アルガン・ランプ
概要
油の灯は、二千年、ほとんど変わっていなかった。芯を油に浸し、火をつける。暗く、煤が出る。ジュネーヴ出身のエメ・アルガンは、芯を円筒にして内側にも空気を通し、その上にガラスの筒を立てた。煙突の効果で空気が引き上げられ、炎が完全に燃える。明るさが蝋燭十本分に達し、煤がほとんど出なくなった。夜の読書と、精密な作業と、そして灯台の光が、これで変わった。特許をめぐる争いで、彼自身は報われていない。
場所
48.86°N 2.35°E · フランス
本文
油の灯は、2000年ものあいだ、ほとんど姿を変えなかった。器に油を入れ、そこに芯を浸して火をつける。古代ローマの素焼きのランプと、18世紀のヨーロッパの家で使われていたランプのあいだに、原理の違いはほとんど無い。蝋燭も、獣脂か蜜蝋を芯のまわりに固めただけのものだった。
こうした灯には、いくつも難点があった。まず暗い。ランプ一つの明るさは、蝋燭一本ほどか、それ以下だった。次に煤が出る。平たい紐のような芯では、炎の内側まで空気が届かず、燃料が燃えきらない。燃え残った炭素が黒い煤になって立ちのぼり、天井や壁や本や絵を黒くした。炎はちらちら揺れ、芯の先は燃えて炭になるので、たびたび切りそろえなければならない。芯を切るはさみは、どの家にも欠かせない道具だった。夜に細かい字を読むのは目を痛める仕事で、多くの人は日が沈めば早々に寝た。

この灯を作り変えたのが、エメ・アルガン(1750〜1803年)である。ジュネーヴに生まれ、化学や物理学を学んだ。18世紀の後半は、燃焼についての理解が大きく塗り替えられた時代だった。パリのアントワーヌ・ラヴォアジエらは、ものが燃えるのは空気中のある成分、のちに酸素と呼ばれるものと結びつくことだと明らかにしつつあった。アルガンもその新しい化学に触れていた。燃焼に空気が要るのなら、炎にもっと空気を当てればよい。1780年ごろ、彼はその考えをランプの形にした。
工夫は二つあった。一つは芯を円筒にしたことである。平たい紐ではなく、筒の形の芯を使い、その内側にも空気の通り道を作った。こうすると、炎は外側からも内側からも空気を受ける。もう一つは、炎の上にガラスの筒を立てたことである。筒の中の空気は炎の熱で温められて上へ昇り、そのぶん下から新しい空気が引き込まれる。煙突と同じ働きで、炎には絶えず新しい空気が送り込まれる。割れたガラス瓶をたまたま炎にかざしたら急に明るくなったのがきっかけだ、という逸話も伝わっているが、確かなことは分からない。

効果は劇的だった。明るさは蝋燭の何本分にも達し、10本分ほどとも言われた。燃料が燃えきるので煤はほとんど出ない。ガラスの筒に守られて炎は揺れず、芯が炭になりにくいので、何度も切りそろえる手間もいらなくなった。どれも、炎に空気を多く当てるという一つの工夫から生まれた。
アルガンは1783年ごろにこのランプをパリで披露し、翌1784年にはイギリスで特許を得て、職人と組んで作り始めた。ランプはたちまち評判になった。明るい灯の下では夜も本が読め、時計職人や版画の彫り師のような細かい仕事が夜にもできる。顕微鏡や天体の観測にも明るい灯は助けになった。上流の家の居間や劇場、店先から、アルガン式のランプが広がっていった。

灯台も、このランプで変わった。それまでの灯台の光は、石炭を燃やす火か、多数の蝋燭だった。アルガン式のランプをいくつも並べ、その後ろに放物面の鏡を据えると、光は束になって海の遠くまで届く。18世紀の終わりから、フランスやイギリスの灯台は次々にこの組み合わせに切り替えた。19世紀に入ると、ランプの光をレンズで束ねるフレネル・レンズが加わり、灯台の光はさらに遠くへ届くようになる。
しかし、アルガン本人は報われなかった。フランスでは、薬剤師のアントワーヌ・ケンケが同じ種類のランプを作って売り広め、この型のランプはフランス語で発明者の名ではなく「ケンケ」と呼ばれるようになってしまった。イギリスの特許も、1786年に、先に同じものがあったとして無効にされた。その後はフランス革命の混乱が彼の事業に追い打ちをかけた。1803年、アルガンはジュネーヴで世を去った。晩年は不遇だったと伝えられる。
ランプの改良は、その後も続いた。アルガン式のランプでは、油の入った容器を炎より高いところに置いて芯へ流し込んでいたため、その容器が影を作った。容器を炎のまわりに輪の形に置いて影を小さくしたランプや、時計仕掛けのポンプで油を送るカルセル・ランプ、ばねの力で油を押し上げるランプが、次々に作られた。燃料も変わっていった。はじめは植物の油や鯨油が使われたが、1850年代からは石油から作る灯油が広まった(灯油のランプ)。円筒の芯とガラスの火屋という、アルガンの考えた形は、灯油のランプにもそのまま受け継がれた。
19世紀には、都市の灯りの主役はガスに移り(ガス灯と夜の街)、やがて電灯の時代が来る(エジソンの白熱電球)。それでも、ガス灯が電灯としばらく張り合えたのは、1880年代にオーストリアのカール・アウアー・フォン・ヴェルスバッハが発明したガスマントルのおかげだった。トリウムなどの酸化物をしみ込ませた網を炎の中に置くと、網が白く輝き、炎そのものよりはるかに明るく光る。
燃料と空気をよく混ぜて燃やしきる、という考え方は、いまもあらゆるバーナーの設計の基本になっている。煤の出ない明るい炎は、空気をどう流すかで決まる。アルガンのガラスの筒は、その原理をはじめて目に見える形で示したものだった。夜を人が使える時間へ変えていく長い道のりは、ここから一段と速まったのである。