人物

アンデルス・セルシウス

Anders Celsius
AD1701年11月27日 – AD1744年4月25日(享年42)
スウェーデン重要度 3

概要

ウプサラの生まれ。父も祖父二人も教授である。1730年、ウプサラ大学の天文学教授。1736年、モーペルテュイのラップランド遠征に加わり、地球が極でつぶれた形であることを確かめた。オーロラを組織的に観測し、その出現と磁針の振れが関係することを示した。ウプサラ天文台を設立した。1742年、水の沸点を0、氷点を100とする温度目盛を提案した。結核により42歳で死んだ。

関わったできごと(1)

温度の目盛AD1742年 · 提案

本文

アンデルス・セルシウスは1701年11月27日、スウェーデンの大学町ウプサラに生まれた。学者の家である。父ニルスはウプサラ大学の天文学の教授、父方の祖父マグヌスは数学の教授、母方の祖父アンデルス・スポーレも天文学の教授だった。彼は星を測る大人たちに囲まれて育ち、1730年、29歳で父と同じウプサラ大学の天文学教授になった。

アンデルス・セルシウスの肖像
アンデルス・セルシウスの肖像Wikimedia Commons Olof Arenius · Public domain

教授になってまもない1732年から、彼はヨーロッパの天文台を巡る旅に出た。ベルリン、ニュルンベルク、ボローニャ、ローマ、パリ、ロンドン。各地で器械の作り方と観測の手順を学んだ。ニュルンベルクでは、1716年から1732年までにスウェーデンで記録されたオーロラ316回の観測をまとめて出版している。

パリで、彼は当時の大問題に出会った。地球はどんな形をしているのか。アイザック・ニュートンの理論では、自転の遠心力で赤道がふくらみ、極がつぶれているはずだった。一方、パリ天文台のカッシーニ家は、フランス国内の測量をもとに、地球はむしろ極の方向に伸びていると主張していた。測った距離が短すぎて、差が誤差に埋もれていたのである。決着をつけるには、極に近い土地と赤道に近い土地で子午線の1度の長さを測り、比べればよい。極がつぶれているなら、極に近いほうが1度は長くなる。

セルシウスが創設した天文台(同時代の版画家による木版画)
セルシウスが創設した天文台(同時代の版画家による木版画)Wikimedia Commons Public domain

フランス科学アカデミーは二つの遠征隊を出した。赤道に近いペルーへ向かったのがブーゲとラ・コンダミーヌ、北極圏のラップランドへ向かったのがモーペルテュイの隊である。セルシウスはパリでモーペルテュイに会ってラップランド隊に加わり、スウェーデン側の協力を取りつけた。1736年から翌年にかけて、隊はスウェーデンとフィンランドの境を流れるトルネ川の谷で測量した。基線は凍った川の上に引いた。結果は、ニュートンが正しかった。地球は極でつぶれていた。ヴォルテールはモーペルテュイを「地球を平らにした男」と呼んだ。称賛とからかいの両方をこめた呼び名だった。

帰国したセルシウスは、オーロラの観測を続けた。そして助手のヒオルテルとともに、オーロラが出ているときに方位磁針が大きく振れることを確かめた。オーロラと地球の磁気の関係を示した、最も早い仕事の一つである。1741年には、自分で資金を集めてウプサラ天文台を建てた。スウェーデンで最初の本格的な天文台で、建物はいまもウプサラの町に残る。彼はまた、スウェーデンがグレゴリオ暦に切り替えるよう働きかけた。実現したのは死後の1753年である。

セルシウス著『ノルランドの河川における新しい漁法について』(1738年)
セルシウス著『ノルランドの河川における新しい漁法について』(1738年)Wikimedia Commons Anders Celsius · Public domain

1742年、彼はスウェーデン王立科学アカデミーの紀要に、温度計の二つの定点についての論文を載せた(温度の目盛)。中身の核は三つある。まず、氷が融ける温度は、気圧によっても緯度によってもほとんど変わらない。彼はこれを、ラップランドからイタリアまで旅した経験で確かめていた。次に、水が沸く温度は気圧によって変わる。だから目盛を決めるには気圧を指定しなければならない。彼はスウェーデンの単位で水銀柱25.3インチという基準を示し、気圧と沸点の対応表を添えた。これが論文の実質である。

そのうえで、彼は沸点を0度、氷点を100度とする目盛を提案した。いまとは上下が逆である。理由を彼は書いていない。冬の厳しい国で、寒さを負の数で書かずにすむからだ、という推測はある。

1744年4月25日、セルシウスは結核のため、ウプサラで死んだ。42歳だった。天文台を建ててから3年しかたっていない。

目盛はほどなく逆さにされた。同じウプサラ大学の植物学者カール・フォン・リンネが、1745年に氷点を0、沸点を100とした温度計を温室用に作らせた記録があり、リンネ自身も自分が逆にしたという趣旨のことを書いている。ただ、セルシウスの後任のストレーメルや、温度計職人のエクストレームが独立に逆にしたとする見方もあり、誰が最初かははっきりしない。

この目盛は長く「百分度」と呼ばれた。1948年、国際度量衡総会はこれを正式に「セルシウス度」と名づけた。「百分度」にあたる語がフランス語などでは角度の単位とまぎらわしいこと、そして考案者に敬意を払うことが理由だった。いま世界のほとんどの国がこの目盛を使い、日常で華氏を使うのは、事実上アメリカ合衆国といくつかの小さな地域だけである。彼の名は毎日、天気予報で読み上げられている。本人が決めたのとは上下が逆の目盛で。

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