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Person / 人

フリードリヒ・シラー

Friedrich Schiller
AD1759年11月10日 – AD1805年5月9日(享年45)
ドイツ重要度 5

概要

ヴュルテンベルクの軍医の子。公爵の軍学校に13歳から8年、強制。『群盗』。逃亡。マンハイム、ライプツィヒ、ドレスデン。『歓喜に寄す』(1785年)。イェーナ大学の歴史の教授(1789年、『三十年戦争史』)。カント。『美的教育書簡』。1794年、ゲーテと。10年の友情、手紙1000通、ヴァイマル。『ヴァレンシュタイン』『マリア・ステュアルト』『オルレアンの乙女』『ヴィルヘルム・テル』(1804年)。結核。45歳。「自由」の詩人。ベートーヴェンの第9。

関わったできごと(1)

シラー『群盗』初演AD1782年1月13日 · 書いた

本文

1759年11月10日、ヴュルテンベルクのマールバッハ。ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・シラー。父ヨハン・カスパルは公爵の軍医で士官、後に「孤児院」(カール学院の前身)の庭園監督。母エリザベート・ドロテア。姉クリストフィーネ。ルートヴィヒスブルクのラテン語学校。牧師になるつもりだった。1773年1月、カール・オイゲン公が、13歳の彼を、カール学院に入れた(父は断れなかった)。8年。

『群盗』(1781年)、1782年1月、初演、9月、逃亡。1783年、マンハイム。『ジェノヴァのフィエスコの反乱』(1783年)、『たくらみと恋』(1784年。市民悲劇。宰相の息子と音楽家の娘。「大臣の妻の代わりに、私は死ぬ」)。1784年、劇場の契約が切れた。借金。シャルロッテ・フォン・カルプ(人妻)。1785年4月、ライプツィヒ。ケルナー(法律家)が助けた。ゴーリス。「歓喜に寄す(An die Freude)」。「歓喜よ、神々の美しい火花よ、/エリュシオンの娘よ、/我々は火に酔って、/天の者よ、汝の聖所に入る。/汝の魔法は再び結ぶ、/時流が厳しく分けたものを。/全ての人が兄弟になる、/汝の柔らかな翼が留まる所で」。ドレスデン。『ドン・カルロス』(1787年。「思想の自由を与えてください、陛下」。ポーザ侯爵)。

1787年、ヴァイマル。ゲーテはイタリアにいた。ヘルダー、ヴィーラント。歴史。『オランダ独立史』(1788年)。1789年5月、イェーナ大学の歴史の員外教授(無給)。就任講義「世界史とは何か、何のために学ぶか」に400人。『三十年戦争史』(1790〜92年)。1790年、シャルロッテ・フォン・レンゲフェルトと結婚。1791年、肺の病気(結核。生涯、発作)。デンマークの皇太子とシンメルマン伯が3年の年金を贈った(「シラーを死なせるな」)。カントを読んだ。『優美と尊厳について』(1793年)、『美的教育書簡』(1795年。「人間は遊ぶときだけ、完全に人間である」。フランス革命の恐怖政治を見て、政治の自由の前に、美による教育を)、『素朴文学と情感文学について』(1795〜96年。ゲーテは素朴(自然)、自分は情感(反省))。『ホーレン』誌(1795〜97年)。

1794年7月、イェーナの自然研究会の帰り道、ゲーテと。ゲーテが「原植物」を紙に描き、シラーが「それは経験ではない、理念だ」。「私の理念が、目に見えるのは、うれしい」。手紙(1000通以上。「私が生きているのは、あなたのおかげだ」)、『クセーニエン』(1796年、共同の風刺の二行詩)、バラード(1797年。「潜水夫」「手袋」「イビュコスの鶴」「人質」。ゲーテは「魔法使いの弟子」「コリントの花嫁」)、『鐘の歌』(1799年)、ヴァイマルの劇場。1799年、ヴァイマルに引っ越した。『ヴァレンシュタイン』(三部作、1798〜99年)、『マリア・ステュアルト』(1800年)、『オルレアンの乙女』(1801年)、『メッシーナの花嫁』(1803年)、『ヴィルヘルム・テル』(1804年。「我々は自由な民でありたい、/父祖の兄弟のように、/死に至るまで、/奴隷として生きるより」)。『デメトリウス』(未完)。1802年、貴族(フォン)。

1805年5月9日、ヴァイマル。45歳。解剖で、左肺はほぼなく、心臓は変形し、腎臓と脾臓は壊れていた。「これほど長く生きられたのが不思議だ」と医者。ゲーテは病気で、葬儀に行かなかった。「私は、私の存在の半分を失った」。ヤコブス墓地の共同墓。1826年、頭蓋骨が掘り出され、ゲーテが自分の家に置いて詩を書き、1827年、侯家の霊廟に。1911年、別の頭蓋骨が「本物」と言われた。2008年、DNAで、どちらもシラーでないと分かった。霊廟の棺は空。

「自由」。ベートーヴェン(第九、1824年。「歓喜」は「自由」の隠語だ、という話がある)。ヴェルディ(『群盗』『ルイザ・ミラー』『ジョヴァンナ・ダルコ』『ドン・カルロ』)。ロッシーニ(『ウィリアム・テル』)。チャイコフスキー(『オルレアンの少女』)。ドイツの「国民詩人」。1859年、生誕100年で、ドイツ中で祝われた(統一の前)。ナチスは『ドン・カルロス』の「思想の自由」で客が拍手するので、上演を止めた。1985年、EUの歌。