概要
クリュニーが豊かになりすぎたと、ロベールが21人と沼地へ。「戒律を、字の通りに」。白い衣。飾りのない教会。自分で耕す。「祈りと労働」。14年後にベルナールが30人を連れて来て、50年で350の修道院。ヨーロッパの荒地を開き、羊毛と鉄で富んだ。
場所
47.13°N 5.09°E · フランス
本文
クリュニー修道院は10世紀に始まって、200年で1000の修道院を持ち、教会は世界最大で、修道士は聖歌を1日8時間歌って、畑は小作人が耕した。「戒律を、字の通りに」と言った人たちがいた。
1098年3月21日、聖ベネディクトの日。モレーム修道院長ロベールが21人の修道士を連れて、ディジョンの南の沼地に来た。シトー。葦とイバラ。手で耕して、木の小屋を建てた。ロベールは翌年、教皇に命じられてモレームへ戻され、アルベリックが継ぎ、1109年からイングランド人のスティーヴン・ハーディング。
白い衣(染めない羊毛のまま。クリュニーは黒)。飾りのない教会(塔なし、彫刻なし、彩色なし、ステンドグラスは灰色)。祈りと労働。「オラ・エト・ラボラ」。修道士が自分で耕し、耕せない分は助修士(コンウェルシ、文字を読まない農民の修道士)が耕す。市場から離れた荒地に建てる。
1112年、22歳のベルナールが、兄弟と友人30人を連れて入った。3年後、クレルヴォーの修道院長。ベルナールが説教し、ヨーロッパの若者がシトー会に入った。1153年、ベルナールが死んだとき、シトー会は350の修道院。1250年、650。
荒地の開墾。イングランドのヨークシャーの羊毛。フランスの鉄と水車。ワイン(クロ・ド・ヴージョはシトー会の畑)。「貧しさ」を選んだ人たちが、ヨーロッパで一番の農業技術を持って、一番富んだ。13世紀にはそれが批判の的になった。
「憲章(カルタ・カリタティス)」。全部の修道院が毎年シトーに集まって総会を開く。中央集権でなく、連合。中世で最初の国際組織だと言う人がいる。