人物

アプレイウス

Apuleius
AD124年頃 – AD170年頃(享年46・推定)
ローマ帝国重要度 3

概要

マダウロスのベルベル人。カルタゴ、アテナイ、ローマ。「哲学者」。オエアで寡婦プデンティラと結婚し、彼女の親族に「魔術で誘った」と訴えられた。『弁明』。歯磨き粉と鏡と魚について弁じた。『黄金の驢馬』『神々について』。プラトン主義者。魔術師と呼ばれた。

所属

ローマ帝国

関わったできごと(1)

アプレイウス『黄金の驢馬』AD170年頃 · 著者

本文

アプレイウスは、124年ごろ、ローマ帝国のアフリカの属州の町マダウロスに生まれた。いまのアルジェリアの東部、チュニジアとの境に近い内陸の町で、かつてのヌミディアの土地にあたる。名はルキウス・アプレイウスと伝えられるが、ルキウスという名は、彼の小説の主人公の名から後世に付けられたものかもしれない。のちに法廷で、自分は半分ヌミディア人、半分ガエトゥリア人だと胸を張って語ったように、彼は北アフリカの土地の人々の血を引くことを隠さなかった。父は町の最高の役職を務めた有力者で、兄弟で分けた遺産は200万セステルティウスに上ったという。

トリーアの古代天井画に描かれた哲学者(アプレイウスかラクタンティウスとされる)
トリーアの古代天井画に描かれた哲学者(アプレイウスかラクタンティウスとされる)Wikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

若いアプレイウスは、属州の都カルタゴで学び、さらにギリシアのアテナイに渡って、哲学、とりわけプラトンの教えを学んだ。宗教にも深い関心を寄せ、ギリシアの各地で、秘密の儀式によって神と結ばれるいくつもの秘儀に入信した。その後ローマに出て、弁論家として法廷に立った。ギリシア語とラテン語を自在に操り、聴く者を酔わせる華やかな演説で名を上げた、いわば当代きっての知識人の一人だった。

150年代の半ば、アプレイウスはエジプトのアレクサンドリアへ向かう旅の途中、北アフリカの港町オエア(いまのリビアの首都トリポリ)で病に倒れた。アテナイで知り合った友人ポンティアヌスの家に身を寄せるうち、ポンティアヌスは、自分の母プデンティラと結婚してくれるよう彼に頼んだ。プデンティラは40歳ほどの裕福な寡婦で、再婚の話がまとまらずにいた。ポンティアヌスは、財産が他家に流れるのを防ぐため、信頼できる友に母を託そうとしたのだという。アプレイウスは、自分より10歳以上年上のプデンティラと結婚した。

4世紀のメダリオンに描かれた、想像によるアプレイウスの肖像
4世紀のメダリオンに描かれた、想像によるアプレイウスの肖像Wikimedia Commons Johann Jakob Bernoulli (1831—1913) · Public domain

ところが、ほどなくポンティアヌスが亡くなると、プデンティラの亡夫の一族は、アプレイウスが魔術で寡婦をたぶらかし、財産を奪おうとしていると訴え出た。魔術は、ローマの法で重い罪になりうるものだった。158年か159年ごろ、近くの町サブラタで、アフリカの属州の総督の前で裁判が開かれた。アプレイウスはこのとき自ら弁明に立ち、その演説を書き直したものが『弁明』として残っている。

告発の中身は、いま読むと滑稽なものが多い。アプレイウスは歯磨きの粉を人に贈り、その効き目をたたえる詩を書いた。告発者たちはそれを怪しげなまじないだと言った。アプレイウスは、口を清潔にすることのどこが悪いのか、と切り返した。鏡を持っていることも、魔術の道具だとされた。彼は、ソクラテスも弟子に鏡で自分を見るよう勧めたと論じ、鏡に像が映る仕組みについての講釈まで始めた。珍しい魚を買い集めたことも責められたが、それは魔術のためではなく、アリストテレスにならって魚の体の作りを調べるためだと答えた。少年が彼の前で倒れたのは呪文のせいだという訴えには、少年はもともと発作を起こす病を持っていたと応じた。そして最後に、40歳の寡婦を妻にするのに、どうして魔術など要るのか、彼女は自ら望んで結婚したのであり、財産のほとんどは彼女の息子たちに残されることになっている、と論じた。判決の記録は残っていないが、彼はその後も公の場で活躍しているので、無罪になったと考えられている。

裁判のあと、アプレイウスはカルタゴに住み、町の人々の前でたびたび演説をした。その抜粋を集めたものが『華の言葉』として伝わる。彼は属州の祭司という名誉ある役にも選ばれ、町は彼をたたえる像を建てたという。哲学の著作としては、ソクラテスが語った心の中の守り神を手がかりに、神々と人の間を結ぶ霊的な存在を論じた『ソクラテスの神について』や、プラトンの教えをまとめた書物を残している。亡くなった年は分からず、170年ごろより後のこととされる。

アプレイウスの名を何より後世に残したのは、11巻の小説『変身物語』、のちに『黄金の驢馬』(アプレイウス『黄金の驢馬』)と呼ばれる作品である。魔術に好奇心を抱いた青年ルキウスが、ギリシアのテッサリアで魔法の薬を塗り間違え、鳥になるつもりがロバになってしまう。ロバのまま盗賊や粉屋や旅芸人の手を転々とし、殴られ、こき使われながら、人々の悪だくみや欲望を見聞きする。そして最後に、女神イシスの恵みでバラの花を食べて人間に戻り、女神の秘儀に入信する。滑稽で下品な話と、神秘の宗教の厳かな場面が同じ一冊に並ぶ、不思議な作品である。ラテン語で書かれた古代の小説のうち、全体が残っているのはこれだけだ。

アプレイウス『黄金の驢馬』に関わる図版:Apuleius1650
アプレイウス『黄金の驢馬』Wikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

物語の途中で、盗賊の洞窟の老婆が語る挿話が、「クピドとプシュケ」の話である。美しい娘プシュケは、姿を見せない夫に愛されるが、その姿を見てはならないという約束を破ってしまい、夫である愛の神クピドを失う。プシュケは女神ウェヌスの課す難題をくぐり抜けて、ついに夫と結ばれる。この話は、ルネサンスの絵画や彫刻に繰り返し描かれ、「美女と野獣」のような、異形の夫と娘の物語の源流の一つとも考えられている。

古代の末には、アプレイウスは魔術師として語られるようになった。同じ北アフリカのマダウロスで学んだアウグスティヌスは、『神の国』の中でアプレイウスの霊の論を批判し、彼が本当にロバになったのか、作り話なのかを話題にしている。キリスト教に反対する人々の中には、アプレイウスの起こした奇跡をキリストの奇跡と並べて論じる者もいたという。中世になると、彼は本当に魔術でロバになった人物として語り伝えられた。14世紀、イタリアのボッカッチョはアプレイウスの写本を自ら書き写して愛読し、『デカメロン』の中にその話を借りている。

『デカメロン』に関わる図版:Boccaccio - Decameron, MCCCCLXXXXII ad di XX de giugno - 3852856 Scan00015
『デカメロン』Wikimedia Commons Boccaccio, Giovanni · Public domain

アフリカの土地に生まれ、ギリシアの哲学を学び、ローマの言葉で書いた。魔術師として訴えられ、自分の言葉で身の潔白を論じた古代の人の弁明が、まるごと残っているのはアプレイウスだけである。法廷で歯磨き粉と鏡と魚について弁じた機知に富んだ知識人は、ロバになった青年の物語とともに、二千年近くのちの読者を楽しませ続けている。

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