概要
五箇条の御誓文の翌日、民衆に向けた高札。儒教の道徳、徒党と強訴の禁止、キリスト教の禁止、外国人への暴行の禁止、脱藩の禁止。新政府の最初の民衆政策は、幕府と同じだった。
場所
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府
本文
慶応4年3月14日、 五箇条の御誓文。 「広く会議を興し、 万機公論に決すべし」。 天皇が、 神々に、 誓った。 翌15日、 五榜の掲示。 民に向けた、 高札。 五枚。
第一札。 「人たるもの五倫の道を正しくすべき事。 鰥寡孤独廃疾の者を憫むべき事。 人を殺し家を焼き財を盗む等の悪業ある間敷事」。 儒教。 第二札。 「何事によらず、 徒党を組み、 強訴し、 村を捨てて逃げることを禁じる」。 一揆の禁止。 第三札。 「切支丹邪宗門の儀は堅く御制禁たり」。 キリスト教の禁止。 「邪宗門」。 幕府の高札と同じ文。 第四札。 「外国人に対して、 暴行を働くな。 条約は、 守る」。 神戸事件の、 あと。 第五札。 「本国を脱走することを禁じる」。 脱藩の禁止。 脱藩した者が作った、 政府が。
第一から第三は、 「永年」の掲示。 第四と第五は、 「覚」。 一時的な。 幕府の高札を、 新政府の名前で、 書き直した。 「王政復古」は、 民の暮らしを、 変えるつもりが、 なかった。 少なくとも、 最初の一年は。
第三札。 長崎の浦上。 1865年、 大浦天主堂で、 信徒が、 プチジャン神父に、 「私たちは、 あなたと同じ心」。 「信徒発見」。 幕府は、 1867年から、 捕えた。 新政府も、 続けた。 「浦上四番崩れ」。 3400人を、 20の藩に、 流した。 「改心」を、 迫った。 600人以上が、 死んだ。 外国が、 抗議した。 岩倉使節団が、 行く先々で、 それを言われた。 1873年2月、 第三札を、 撤去。 「黙認」。 「解禁」とは、 言わなかった。 明治22年の憲法で、 「信教の自由」。 ただし、 「安寧秩序を妨げず、 臣民たるの義務に背かざる限り」。