象かどうか)
**目的**。
(1)**班田収授**。6歳以上の男女に、口分田を配る(男に2段、女にその3分の2)。6年ごとに、死んだ者の田を回収し、新たに6歳になった者に配り直す。
そのためには、誰が生きていて、何歳かを知らねばならない。
(2)**租庸調**。租は田の稲、庸は労役の代納、調は各地の産物。
(3)**兵役**。正丁(21〜60歳の男子)の3〜4人に1人を兵士に取る。
(4)**逃亡の防止**。「盗賊と浮浪を断つ」。籍に載っている者が、そこにいなければ、追う。
**扱い**。
庚午年籍は、**永久保存**と定められた。
通常の戸籍は6年ごとに作り直され、30年で廃棄される。しかし、この籍だけは違った。
理由は、これが**氏姓の根本台帳**とされたからである。
誰がどの氏に属し、どの姓(カバネ)を持つか。身分の争いが起きたとき、この籍に遡って確かめる。
(実際、8〜9世紀に「自分は本来この姓である」という訴えが起きるたび、庚午年籍が参照された記録がある。)
**現存しない**。
原本は失われた。焼失したとも、散逸したとも言われる。
**残っている戸籍**。
**702年(大宝2年)**の戸籍が、正倉院文書として残っている。御野国(美濃)、筑前国、豊前国、豊後国のもの。
そして、**ここに、奇妙なものが見える**。
**偽籍**。
たとえば、8〜9世紀の戸籍のいくつかで、**女性の数が、男性の数を大きく上回っている**。
阿波国の924年の戸籍では、435人中、男は**59人**、女は376人。
生物学的にありえない。
理由は、単純である。
**男は、税と兵役を負う。女は負わない**(調の一部を除く)。
だから、男が生まれても女として届け、生きている男を死んだことにし、年齢を課役の対象外(21歳未満、あるいは61歳以上)に偽った。
(もう一つの解釈がある。当時、既に班田が実質的に行われなくなっており、戸籍は課役の台帳としてのみ機能していた。だから、田をもらえない以上、正直に届ける理由がない。)
**逃亡**。
籍に載れば、そこに縛られる。だから、人は逃げた。
**浮浪**(本籍地を離れて他所で働く)と**逃亡**(行方をくらます)。
奈良時代を通じて、これは増え続けた。国司は追捕を命じられ、そして追いつけなかった。
**崩壊**。
- 743年、**墾田永年私財法**。開墾した土地を私有にしてよい。班田の原則が、事実上、崩れた。 - 9〜10世紀、班田が行われなくなる。 - 10世紀、**名(みょう)**と呼ばれる耕地の単位に税をかける方式へ移った。人ではなく、土地に課税する。
戸籍は、作られなくなった。
**再び数える**。
- **太閤検地**(1582〜98年)。土地の面積と石高と、**耕作者の名**を確定した。中間の権利を排除し、一つの土地に一人の耕作者を対応させた(一地一作人)。 - **宗門人別改帳**(江戸期)。キリシタンでないことを寺が保証する台帳が、事実上の戸籍と住民票になった。移動には寺の証文が要る。 - **1871年、戸籍法**。翌年の**壬申戸籍**。全国民を「臣民」として登録した。皇族・華族・士族・平民の別、そして被差別の身分の記載を含んだため、現在は閲覧が禁止されている。 - **1920年**、第1回**国勢調査**。
**残ったもの**。
日本の戸籍制度は、いまも続いている。世界的には珍しい(家族単位で、続柄を記載し、婚姻と離婚と養子縁組の履歴が残る)。
1300年前、白村江で負けた国が、唐に倣って始めた仕組みである。