見えない熱
概要
天文学者ウィリアム・ハーシェルは、太陽を観るときの色ガラスによって、目に来る熱さが違うことに気づいた。色ごとに熱の量が違うのではないか。プリズムで日光を虹に分け、その帯の上に温度計を並べていった。紫から赤へ進むほど温度は上がる。そして赤の外側、何も見えないところに置いた温度計が、いちばん高く上がった。光と同じようにふるまい、目には映らず、熱として測れるものがある。のちに赤外線と呼ばれる。目に見えるものだけが世界のすべてではないことを、温度計が示した。
場所
51.51°N -0.59°E · イギリス・イングランド
本文
ウィリアム・ハーシェルは、1738年、ドイツのハノーファーで軍楽隊の楽士の家に生まれた。自分も軍楽隊でオーボエを吹いていたが、七年戦争のさなかの1757年、10代の終わりにイギリスへ渡る。写譜や音楽教師で食いつなぎ、やがて保養地バースの礼拝堂のオルガン奏者になった。音楽で暮らしを立てながら、夜は天文学の本を読み、自分で鏡を磨いて望遠鏡を作った。妹のカロラインが助手を務め、のちに彼女自身も彗星をいくつも見つける天文家になる。
1781年3月、ハーシェルは自作の望遠鏡で、恒星とは違う丸みのある光の点を見つけた。初めは彗星だと報告したが、それは土星の外を回る新しい惑星、天王星だった。古代から知られた惑星の外に、新しい惑星が加わったのは初めてである。翌年、国王ジョージ3世が彼を王付きの天文官に取り立て、音楽家ハーシェルは天文学者として生きることになった。のちにウィンザー城に近いスラウに移り、そこに大きな望遠鏡を据えた。

太陽を観測するとき、ハーシェルには一つ気になることがあった。太陽をそのまま望遠鏡で覗けば目を焼く。だから色の付いたガラスを重ねて光を弱めて覗く。ところが、ガラスの色によって、明るさはほとんど同じでも、目のあたりに感じる熱さがまるで違った。赤いガラスでは熱く、緑のガラスではそれほどでもない。色ごとに運ぶ熱の量が違うのではないか、と彼は考えた。
1800年、彼はスラウの家でそれを確かめた。窓から入れた日光をプリズムに通し、机の上に虹の帯を作る。光をプリズムで色に分けることは、130年あまり前にニュートンのプリズムで示されていた。ハーシェルはその帯の上に温度計を置いていった。球の部分は黒く塗って熱を吸いやすくしてある。比べるために、帯の外の日の当たらないところにも温度計を置き、部屋そのものの温度を測った。紫のところでは温度はあまり上がらない。青、緑、黄と赤の側へ進むにつれ、目盛りは高くなっていった。

ここで彼は、赤のさらに外側、何も見えないところに温度計を置いてみた。帯はそこで終わっていて、目には光が届いていない。ところが、その温度計がいちばん高く上がった。赤の上に置いたときよりも、さらに高かった。目に見える光の帯の外へ、熱を運ぶ何かが続いている。
ハーシェルはこれを「熱を生む線」と呼び、それが光と同じようにふるまうかどうかを次々に確かめた。鏡に当てれば跳ね返るか。ガラスや水を通り抜けるか。レンズで曲がり、焦点を結ぶか。答えはどれも、光と同じだった。彼はこの年のうちに、いくつもの論文にまとめてロンドンの王立協会に報告した。ただ、ハーシェル自身は、この見えない熱の線と光が本当に同じものなのかについて、最後まで迷っていた。いくつかの実験の結果から、両者は別物ではないかと考え直した時期もある。

それでも、この実験が示したことは大きかった。それまで、光は目に見えるもので、熱はそれとは別のものだと考えられていた。ハーシェルの温度計は、光と熱が同じ一本の帯の上に並んでいること、そしてその帯が人の目に見える範囲の外へ続いていることを、同時に示した。
翌1801年、ドイツの物理学者ヨハン・リッターは、帯の反対の端に目を向けた。光に当たると黒くなる塩化銀を塗った紙を並べると、紫のさらに外側で最も速く黒くなった。のちに紫外線と呼ばれるものである。ハーシェルが温度計で熱として捕まえたものを、リッターは化学の変化で捕まえた。見えない帯は、赤の外にも紫の外にも続いていた。

その帯が何であるかが分かるのは、さらに半世紀以上あとである。電磁場の理論によって、光は電気と磁気の波だと示され、赤の外の線も紫の外の線も、波の長さが違うだけの同じ仲間だと理解された。1895年のX線の発見も、その帯のさらに遠い端に見つかったものだった。「赤外線」という呼び名が広く使われるようになるのは、19世紀の終わりごろからである。
熱を持つものはすべて、この見えない線を出している。人の体も、夜の大地も例外ではない。この性質を使って、20世紀には暗闇でも人や車を見分ける暗視の装置や、触れずに体温を測る器械が作られた。天文学者は遠い星や塵の雲の温度を、同じ考え方で測るようになった。
もう一つの道は、空気が熱の線をどれだけ吸うかという問いだった。19世紀の半ば、イギリスのジョン・ティンダルらは、水蒸気や二酸化炭素が熱の線をよく吸い込むことを実験で確かめた。地表から出ていく熱を大気がとどめる、いわゆる温室効果の仕組みである。1896年には、スウェーデンのアレニウスが、大気の二酸化炭素が増えれば地球の気温がどれだけ上がるかを計算している(二酸化炭素と気温の計算)。
人の感覚の外側にも世界は続いている。それを示したのは理屈ではなく、机の上に置いた一本の温度計の目盛りだった。何も無いはずのところに測る道具を置いてみると、目盛りが動くことがある。ハーシェルの実験は、その一番素朴で、一番遠くまで届いた例である。