できごと

エドモンソン式乗車券

Edmondson railway ticket
AD1837年
重要度 3
ロシア帝国大英帝国デンマークオスマン帝国ポルトガル帝国スウェーデン=ノルウェースペイン帝国オーストリア帝国エジプトスペインフランスモロッコAlgiersグレートブリテン及びアイルランド連合王国プロイセン両シチリア王国バイエルンTunisサルデーニャ王国TripolitaniaハノーファーCyrenaicaAD1837年ミルトン駅(ブランプトン)(位置は特定されていない)
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1837年の版図を描いています(22勢力)。

概要

初期の鉄道は、駅馬車の流儀で、乗客ごとに係が名前と行き先を手で書いた券を渡していた。混む駅では窓口に列ができ、売上をごまかされても分からない。ニューカースル・アンド・カーライル鉄道のミルトン駅の駅長トマス・エドモンソンは、行き先を刷り込み、一枚ずつ通し番号を打った厚紙の小さな券を作り、売るときに日付だけを機械で押すようにした。券を渡すのは一瞬で済み、売れ残りの番号を見れば売上が合う。この大きさの券は世界中に広まり、日本の近距離の切符はいまもほぼこの寸法で作られている。

場所

ミルトン駅(ブランプトン)位置は特定されていない(誤差 ±km)
54.94°N -2.73°E · イギリス・カンブリア

本文

最初の鉄道は、切符の売り方を駅馬車から借りてきた。乗客が窓口に来ると、係が名前と行き先と運賃を紙に書いて渡し、同じことを控えの帳面にも写す。駅馬車なら、それで足りた。一台に乗るのは十人前後で、一日に出るのは数本である。鉄道の開業から十年あまり、イギリスの各地に鉄道が延び始めた1830年代、汽車は一本に何十人、何百人と客を乗せるようになった。発車の前に窓口に列ができ、係が書いているうちに汽車が出てしまう。

もう一つ、表には出にくい問題があった。係が運賃を受け取って券を書かなかったら、あるいは書いた額と受け取った額が違ったら、誰にも分からない。手書きの券と帳面では、売上をごまかされても確かめようがなかった。

エドモンソン式乗車券の例
エドモンソン式乗車券の例Wikimedia Commons Taiga.sato · CC BY 4.0

トマス・エドモンソン(1792〜1851年)は、イングランド北西部のランカスターで、クエーカー教徒の家に生まれた。家具職人として修業し、自分で商売を始めたがうまくいかず、職を探していた。1836年、イングランドの北部を東西に横切るニューカースル・アンド・カーライル鉄道に雇われ、ほどなくカーライルに近い小さな駅、ミルトン駅(のちのブランプトン駅)の駅長になった。

エドモンソンが考えたのは、書く手間を前もって済ませておくことだった。券は厚紙の小さな札にする。小さければ、行き先ごとに縦に束ねて棚に並べておける。そこに行き先と運賃をあらかじめ刷り込み、一枚ずつ通し番号を振っておく。売るときには、日付だけを専用の器械で押せばよい。1837年ごろから、この券を使い始めたとされる。初めは番号も手で書き入れていたが、のちに番号を順に刷っていく機械や、日付を打つ押印器も自分で作った。家具職人の手先の器用さが生きた。

LMS鉄道、ソルトレーからバーミンガム・ニューストリートまでの3等往復割引乗車券
LMS鉄道、ソルトレーからバーミンガム・ニューストリートまでの3等往復割引乗車券Wikimedia Commons London, Midland and Scottish Railway · Public domain

窓口の仕事は一変した。棚から行き先の束を取り、一枚抜いて日付を押し、金を受け取る。数秒で終わる。そして夜、束に残っている一番上の券の番号を見る。朝の番号から引けば、その日に何枚売れたかが分かり、それに運賃を掛ければ売上が決まる。箱の中の金と合わなければ、誰かが抜いている。乗客を待たせないことと、係を信用しなくても帳尻が合うことが、同じ一枚の厚紙で片づいたのである。

エドモンソンの仕組みは、近くの鉄道の目に留まった。彼はまもなくマンチェスター・アンド・リーズ鉄道に移り、券と器械の仕組みに特許を取って、各地の鉄道会社に使用料を取って広めた。料金は路線の長さに応じて年ごとに払う決まりで、彼はこれで財を成したと伝えられる。

Jizdenka lepenkova
Wikimedia Commons Public domain

1842年には、イギリスの鉄道会社どうしの精算を受け持つ「鉄道清算所」ができた。当時のイギリスの鉄道は会社ごとに別々で、乗客が会社をまたいで乗れば、運賃を会社どうしで分け合わなければならない。そのためには、どの駅でどの行き先の券が何枚売れたかを、同じやり方で数えられることが前提になる。通し番号の付いた同じ形の券は、その土台になった。

券の大きさは、ほぼ一つにそろっていった。縦およそ三センチ、横およそ六センチの厚紙である。この形の券は、イギリスから世界中の鉄道に広まった。明治の日本の鉄道(新橋・横浜間の鉄道)も、イギリスからこの形を持ち込んだ。硬い厚紙の切符は「硬券」と呼ばれ、改札では駅員が鋏を入れて穴をあけた。

Edmonson Train Ticket 2009 Siofok
Wikimedia Commons Mauritsvink · Public domain

イギリスでは、券を窓口の機械で一枚ずつ印刷する方式が広まり、エドモンソン式の券は1980年代の終わりから90年ごろにかけて国の鉄道から姿を消した。日本では、形が残った。券売機が裏に磁気を塗った薄い紙の切符を出すようになっても、近距離の切符の大きさは、ほぼエドモンソンの寸法のままである。自動改札機が、この大きさを前提に作られているからだ。百八十年あまり前にイングランドの小さな駅で決まった寸法が、いまも毎朝、改札機の中を流れている。

待たされる理由は、客の数ではなく、窓口の中の一人ぶんの手間にあった。エドモンソンは窓口を増やさなかった。一人ぶんの手間を、客のいない時間に移したのである。刷るのは前の晩でよい。窓口では、確かめて渡すだけにする。同じ考え方は、百年あまりのちに、乗る前に座席をあらかじめ決めておく航空会社の予約の仕組み(座席予約システム)にも現れる。

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