『ガリヴァー旅行記』

概要
ダブリンの聖パトリック大聖堂の首席司祭が、匿名で。小人の国(政争と戦争の縮図)、巨人の国(人間の醜さ)、空飛ぶ島ラピュタ(学者の愚かさ。火星の衛星2つを予言した)、馬の国(人間が家畜ヤフー)。子供の本にされて、第4部は削られた。「私は人間という種を憎む」。イギリスとアイルランドへの怒りで書いた。
場所
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド
関わった人(1)
ジョナサン・スウィフトAD1667年11月30日–AD1745年10月19日 · 書いた本文
ジョナサン・スウィフトは1667年、ダブリンでイングランド系の家に生まれた。父は彼の生まれる前に亡くなり、親族の援助でダブリンのトリニティ・カレッジに学んだ。若い頃はイングランドで政治家の秘書を務め、のちにトーリー党の政府のために鋭い論説を書いて名を上げた。だが1714年に政権が替わると望んだ出世の道は閉ざされ、前年に任じられていたダブリンの聖パトリック大聖堂の首席司祭として、半ば追放のようにアイルランドで暮らすことになる。
ロンドンにいた頃、スウィフトは詩人のポープやゲイ、医師のアーバスノットらと、スクリブレラス・クラブという集まりを作り、架空の学者の伝記の形で、当時の衒学や流行をからかう計画を練っていた。その中に、旅行記のパロディの構想もあった。17世紀の終わりから、遠い国々の珍しい風物を伝える航海記がよく読まれ、1719年にはダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』が大評判をとっていた。スウィフトは1720年代の初めから、この形を借りた物語を書き進めた。

1726年、原稿はロンドンの書店主ベンジャミン・モットのもとに、偽名の手紙とともに届けられた。10月28日、『世界の諸僻遠の国への旅行記、四篇、はじめ外科医、のち数隻の船の船長となったレミュエル・ガリヴァー著』が出版される。モットは政府を刺激しそうな箇所を削ったり書き換えたりし、スウィフトを怒らせた。作者の意図に近い本文が出るのは、1735年のダブリンの版からである。
第一篇の舞台は、身の丈15センチほどの小人の国リリパットである。難破して浜に打ち上げられたガリヴァーは、目覚めると無数の細い糸で地面に縛りつけられていた。この国では、綱渡りの上手な者が大臣に選ばれ、靴の踵の高さで党派が分かれ、ゆで卵を太いほうの端から割るか細いほうから割るかで、隣国ブレフスキュと長い戦争を続けている。当時のイングランドの政党の争いや、カトリックとプロテスタントの対立を、小さな人間たちの大真面目な争いとして描いたのである。ガリヴァーは敵の艦隊を引いてきて手柄を立てるが、宮殿の火事を小便で消したことなどを咎められ、目を潰される前に国を逃れる。

第二篇では立場が逆になる。巨人の国ブロブディンナグで、ガリヴァーは見世物にされ、王妃のお気に入りの玩具になる。誇らしげにイングランドの政治や歴史を語って聞かせると、思慮深い王は、お前の同胞の大部分は、自然がこの地上を這うことを許した中で最も有害な小さな害虫の一族だ、と結論する。火薬の作り方を教えようと申し出たときも、王は恐れて退けた。巨人の女性の肌は、近くで見れば毛穴と染みだらけで、人間の美しさも尺度しだいだとガリヴァーは知る。
第三篇は、空に浮かぶ島ラピュタをはじめ、いくつもの国をめぐる。ラピュタの人々は数学と音楽に没頭するあまり、従者に叩いてもらわないと人の話も聞けない。島は下の領土の上に浮かんで日を遮り、反抗すれば押し潰すと脅す。イングランドのアイルランド支配への当てこすりとも読める。地上の学士院では、学者たちがキュウリから日光を取り出す研究や、言葉の代わりに物を持ち歩いて会話する計画に励んでいる。新しい学問の団体(王立協会の設立)や投機の熱狂(南海泡沫事件)を笑ったものである。ラピュタの天文学者が火星の二つの衛星を知っているという一節は、実際に二つの衛星が見つかった1877年よりはるか前に書かれていて、よく話題になる。この篇でガリヴァーは日本にも立ち寄り、江戸で皇帝に会い、長崎から帰国の船に乗る際、踏み絵を免除してもらう。死ねずにただ老い続ける不死の人々ストラルドブラグの話は、永遠の命への憧れを打ち砕く。

最後の第四篇で、ガリヴァーは理性ある馬フウイヌムの国にたどり着く。そこでは、人間とそっくりの姿をした汚らしい獣ヤフーが、馬たちの家畜として飼われている。嘘という言葉すら知らない馬の主人に、ガリヴァーはイングランドの戦争や法律、医者や金のことを説明し、そのたびに人間の愚かさと残酷さが浮かび上がる。やがて自分もヤフーの一人にすぎないと悟ったガリヴァーは、帰国したあとも人間の家族の匂いに耐えられず、馬小屋で馬と語り合って暮らすことになる。
本が出る前年、スウィフトはポープへの手紙で、自分は人間という動物を憎み嫌悪するが、ジョンやピーターやトマスといった一人ひとりは心から愛している、と書いた。この人間嫌いは、彼の暮らすアイルランドの現実と切り離せない。イングランドの政策のもとでアイルランドの人々は貧しさにあえぎ、スウィフトはその不正に対して、アイルランドの側に立って筆をとった。1729年には、貧しい家の子どもを金持ちの食卓に売れば問題は解決する、と真顔で提案する風刺文『穏健なる提案』を書いている。

『ガリヴァー旅行記』は出版からまもなく大評判になり、数週間で1万部が売れたという。やがて、小人の国と巨人の国の話だけを取り出し、毒を抜いた子ども向けの本が数多く作られ、多くの人にとってはそれがこの物語のすべてになった。だが、人間そのものへの容赦ない問いを投げかける第三篇と第四篇こそが、作者の本領だと見る読者も多い。のちに『一九八四年』を書くオーウェルは、スウィフトの政治的な立場には強く異を唱えながらも、この本を、ほかの本がすべて失われても残したい数冊の一つに挙げている。
物語の言葉は、いまも世界に散らばっている。小人の国の名から来たリリパットは「ちっぽけな」という意味の英語になり、卵の割り方の争いからは、コンピューターでデータを並べる順序を表す言葉が生まれた。ヤフーは、人の形をした粗野な獣から、1990年代にはインターネットの会社の名前になった。空飛ぶ島ラピュタは、日本のアニメーション映画の題にも借りられている。