電気洗濯機
概要
洗濯は、家事の中で最も重い労働だった。水を汲み、湯を沸かし、灰汁で煮て、板でこすり、絞り、干す。一家族の一週間分に丸一日かかった。1908年、シカゴのアルヴァ・フィッシャーが、電動機で回す洗濯桶「トール」を売り出した。1920年代にアメリカの家庭に普及し、1950年代に日本へ。歴史家ルース・シュウォーツ・コーワンは、家電が普及しても主婦の家事時間はほとんど減らなかったと指摘した。基準が上がり、外注していた仕事が家に戻ったからである。
場所
41.88°N -87.63°E · アメリカ・イリノイ州
本文
19世紀の家庭で、洗濯はいちばん重い家事だった。まず水を汲む。井戸か共同の水道栓から、一回の洗濯に二百リットル前後をバケツで運ぶ。薪や石炭で大釜の湯を沸かし、木灰から取った灰汁や手作りの石鹸で白い布を一時間以上煮る。洗濯板の上でこすり、あるいは木の棒で叩く。すすぐたびに水を替え、そのたびにまた汲む。手で捻って絞り、のちにはローラー式の絞り器(マングル)を回して絞る。干して乾いたら、火で熱した鉄の塊でアイロンをかけ、冷めればまた熱する。
一家族の一週間分を片づけるのに、丸一日から二日かかった。だから多くの家では週に一度、決まった曜日に洗濯をした。英語圏では月曜日が多い。熱湯、水を吸って十キロを超えるシーツ、腰を曲げたままの姿勢、灰汁で荒れる手。裕福な家は洗濯女を雇うか、外へ出した。19世紀のヨーロッパの都市で、洗濯女は女性の職業の中でも人数の多いものの一つだった。パリではセーヌ川に浮かぶ洗濯船で何百人もが働き、エミール・ゾラの『居酒屋』(1877年)の主人公ジェルヴェーズも洗濯女である。イギリスでは1846年の法律で、公営の浴場と洗濯場が町に作られた(公衆浴場と洗濯場)。
機械にする試みは古い。1767年にはドイツのヤーコプ・クリスティアン・シェッファーが手回しの洗濯桶を考案している。1797年にはアメリカのナサニエル・ブリッグズが洗濯機で特許を取ったが、その中身は1836年の特許庁の火災で焼けて分からない。その後も回転する桶や揺り動かす桶の特許が次々に出され、1874年にはインディアナ州のウィリアム・ブラックストーンが妻の誕生日の贈り物に家庭用の洗濯機を作り、これが商品になったと伝えられる。ただし、どれも人がクランクを回す機械である。労力は減ったが、無くなりはしなかった。
1908年、シカゴのハーレー・マシン社が「トール」という名の洗濯機を売り出した。技師アルヴァ・J・フィッシャーの設計で、電動機が亜鉛めっきの桶を回す。世界で最初の電気洗濯機と呼ばれることが多いが、同じ頃にほかの会社も電動の機械を出しており、厳密な「最初」を決めるのは難しい。初期の機械は危なかった。電動機は桶の下にむき出しで据えられ、水がかかれば感電や火事になる。電動の絞りローラーに手や髪が巻き込まれる事故も多かった。
改良は1920年代から30年代にかけて進んだ。1911年には、のちのワールプールとなるアップトン・マシン社が事業を始めている。1922年にはメイタグが、桶の底の羽根で水流を起こして洗う型の機械を売り出し、大きく売れた。1937年にはベンディックスが、洗い・すすぎ・脱水を人の手を借りずに続けて行う全自動機を発売する。とはいえ、洗濯機の普及は電気の普及と一体だった。1930年代半ばまで、アメリカの農家の九割近くには電気が来ていなかった。電気洗濯機は、まず都市の電化された住宅に入り、農村には1935年に始まる農村電化の事業のあとで届いた。
日本では、1930年に芝浦製作所(のちの東芝)が国産第1号を出した。値段は370円で、当時の大卒の初任給の数か月分にあたり、ほとんど売れなかった。流れが変わるのは戦後である。1953年に三洋電機が、羽根で水を噴き上げるように回す噴流式の小型機を2万8500円で発売し、ほかの会社も続いた。洗濯機は白黒テレビ・冷蔵庫と並んで三種の神器と呼ばれ、1960年には4割ほどの家庭にあったのが、1970年には9割前後に達した。同じ頃に普及した自動で炊ける電気釜とともに、主婦の朝と週末の過ごし方を変えたとされる。
それまでの日本の洗濯は、たらいと洗濯板の仕事だった。井戸端や流しにしゃがみ込み、冬は冷たい水に手を浸して、固形石鹸をこすりつける。初期の電気洗濯機は洗うところまでで、脱水はローラーの絞り器を手で回した。やがて洗う槽と脱水する槽を並べた二槽式が広まり、洗濯物を手で移し替えるだけで済むようになる。水を入れてから脱水までを一つの槽で続けて行う全自動機は1960年代から作られていたが、家庭の主流になるのはずっと後のことだ。いまはさらに、乾燥までを一台でこなす機械も珍しくない。
では、洗濯機は家事を楽にしたのか。歴史家ルース・シュウォーツ・コーワンは、1983年の著書『母さんにはもっと仕事を(More Work for Mother)』で、意外な答えを出した。アメリカの専業主婦の家事時間は、家電が行き渡った後もほとんど減っていない。理由の一つは、基準が上がったことである。洗濯が楽になると服を洗う回数が増え、かつて週に一度替えればよかったシャツやシーツが、もっと頻繁に洗われるようになった。もう一つは、外に出していた仕事が家に戻ったことである。19世紀の中産階級の家は洗濯女や家政婦を雇っていたが、ほかの仕事の賃金が上がると使用人は来なくなり、その仕事が主婦一人に集まった。自動車が普及すると、買い物や子どもの送り迎えも主婦の仕事になった。家電は家事の中身を変えたが、量はあまり変えず、家事を一人きりの仕事にした、というのがコーワンの見立てである。井戸端や洗濯場や洗濯船のように、女性たちが集まって働く場所も消えた。
その後の研究は、もう少し入り組んだ姿を描いている。使用人の分も含めて世帯全体で数えれば、家事にかかる時間は20世紀後半に減っている。女性が家の外で働くようになると、家事時間は目に見えて縮んだ。統計学者ハンス・ロスリングは2010年の講演で、洗濯機こそ女性に本を読む時間を与えた機械だと語った。彼の母は、家に洗濯機が来た日、その前に座って回るのを眺め続け、空いた時間で息子に本を読み聞かせたという。この議論は、家事を値段のある労働として数え直そうとする動き(家事労働に賃金を、無償労働を数える)にもつながっていく。
いまも世界の人口の半分ほどは、手で洗濯をしていると言われる。そして洗濯機のある家でも、干して、畳んで、しまうところは、ほとんどの家でまだ人の手に残っている。