できごと

押し葉標本

The herbarium
AD1550年頃
重要度 4
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このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1550年頃の版図を描いています(29勢力)。

概要

ボローニャの医学者ルカ・ギーニが、植物を紙の間で乾かし、貼り付けて綴じる方法を広めた。生きた植物は季節と場所に縛られるが、乾いた標本は運べて、何百年も残る。誰かが記した名と、実物とを、後から突き合わせられる。これが分類学の物質的な土台になった。世界の標本庫に、いま推定で三億九千万点以上が収蔵されている。近年は、その葉から古いDNAが読まれ、当時の大気の組成や病原体の痕跡まで調べられるようになった。

場所

ボローニャ
44.49°N 11.34°E · イタリア

本文

押し葉標本の作り方は、きわめて単純である。植物を採り、紙のあいだに挟み、重しを載せて乾かす。湿ったままだと黴びるので、途中で何度も紙を取り替える。数日から数週間で乾いたら台紙に貼り、採った場所と日付と名前を書き添える。それだけのことで、植物は何百年も保つ。

この方法を体系立てて教え、広めたのが、16世紀イタリアの医学者ルカ・ギーニ(1490年頃〜1556年)とされる。イモラ近郊の生まれで、ボローニャ大学で薬草学(当時の言い方では単純薬物学)を教え、1544年にはピサへ移ってそこに植物園を開いた。同じ頃、大学の植物園もパドヴァに作られている。当時の医学では、薬の大半が植物から作られた。ところが、古代の書物に書かれた薬草の名と、目の前の草が同じものかどうかを確かめる手立てが乏しかった。季節が過ぎれば草は枯れ、遠くの土地の草は見ることもできない。

1893年 標本Rock Sea Lavender
1893年 標本Rock Sea LavenderWikimedia Commons C.E. Salmon · Public domain

ギーニが押し葉を発明したとまでは言い切れない。それ以前の例もいくつか指摘されているし、彼自身の標本は残っていない。それでも、彼の教えを受けた弟子たちが、この方法をヨーロッパ各地へ持ち帰った。のちに植物を体系的に分類しようとしたアンドレア・チェザルピーノ、博物学者ウリッセ・アルドロヴァンディ、イギリスの博物学者ウィリアム・ターナーらである。現存する最古級の標本集の一つは、弟子のゲラルド・チボが1530年代から作り始めたもので、ローマのアンジェリカ図書館に残っている。

乾いた標本が決定的だったのは、三つの理由による。まず、運べる。生きた植物はその場所に縛られるが、乾いた標本は手紙に挟んで送れる。遠く離れた学者どうしが、同じ一枚を見ながら議論できるようになった。次に、残る。四百年前の標本が、いまも読める。そしていちばん大事なのが、照合できることである。誰かがある植物にある名前をつけたと書き残したとき、その人が実際に手に取った一本が残っていれば、後の人がそれを見て、名前がどの植物を指していたのかを確かめられる。

1852年 海藻 標本Callophyllis laciniata
1852年 海藻 標本Callophyllis laciniataWikimedia Commons Pierre-Louis Crouan (1798-1871) & Hippolyte-Marie Crouan (1802-1871) · Public domain

この考え方は、のちに「タイプ標本」という仕組みになった。学名は、特定の一つの標本に結びつけられ、その標本がその名の基準になる。言葉で書かれた記述ではなく、物が基準になるのである。18世紀にカール・フォン・リンネが植物の名前の付け方を整えたとき、その土台には、こうして蓄えられた大量の標本と、それを各地でやり取りする学者の網があった。

いま世界には、植物標本を収める標本庫が三千を超えてあり、収蔵点数は推定で三億九千万点を上回る。大きなものでは、パリの国立自然史博物館、ニューヨーク植物園、ロンドン郊外のキュー王立植物園がそれぞれ数百万点から一千万点近くを持つ。日本では東京大学や国立科学博物館などが大きな標本庫を持っている。世界の標本庫には目録があり、それぞれに略号が振られていて、論文には「この標本はどこそこにある」と略号で書く。

近年、標本には採った人の想像もしなかった使い道が次々に見つかっている。数百年前の葉から、DNAが読めるようになった。2013年には、19世紀半ばのアイルランドのジャガイモ飢饉の頃に採られたジャガイモの葉の病斑からDNAが読み取られ、実際に飢饉を引き起こした疫病菌の系統が明らかにされた。葉の裏の気孔の数は大気の二酸化炭素の濃さに応じて変わるので、古い標本から過去の大気が推し量られている。標本についた日付を百年分並べれば、温暖化で花の咲く時期がどれだけ早まったかが分かる。かつてそこに生えていたが、いまは無い植物の記録にもなる。薬草を確かめるために押された葉が、いまは気候と生態の記録として読まれている。

アイルランドのジャガイモ飢饉に関わる図版:Skibbereen by James Mahony, 1847
アイルランドのジャガイモ飢饉Wikimedia Commons James Mahony · Public domain

一方で、標本庫は危うい立場にもある。維持には場所と人手と費用がかかり、写真に撮ってデジタル化したのだから実物は要らないのではないか、という声も出る。2024年には、アメリカのデューク大学が、八十万点を超える大きな標本庫を閉じると発表して、研究者たちを驚かせた。だが写真からは、DNAも気孔も化学成分も取れない。火事も怖い。2018年9月には、リオデジャネイロのブラジル国立博物館が火災に遭い、約二千万点の収蔵品の大部分が失われた。植物標本の多くは別の建物にあって助かったが、昆虫や人類学の資料の多くは焼けた。そうした資料の多くは、二度と集め直せない。採集された場所そのものが、もう無いことが多いからである。

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