藩札
概要
福井藩が発行したものが、確実な記録として最も古い部類とされる。幕府の貨幣は金銀銅の三種で、地方では現物が不足した。藩は領内限りで通用する紙の札を刷り、年貢と引き換えに回収する。財政が苦しければ刷り増す。正貨との交換を渋れば値が下がり、領民が損をする。二百四十以上の藩が発行した。幕府は禁止と黙認を繰り返した。明治になって新政府が引き受け、額面を大幅に切り下げて整理した。国家の統一通貨が無い時代の、地域の通貨である。
場所
35.69°N 139.75°E · 日本・東京都(江戸城=現在の皇居)
本文
江戸幕府の貨幣は、金・銀・銭の三本立てだった。小判や一分金は枚数で数える金貨で、主に東日本で使われた。丁銀や豆板銀は重さを秤で量って使う銀貨で、主に西日本の取引を支えた。日々の小さな買い物には寛永通宝などの銭を使う。三つの貨幣のあいだの交換の相場は日ごとに動き、その差額で両替商が儲けた。後に「三貨制度」と呼ばれる仕組みである。
この仕組みには、地方で現物が足りなくなるという弱みがあった。諸藩は年貢米を大坂や江戸へ運んで売り、金銀に換える。だから貨幣は大都市に集まり、城下や村にはなかなか戻ってこない。とくに小額の銭が不足した。一方で藩の財政は、参勤交代(参勤交代の制度化)の往復や江戸屋敷の維持、幕府から命じられる普請の負担で、ほとんどいつも苦しかった。手元に金銀が無いのに、払わなければならないものは多い。
そこで藩は、領内に限って通用する紙の札を刷った。藩札である。確実な記録として最も古い部類とされるのは、1661年(寛文元年)に越前福井藩が出した銀札だ。それより前、1600年頃から伊勢の山田で「山田羽書」という札が使われていたが、これは藩ではなく、伊勢神宮の御師(おんし)を兼ねる商人たちが出したもので、日本で最も古い紙幣と呼ばれることがある。
理屈の上では、藩札はよくできていた。藩が札を出し、藩の支払いに使う。領民は年貢や運上を札で納めることができる。城下には札場(札所)と呼ばれる交換所を置き、札を持ってくれば銀に換えると約束する。役目を終えた札は回収して焼く。紙は細長い縦長で、木版で刷り、藩の役人の印に加えて、発行を引き受けた豪商の印が押されていることが多い。札元と呼ばれるこの商人の名が、藩の信用の足りない分を補っていた。
崩れるときの筋道も決まっていた。藩が苦しくなると、まず札を刷り増す。次に交換を渋る。札場が「今日は銀が無い」と言って開かなくなれば、札の値は下がり、額面百匁の札が実際には七十匁ほどでしか通らなくなる。損をするのは領民である。藩への払いは額面どおりに求められるのに、買い物では値引きされる。藩が改易されたり、札の信用が完全に失われたりすれば、手元の札は紙屑になった。札の値下がりや交換停止に怒った領民が、札元の商人の家を打ちこわした例もある。
それでも藩札は広がった。確認されているだけで二百四十を超える藩と、十余りの代官所、旗本の領地からも出ている。銀札がいちばん多く、金札や銭札もあった。さらに米札、傘札、昆布札、鰹節札、陶器札など、特定の品物と引き換えることを約束した札があり、これも通貨として回った。額面は極めて細かく、銀一匁より小さい単位の札も刷られた。
幕府の態度は揺れた。1707年(宝永4年)には藩札を全面的に禁じる。乱発で領民が困っていることに加え、幕府が進めていた貨幣の改鋳と干渉することを嫌ったとみられる。ところが享保の改革のさなかの1730年(享保15年)には、条件をつけて再び許した。領地の石高が二十万石以上の藩は二十五年、それに満たない藩は十五年と、期限を切っての許可である。この年は大坂で堂島の米市場が公に認められた年でもあり、幕府が米と貨幣の流れを押さえ直そうとしていた時期にあたる。幕末になると、藩札の発行は事実上野放しになった。

明治の新政府が引き継いだのは、ひどく入り組んだ通貨だった。藩札のほかに、新政府が出した不換紙幣の太政官札や民部省札があり、明治に入っても刷り続けられた藩の札、大量の偽札、外国の銀貨までが混ざって流通していた。1871年の廃藩置県で藩が消えると、新政府は藩札を引き受けることにした。ただし額面どおりではなく、廃藩置県の時点で実際に通用していた相場を藩ごとに調べ、その値で新しい紙幣と引き換えた。藩札の価値が大きく割り引かれていた土地では、領民の損がそのまま確定したことになる。引き換えの作業は明治12年ごろまで続いた。
通貨が一つにまとまるのは、1882年の日本銀行の設立を経て、1885年に銀と交換できる日本銀行券が出てからである。藩札はいま収集の対象になっていて、大黒天や恵比寿、地元の名所を刷り込んだ美しいものが多い。残っている種類は数千とも言われる。
その土地でしか使えない紙のお金という形は、その後も地域通貨として何度も試みられている。そしてそのたびに、藩札と同じ問いに突き当たる。紙切れの価値を、最後に誰が保証するのか。発行する側が苦しくなったとき、その札を持っている人をどう守るのか、という問いである。