カラルの都市
概要
ピラミッドを持つ都市が、ギザとほぼ同じ頃にペルーの海岸に建っていた。武器も城壁も見つかっていない。
場所
-10.89°N -77.52°E · ペルー・リマ県
本文
ペルーの首都リマから北へ200キロほど、太平洋に注ぐスーペ川の谷を、海岸から20キロあまり遡ったところに、乾いた段丘が広がる。雨はほとんど降らない。川の流れに沿った細長い緑の帯の外は、砂と岩の荒れ地になる。
その段丘に、土と石を積んだ大きな丘がいくつも並んでいる。長いあいだ、自然の丘か、新しい時代の遺跡だと思われていた。1990年代、ペルーの考古学者ルート・シャディが本格的な発掘を始め、2001年、出土した植物の放射性炭素年代が発表された。最も古い建物は紀元前2600年ごろ、ギザのピラミッドとほぼ同じ頃に建てられていた。アメリカ大陸で知られていた都市より、千年以上古い。

遺跡の広さは60ヘクタールあまりになる。中心には、石で外壁を固め、段を重ねたピラミッド型の基壇が六つ、広場を囲んで並ぶ。最も大きな基壇は一辺150メートルを超え、高さは20メートルほどある。基壇の頂には部屋と祭壇があり、炉で何かを燃やした跡が残っている。基壇の前には、地面を掘り下げた円形の広場がある。人々はそこで集まり、儀式を行ったと考えられている。
基壇の石壁を積むときには、植物の繊維で編んだ袋に石を詰めて、そのまま積み込んでいる。袋ごと積むことで、地震の揺れを吸収したのではないかという見方もある。

周りには、身分の違いを思わせる住まいが分かれて並ぶ。基壇のそばには漆喰を塗った立派な家があり、離れた場所には簡素な家が集まる。人口は数千人ほどと見積もられている。スーペ川の谷とその周辺には、同じ時代の遺跡が20近く見つかっていて、カラルはその中心の一つだった。
出てこないものがある。城壁が無い。武器らしいものがほとんど無い。戦いで傷ついた遺体も見つかっていない。大きな建物を築き、人々を動かす力がありながら、それを戦争で示した跡が見えない。どう治められていたのかは、議論が続いている。
土器も出ない。この地域で土器が使われ始めるのは、もっと後になる。土器を使わずに都市を作った例になる。煮炊きには、焼いた石を入れて湯を沸かすなどしていたと考えられている。
代わりに大量に出るのが、綿と、魚の骨と、そして楽器だった。コンドルやペリカンの骨で作った笛が32本、一か所からまとめて見つかっている。シカやラクダ科の動物の骨で作った角笛も出た。音楽が儀式の中心にあったことがうかがえる。
食べ物の骨や殻を調べると、カラルの人々は海の魚、とりわけカタクチイワシやイワシを大量に食べていた。だが、カラルは海から20キロも離れている。海岸には、同じ時代の漁村の遺跡がある。内陸の人々が川の水を引いて綿やカボチャ、豆を育て、綿は漁網に、ひょうたんは網の浮きになって海岸へ渡り、獲れた魚が内陸へ運ばれた。そうした交換が、この都市を支えていたと考えられている。
紐を結んだものも出土していて、のちのインカの記録の道具(キープ)の先駆けではないかと報告されている。もしそうなら、インカ帝国の拡大の時代より4000年近く早いことになるが、同じ使い方をしていたかどうかは分かっていない。
紀元前1800年ごろまでに、カラルは使われなくなった。なぜ捨てられたのかは分かっていない。大きな地震や、エル・ニーニョによる気候の乱れ、干ばつで谷が砂に覆われたことなどが挙げられている。アンデスの文明は、その後、チャビン文化などへと続いていく。2009年、カラルは世界遺産に登録された。
農業が始まり、土器が生まれ、文字ができ、その先に都市と王と戦争が来る。そう考えられてきた文明の順番に、カラルは当てはまらない。戦いの跡のない都市として、文明の始まりを考え直す材料にされることが多い(物語「『万物の黎明』で読む歴史」)。