できごと

レッドリスト

IUCN Red List
AD1964年
重要度 4
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このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1964年の版図を描いています(40勢力)。

概要

国際自然保護連合が、絶滅のおそれのある種の一覧を作り始めた。当初は手書きのカードで、著名な大型動物が中心である。1994年、基準が数値で定義された。個体数の減少率、分布の面積、そして絶滅の確率。近絶滅、絶滅危惧、危急、そして野生絶滅と絶滅。判定が個人の印象から手続きに変わった。評価済みの種は十六万を超え、その約三割が危機にあるとされる。そして評価されていない種のほうが、はるかに多い。

場所

ジュネーヴ
46.20°N 6.14°E · スイス(CERN・国際機関)

本文

ある動物が減っている、と誰が、どうやって判断するのか。二十世紀の半ばまで、それはおおむね専門家の印象に頼っていた。そして印象は、争えば水掛け論になる。

野生の生き物が人の手で姿を消していくことは、十九世紀からはっきり目に見えていた。北アメリカの平原を埋めていたバイソンは、十九世紀後半の乱獲で数百頭にまで減り(アメリカバイソンの激減)、空を覆うほどいたリョコウバトは、1914年に動物園の最後の一羽が死んで絶えた(リョコウバトの絶滅)。さかのぼれば、十七世紀にはドードーの絶滅があった。1948年、フランスのフォンテーヌブローで、各国の政府や民間の団体が集まって国際自然保護連合が作られた。国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)がその設立を後押しした。

1964年、この連合は絶滅のおそれのある種の一覧づくりを始めた。数年のうちに刊行された最初の「レッドデータブック」は、差し替えのできるルーズリーフの束で、一種につき一枚のカードに、その種の状況が記されていた。危険を示す赤い色が、一覧の名前の由来になった。編纂を主導した一人が、イギリスの博物学者ピーター・スコットである。南極で遭難死した探検家ロバート・スコットの息子で、鳥類学者であり画家でもあり、世界自然保護基金の象徴であるパンダの図柄を描いたことでも知られる。

最初の一覧に載ったのは、主に哺乳類と鳥類だった。大きくて目立ち、人々に人気のある動物、たとえばトラやゾウ、クジラが中心である。昆虫や菌類、植物は、ほとんど入っていなかった。判定も、専門家がどう見るかに大きく左右された。

決定的な転換は1994年に訪れた。どの区分に入るかの基準が、数値で定められたのである。専門家が危ないと思うから載せるのではなく、決められた条件のどれかを満たすから載せる、という手続きに変わった。現在の基準は五つの物差しからなる。過去十年あるいは三世代のあいだに個体数がどれだけの割合で減ったか。分布している範囲がどれだけ狭く、どれだけ細かく分断されているか。成熟した個体が何頭、何本残っているか。数がきわめて少ない、あるいは生息地がきわめて狭いか。そして数理的な解析によって、一定の年数のうちに絶滅する確率がどれだけあるか。減少の原因がすでに止んでいるかどうかで、線の引き方も変わる。

区分は、絶滅、野生絶滅(飼育下や栽培下にだけ残っているもの)、そして絶滅の危険の高い順に、深刻な危機、危機、危急に分かれる。この三つがいわゆる絶滅危惧種である。その下に準絶滅危惧、低懸念があり、判定する材料が足りないデータ不足という区分もある。同じ基準が世界中で同じように当てはめられるので、地域や生き物の種類が違っても比べることができる。争いが起きるときも、印象の違いではなく、基準の当てはめ方をめぐって争うことになった。

評価された種の数は年々増え、2020年代には十六万種を超えた。そのうち絶滅危惧種にあたるのは四万五千種あまりで、およそ三割にのぼる。割合は生き物の種類によって大きく違い、両生類では四割ほど、造礁サンゴや針葉樹でも三割台、哺乳類では四分の一あまり、鳥類では一割ほどが危機にあるとされる。ただ、名前の付いた生物はおよそ二百万種あり、評価が済んだのはその一割にも満たない。名前すら付いていない種は、その何倍もあると考えられている。

一覧はさまざまな場で使われている。野生生物の国際取引を規制する条約で、どの種を規制の対象にするかを議論するときの材料になり、生物多様性の国際的な目標の達成度を測る物差しにもなっている。多くの国が、自国の一覧をこの基準にならって作っており、日本の環境省の一覧もその一つで、国内の法律で保護する種を指定する根拠になっている。開発の計画を審査するときには、そこに深刻な危機にある種がいるかどうかが、計画を止めることもある。保全の資金も、区分に応じて配られることが多い。

弱点もある。評価されていない種は、存在しないのと同じように扱われやすい。データ不足とされた種は一万を超え、その相当な割合が実は危機にあると推定する研究もある。資源は目立つ大型の動物に偏りがちで、生態系にとって大切でも地味な菌類や土の中の生き物、昆虫は後回しになる。絶滅を宣言することも難しい。何十年見つからなくても、本当にいなくなったとは言い切れない。実際、絶滅したとみられていた生き物が再び見つかる例は少なくない。1938年に南アフリカ沖で生きたまま見つかったシーラカンスは、化石でしか知られていなかった魚である。逆に慎重になりすぎれば、すでにいなくなった種に保全の費用を使い続けることになる。

全体の傾向を示す指数は、下がり続けている。それでも、保全の効果が数字に表れた例もある。ジャイアントパンダは2016年に危機から危急へと一段階引き下げられ、ザトウクジラも数を回復した。野生では一度絶えたモンゴルの野生の馬モウコノウマは、動物園で殖やした個体を草原に放す取り組みによって、野生絶滅から危機の区分にまで戻った。連合は、これらを保全が効いた証拠だとしている。

この膨大な評価の作業は、世界中の数千人の科学者が、多くの場合ほとんど無償で、本業の合間に分担して書き続けることで支えられている。手書きのカードの束から始まった一覧は、地球の生き物の状態を測る、もっとも広く使われる物差しになった。

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