できごと

オーデコロン

Eau de Cologne
AD1709年
重要度 3
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概要

イタリア出身の商人ジョヴァンニ・マリア・ファリーナが、ケルンで売り始めた香水。柑橘の精油をアルコールに溶かした、軽く澄んだ香りで、それまでの重い動物性の香料とは違った。彼は兄への手紙に、雨の後のイタリアの朝を思い出させると書いている。地名がそのまま商品名になり、模倣品が溢れ、「ケルンの水」は普通名詞になった。強い香りで臭いを覆う段階から、清潔さそのものを香りで示す段階へ。体を洗う習慣が広まる前に、香りのほうが先に、その役を引き受けた。

場所

ケルン
50.94°N 6.96°E · ドイツ

本文

ライン川沿いの古い都市ケルンに、18世紀の初め、北イタリアから来た一家が店を構えていた。ファリーナ家である。故郷はアルプスの南、ピエモンテの山あいの村サンタ・マリア・マッジョーレで、この谷の男たちは古くからアルプスを越えて、北の国々で香料や絹やレースを商っていた。ジョヴァンニ・マリア・ファリーナ(1685〜1766年)も、ケルンにいた兄の商いに加わり、1709年に自分の店を開いた。そして自ら調合した香りの水を売り出した。名前は生まれた土地ではなく、売った土地から取られた。「ケルンの水」、フランス語でオーデコロンである。

ファリーナは兄に宛てた手紙で、この香りは雨上がりのイタリアの春の朝、山の水仙とオレンジの花を思い出させる、と書いたと伝えられる。この手紙の文面は、いまも続くファリーナの会社が伝えているもので、原本をどこまで確かめられるかには限りがある。それでも、香りの性格をよく言い表している。

オーデコロン
オーデコロンWikimedia Commons FARINA GEGENUEBER ( Farina-Archiv ) · Public domain

何が新しかったのか。それまでヨーロッパの宮廷で好まれた香りは、重く濃いものだった。麝香鹿からとる麝香、ジャコウネコの分泌物、マッコウクジラの腸にできる竜涎香といった動物由来の香料を使い、強く、長く残る。南フランスのグラース(グラースと香水)の花の香料と組み合わされることも多かった。その役目の一つは、体の臭いを覆い隠すことだった。

ファリーナの香りは軽かった。ベルガモットやレモン、ビターオレンジといった柑橘の皮から絞った油を中心に、ラベンダーやオレンジの花の香りを加え、それを純度の高いアルコールに溶かした。香りはすぐに飛び、長くは残らない。だが、何度でも付け直せる。重い匂いで臭いを覆うのではなく、すがすがしい香りをまとうことで、清らかさそのものを示す。香りの使い方が、ここで変わった。

オーデコロン「4711」のモニュメント
オーデコロン「4711」のモニュメントWikimedia Commons Toyah · Public domain

その背景には、当時の人々の清潔についての考え方がある。16世紀から18世紀のヨーロッパでは、湯に体を浸すことはむしろ避けられていた。湯は肌の穴を開き、そこから疫病をもたらす悪い空気が入り込む、と考えられていたからである。中世の町々にあった公衆浴場は、梅毒やペストを広めるとして次々に閉じられた。人々は体を布で拭い、白い麻の下着をこまめに替えた。白い肌着が汚れを吸い取ると信じられ、清潔さは目に見える白さで示された。そして最後に、香りで仕上げた。体を洗う習慣が広まる前に、香りのほうが先に清潔のしるしの役目を引き受けたのである。

19世紀になると、この関係が逆転する。水と石鹸で体を洗うことが、衛生の中心になった。南フランスの石鹸(マルセイユ石鹸の勅令)のような品が大量に作られ、広告で売られるようになる(石鹸と広告)。香水は清潔の代わりではなく、洗って清潔になった体の上に重ねるものになった。

ロシア製オーデコロン「トロイノイ」
ロシア製オーデコロン「トロイノイ」Wikimedia Commons Flying Saucer · CC0

ファリーナの香りはよく売れ、ヨーロッパ各地の宮廷へ届けられた。ナポレオン・ボナパルトがこれを大量に使い、遠征にも持っていったという話がよく語られる。売れれば、まねる者が現れる。ケルンには「ファリーナ」を名乗る店が次々に生まれ、同じ姓の人を名目だけの共同経営者に雇って、その名を使う手口まであった。本家はこうした相手と数えきれないほどの訴訟を争った。

別の系統の名前も生まれた。革命期のフランス軍がケルンを占領したとき、町の家々に通し番号が振られた。グロッケンガッセ通りの4711番地で香りの水を作っていた商人の店は、その番地をそのまま商品の名にした。「4711」の名のコロンは、いまも売られている。

コティ社のオーデコロン「コルドンルージュ」の瓶
コティ社のオーデコロン「コルドンルージュ」の瓶Wikimedia Commons Alf van Beem · Public domain

やがて「オーデコロン」という言葉は、ケルンという町の名を離れ、香りの種類を表すふつうの言葉になった。いまでは香料の濃さで香水を分け、濃い順にパルファン、オードパルファン、オードトワレ、そして最も軽いものをオーデコロンと呼ぶ。一つの店の商品名が、分類の名前になったのである。土地の名を守ることの難しさを示す例でもある。

ファリーナの店は、いまもケルンにある。同じ一族が八代にわたって受け継ぎ、世界で最も古い香水の製造元だと名乗っている。この香りの水が示したのは、匂いの使い方の転換だった。強い匂いで強い臭いを消すのではなく、ほとんど何も匂わないことに近い、軽い香りをまとう。その方向をさらに進めると、臭いそのものを消すための商品が生まれ、やがて体臭が恥ずかしいものとして売られる時代が来る(体臭を売る)。

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