概要
呉に降って三年仕えた越王勾践が、二十年かけて国を立て直し、呉を滅ぼした。呉王夫差は自害する。薪に臥し胆を嘗めるという言葉が、ここから出た。
場所
蘇州(呉)
31.30°N 120.58°E · 中国・江蘇省
31.30°N 120.58°E · 中国・江蘇省
関わった人(1)
勾践?–BC465年 · 越王本文
BC496年、呉王闔閭は越を攻めて負け、傷がもとで死んだ。 息子の夫差に「越を忘れるな」と言い残した。 夫差は薪の上に寝て、出入りのたびに家臣に 「越が父を殺したことを忘れたか」と言わせた。
BC494年、夫差は越を破り、勾践を会稽山に追い詰めた。 勾践は降り、妻とともに呉に行って夫差の馬を飼った。 三年で許されて帰る。
帰った勾践は、座る所に苦い胆を吊るし、 食事のたびに嘗めて「会稽の恥を忘れたか」と自分に言った。 田を耕し、人口を増やし、美女西施を夫差に贈った。
夫差は中原に出て覇者を争い、国を空けた。 BC482年に勾践が呉の都を襲い、 BC473年に夫差を囲んで、殺した。 夫差は顔を覆って死んだ。地下で伍子胥に会わせる顔がない、と。
范蠡は「勾践は苦労を分かち合えても、楽しみを分かち合える人ではない」と言って去り、 商人になって財を成した。 残った文種は自害を命じられた。