できごと

エピダウロスの劇場

Ancient Theatre of Epidaurus
BC4世紀後半
重要度 3
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このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているBC4世紀後半の版図を描いています(24勢力)。

概要

医神アスクレピオスの聖域に、斜面を削って半円の客席が作られた。一万三千人が座り、いちばん上の段までおよそ六十メートル離れている。それでも舞台の声が聞き取れると、古代から言われてきた。2007年の音響の研究は、石の段が細かい溝の並びのように働き、風や人のざわめきのような低い音を弱め、声の高さの音を通していると論じた。設計者は溝の働きを知らなかったはずである。それでも、届く形が選ばれて残った。拡声の機械が無い時代に、声を遠くへ運ぶ方法は、建物の形しかなかった。

場所

エピダウロス
37.60°N 23.08°E · ギリシア・アルゴリダ

本文

ギリシアの劇場は、建てるのではなく、削って作る。丘の斜面を半円に掘り込み、石の段を同心円に並べて客席にする。いちばん下には円い平地を残す。オルケストラと呼ばれるこの場所で、合唱隊が歌い踊った。その奥に、役者が出入りする建物と、一段高い舞台が置かれる。アテナイのディオニュソス劇場で、アイスキュロスやソフォクレスの悲劇が初めて上演されたのも、こうした斜面の客席だった。

ペロポネソス半島の北東にあるエピダウロスは、医術の神アスクレピオスの聖域として知られていた。病を治したい人々がギリシア各地から集まり、神殿で祈り、聖なる建物で眠って、夢に現れる神のお告げを待った。運動の競技や音楽の競演も開かれる、にぎやかな巡礼地だった。その聖域の一角、丘の斜面に、紀元前4世紀の後半、劇場が作られた。古代の旅行記を書いたパウサニアスは、設計者を小ポリュクレイトスという建築家だと伝えている。

エピダウロス市(ディモス)の行政区域図(2011年)
エピダウロス市(ディモス)の行政区域図(2011年)Wikimedia Commons Pitichinaccio · CC BY 3.0

最初に作られたのは下の34段で、上の20段あまりは紀元前2世紀ごろに足されたとされる。客席の数は1万2千から1万4千ほど。いちばん上の段は、オルケストラの中心から60メートル近く離れている。それでいて、オルケストラで話す声が、いちばん上の段まで聞き取れる。そのことは古代から語られ、パウサニアスもこの劇場を、均整と美しさで比べるもののない劇場だとほめた。

いまも、エピダウロスを訪れた観光客の前で、案内人がオルケストラの中心に立ち、紙を破ったり、硬貨を落としたりしてみせる。客席の上のほうにいる人々にも、その小さな音が届く。毎年夏には古代の悲劇や喜劇がここで上演され、マイクを使わない役者の声が、満員の客席に響く。

エピダウロス遺跡(2010年)
エピダウロス遺跡(2010年)Wikimedia Commons Jean Housen · CC BY 3.0

なぜ、それほどよく聞こえるのか。長いあいだ、さまざまな説明が試みられてきた。客席の傾きが急で、音が遮られずに届くから。半円の形が音を集めるから。背後の山から吹き下ろす風が、声を客席へ運ぶから。役者の仮面の口が、ラッパのように声を大きくしたから。どれも一部は当たっているとしても、決め手にはならなかった。

2007年、ベルギーの研究者たちが、別の説明をアメリカの音響の学会誌に発表した。彼らは、石の段そのものが音にどう働くかを計算した。段が規則正しく並んだ客席は、細かい溝を刻んだ面のように振る舞う。そうした面は、音をただ跳ね返すのではなく、高さによってふるいにかける。風の音や木の葉のそよぎ、観客のざわめきのような低い音は弱められ、人の声の聞き取りに大事な、それより高い音は通りやすい。つまり、声を大きくしているのではなく、邪魔な音を引いている、というのである。人の耳は、欠けた低い音を頭の中で補うので、声は不自然には聞こえない。

ただし、この説明にも異論や限界がある。満席になれば、人の体と衣服が音を吸い、条件は変わる。古代の劇場には舞台の後ろに高い建物が立っていて、それも音を跳ね返していたはずだが、その建物はいまでは失われている。最近の測定では、硬貨を落とす音や紙を破る音はたしかに届くが、ふつうの話し声は上の段では聞き取りにくい、という結果も出ている。伝説には、いくらか誇張も混じっているらしい。

古代の建築家は、溝の面が音をふるいにかけることを知っていたのだろうか。おそらく知らなかった。そうした考えは20世紀の物理学のものである。それでも、こうした形が選ばれた理由は想像できる。座りやすい高さで段を作る。前の人の頭が邪魔にならないよう、傾きを付ける。そして、よく聞こえない劇場は使われなくなり、よく聞こえた劇場の形がまねられていく。理屈が先にあったのではなく、残ったものが、のちに理屈に合っていると分かった。

紀元前1世紀のローマの建築家ウィトルウィウスは、劇場の客席の下に青銅の壺を並べて埋め、声を響かせるよう勧めている。ギリシアの劇場にはそれが置かれていた、と彼は書くが、実際に壺が見つかった古代の劇場はほとんど無い。古代の人々もまた、声を遠くへ届ける方法を、手探りで考え続けていた。

拡声の機械が無い時代、声の届く範囲が、一度に集まれる人の数を決めていた。一人の肉声で、1万人。それがおおよそ古代の上限だった。演説も、裁判も、祭りも、その範囲で行われた。この上限を動かすのに、二千年以上かかった。20世紀の初め、電気で空気を押して声を大きくする機械(拡声器)が現れ、十万人が一人の声を聞くことができるようになった。劇場の形が要らなくなったのではない。聞かせたい人数が、劇場に収まらなくなったのである。

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