コチニール
概要
ウチワサボテンに寄生する小さな虫の、雌の体を乾かして砕くと、鮮やかな深紅が採れる。メソアメリカでは千年以上前から栽培されていた。スペインが植民地の産物として送り出すと、ヨーロッパの染色が変わる。それまでの赤は茜と地衣で、くすんでいた。枢機卿の緋衣も、イギリス軍の赤い上着も、これである。原料が虫であることをスペインは長く伏せ、生産をオアハカに独占させた。銀に次ぐ輸出品になり、そして合成染料が、それを終わらせた。
場所
17.07°N -96.73°E · メキシコ
本文
メキシコの乾いた高地に生えるウチワサボテンの葉に、白い粉をまぶしたような小さな虫が群がっている。遠目には、サボテンに白い黴が生えたようにしか見えない。コチニールカイガラムシである。体長は五ミリほどで、白い粉の正体は体を覆う蝋だ。その下の体を潰すと、濃い赤紫の汁がにじみ出る。色のもとはカルミン酸という物質で、乾かした虫の重さのおよそ五分の一を占める。天敵の虫から身を守るための物質だと考えられている。一ポンドの染料を作るのに、七万匹ほどの虫が要るとされる。
この虫は、メキシコから中米、アンデスの人々によって、少なくとも千年以上前から育てられてきた。長い年月をかけて人の手で選ばれた虫は、野生の仲間より体が大きく、色素が多い。雌には羽がなく、脚も弱く、人の世話なしには生きられない。人々はサボテンの畑を作り、虫の付いた葉や虫を入れた小さな籠をサボテンにくくりつけて殖やした。三か月ほど育てたら、色素を多く持つ雌を刷毛で掻き落とし、熱湯や蒸気、竈の熱、あるいは日に干して殺し、乾かして砕く。殺し方によって色合いが微妙に変わり、それが等級として取引された。雨や霜が来れば虫は全滅する。手間がかかり、天候に左右される産物だった。アステカの王国では、征服した土地から貢ぎ物としてコチニールを納めさせていた。

それまでのヨーロッパの赤は、くすんでいた。茜の根から採る赤は煉瓦色に近く、地中海のカシの木に付く別のカイガラムシから採るケルメスは美しい赤だったが、色素がずっと少なく、大量の虫を要した。南米やアジアの蘇芳は色が褪せやすく、東ヨーロッパの草の根に付く虫から採る赤も量が限られていた。鮮やかで褪せにくく、しかも量の確保できる赤は、どこにもなかった。
1519年にメキシコに上陸したエルナン・コルテスの一行は、アステカの都の市場で、乾かしたコチニールが売られているのを目にした。1523年、スペイン王カルロス1世は、この染料をどれだけ送れるか調べるよう命じたとされる。ヨーロッパの染め物師たちは、その赤に驚いた。少ない量で鮮やかに染まり、褪せにくい。媒染に使う金属を変えれば、緋色から深紅、紫まで色を出し分けられた。十七世紀の初め、オランダで活躍した発明家コルネリス・ドレベルの周辺で、錫を使って燃えるような緋色を出す方法が見いだされ、その緋色はヨーロッパ中で珍重された。

スペインはこの富を囲い込んだ。生きた虫を植民地の外へ持ち出すことは禁じられ、原料がどんなものかは長く曖昧にされた。ヨーロッパでは、植物の種か実だと思っている人も多かった。顕微鏡でそれが虫であることがはっきり確かめられたのは、十七世紀の終わりから十八世紀の初めにかけてで、レーウェンフックもそれを観察した一人だった(レーウェンフックの微生物)。
生産の中心は、メキシコ南部のオアハカだった。虫を育てたのは先住民の共同体で、スペイン人の代官は前貸しの仕組みを使って彼らに生産を割り当て、安く買い叩いた。それでも十六世紀の後半から、コチニールは銀に次ぐ、メキシコからスペインへの重要な輸出品になった。年に数十万ポンドがセビリアに陸揚げされ、そこからヨーロッパ各地の染め物の町へ流れ、アムステルダムの市場では将来の値段を見込んだ取引の対象にもなった。

この赤は、権威と富の色になった。カトリックの枢機卿の緋色の衣、王侯の外套、ゴブラン織りの壁掛け。イギリス軍の赤い上着も、将校のものにはコチニールが使われたとされる。兵卒の上着は安い茜で染められていたという。絵具としても使われ、虫の色素を沈殿させて作った顔料は、ヨーロッパの画家たちのパレットに並んだ。ただしこの顔料は光に弱く、当時の絵の赤がいまでは薄れてしまっていることもある。
スペインの独占は、十八世紀の終わりから崩れ始めた。1777年、フランスの博物学者ティエリ・ド・メノンヴィルがオアハカから虫とサボテンをひそかに持ち出し、カリブ海のフランス領で育てようとした。この試みは長続きしなかったが、十九世紀になると、スペイン領の外のカナリア諸島やグアテマラでも栽培が広がった。

とどめを刺したのは化学だった。1856年、イギリスのパーキンが合成の染料を偶然に作り出すと(モーヴと合成染料)、合成染料の開発が一気に進み、1868年には茜の色素が合成され、続いてさまざまな赤い合成染料が現れた。桁違いに安く、品質も均一である。十九世紀の末には、コチニールの市場は崩れていった。
だが、コチニールは別の形で戻ってきた。二十世紀の後半、合成の着色料の安全性に疑いの目が向けられると、天然の着色料として、ハムやソーセージ、菓子、飲み物、ヨーグルト、口紅などに使われるようになったのである。食品の表示ではコチニール色素やカルミンという名で記されている。ただし、まれに重いアレルギーを起こすことが報告されており、原料が虫であることから、菜食を貫く人々や宗教上の理由で避けたい人々にとっては気になる存在でもある。2012年には、アメリカのコーヒーチェーンが飲み物の色付けにコチニールを使っていたことが知られて批判を受け、別の色素に切り替えた。いまでは、世界の生産の大部分をペルーが担っている。小さな虫の赤は、征服と独占と化学の歴史をくぐり抜けて、いまも私たちの食卓や化粧台にある。