概要
大坂には諸藩の蔵屋敷が100以上あり、年貢米が集まった。米切手(米の引換券)が売買され、やがて、現物の受け渡しをせず、期日の値段の差額だけを決済する取引が生まれた。1730年、幕府が公認した。帳合米商い。世界で最初の、組織された先物市場とされる。値段は飛脚と旗振り信号で全国へ伝えられ、江戸まで数時間で届いた。相場の記録から、ローソク足の図が生まれた。
場所
34.70°N 135.49°E · 大阪府
本文
大坂。「天下の台所」。諸藩が、年貢米を売って金に換えるために、蔵屋敷を置いた。18世紀の半ばで、100以上。米だけでなく、諸国の産物(砂糖、蝋、紙、藍、木材)も集まった。
年貢米は、藩の蔵屋敷に運ばれ、蔵元(管理する商人)と掛屋(金を扱う商人)を通して、入札で売られた。買った商人は「米切手」を受け取る。これは、いつでも蔵から米を引き取れる証券。
米切手が、そのまま売買されるようになった。実際に米を引き取らずに、切手を転売する。値段は、天候と、諸国の作柄と、江戸の需要で動く。
さらに、将来のある時点の値段を、いま決めて、取引する形が生まれた。期日に、現物を渡さず、その時の相場との差額だけを金でやりとりする。「帳合米(ちょうあいまい)商い」。
淀屋橋の米市(淀屋の店先で始まった。淀屋は1705年、闕所=財産没収になった)から、堂島へ移った。
1730年(享保15年)、8代将軍吉宗が、堂島の米会所を公認した。
仕組み。(1)正米(しょうまい)商い——米切手の現物取引。(2)帳合米商い——先物。1枚の契約は米100石。取引は3期(春・夏・冬)に分けられ、各期の最終日に、全部の建玉が清算される。差金決済。(3)取引の期間中、証拠金(敷銀)を積む。(4)仲買人は登録制(1300人ほど)。(5)値段の記録が公表される。
これが、世界で最初の、組織された先物取引所とされる(シカゴ商品取引所は1848年、118年後)。
値段の伝達。堂島で決まった値段を、全国へ知らせる必要があった。飛脚(早飛脚で江戸まで3日)。そして「旗振り通信」——山の上に人が立ち、大きな旗を決められた形に振って、次の山へ伝える。中継所を置いて、堂島から京まで4分、大坂から広島まで27分、江戸まで数時間で伝わった、と記録がある。無断で行うと処罰された(相場の情報が金になるので)。
チャート。相場の記録から、一定期間の始値・高値・安値・終値を、一本の図形で表す方法が生まれた。「ローソク足」。本間宗久(出羽酒田の米商。1724〜1803年)が体系化したと言われる(「酒田五法」。ただし、彼の著作とされるものの多くは後世の仮託)。この図法は、20世紀の後半に欧米に紹介されて、いま世界中の金融市場で使われている。
米は、武士の給料であり、税であり、そして投機の対象だった。武士は米を金に換えなければ生活できず、その換算率(米価)が商人の相場で決まった。吉宗が「米将軍」と呼ばれ、米価の調整に悩み続けたのは、そのため。
1869年、明治政府が一度、廃止した。1876年、再開。1939年、戦時の統制で消えた。堂島に、いま、記念碑がある。