できごと

体内時計

The circadian clock
AD1729年
重要度 4
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このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1729年の版図を描いています(25勢力)。

概要

天文学者ドゥ・メランが、オジギソウの葉が朝に開き夜に閉じることに気づいた。そして、その鉢を暗い戸棚に入れた。光が来なくても、葉は同じ周期で開閉を続けた。生物の中に、時計がある。この観察が正しく理解されるまで200年以上かかった。1970年代、ショウジョウバエで周期を狂わせる遺伝子が見つかった。1984年、その遺伝子が単離された。仕組みは、タンパク質が自分の合成を抑える、約24時間の負のフィードバックである。2017年、ノーベル賞。

場所

パリ
48.86°N 2.35°E · フランス

本文

1729年のパリ。科学アカデミーの会員ジャン=ジャック・ドルトゥス・ド・メランは、天文学者だった。地球の自転やオーロラ、熱について研究していた人で、植物学者ではない。その彼が、自宅でオジギソウを育てていた。指で触れると葉をたたむ、あの植物である。

ド・メランは、この植物が触らなくても、朝になると葉を開き、夕方になると閉じることに目をとめた。当時、それは光への反応だと考えられていた。日が昇れば開き、沈めば閉じる。当たり前のことに見える。だが彼は、確かめてみることにした。鉢を暗い戸棚にしまい込み、光がまったく届かないようにしたのである。

昼と夜で葉を開閉するネムノキの若木
昼と夜で葉を開閉するネムノキの若木Wikimedia Commons Abubiju · CC0

それでも葉は、外にあったときと同じように、朝に開き、夕方に閉じ続けた。外の光を感じていないのに、時刻を知っている。ド・メランはこの結果を自分では論文にせず、アカデミーの記録に、知人の手で数行だけ書き留められた。彼自身は、植物が光ではない別の形で太陽の影響を感じているのだろうと考えたらしい。生き物の体の中に時計がある、という結論までは進まなかった。

この小さな観察の意味が本当に理解されるまでには、200年以上かかった。体の中に時計があり、それが遺伝子に書き込まれていると分かるには、遺伝子とは何かという理解そのものが必要だったからである(DNAの二重らせん)。

シロイヌナズナの発光レポーター遺伝子で見た体内時計の発現リズムのデータ
シロイヌナズナの発光レポーター遺伝子で見た体内時計の発現リズムのデータWikimedia Commons Mandrillware · CC BY 4.0

その間にも、少しずつ手がかりが積み重ねられた。1832年、スイスの植物学者オーギュスタン・ピラミュ・ド・カンドルが、ド・メランの実験をより厳密に繰り返し、決定的なことに気づいた。暗闇の中に置き続けると、葉の開閉の周期は24時間ではなく、22時間ほどになるのである。つまり内側の時計は、正確に24時間で回っているわけではない。

普段は外の光によって毎日少しずつ合わせ直され、24時間にそろえられている。のちに「同調」と呼ばれる現象である。1930年代には、ドイツのエルヴィン・ビュニングが、この周期の長さが親から子へ受け継がれることを示した。1959年、アメリカのフランツ・ハルバーグは、ラテン語の「およそ」と「一日」を組み合わせて、「サーカディアン」という言葉を作った。

人間の体内時計も、思いがけない形で確かめられた。1962年、フランスの若い地質学者ミシェル・シフルは、アルプスの氷河の下の洞窟に、時計も日の光も無しに2か月あまりこもった。眠くなれば眠り、目が覚めれば起きる。彼の一日の周期は、24時間より少し長い長さに落ち着いた。そして時間の感覚が大きく狂った。地上に呼び戻されたとき、彼が自分で数えていた日付は、実際より25日も手前だった。

体内時計を生物学の正面に引き出したのは、遺伝学だった。1971年、カリフォルニア工科大学のシーモア・ベンザーと大学院生のロナルド・コノプカは、ショウジョウバエに突然変異を起こさせ、一日の活動の周期がおかしくなった個体を探した。行動のような複雑なものを一つの遺伝子で説明できるはずがない、と多くの学者が考えていた時代で、この発想そのものが大胆だった。二人は三種類の変わり者を見つけた。

周期が19時間になったもの、28時間になったもの、周期そのものがなくなったものである。調べると、三つとも同じ染色体の同じ場所の変異だった。一つの遺伝子が時計を動かしている。彼らはこれを「ピリオド」と名づけた。コノプカはその後、大学で終身の職を得られず、小さな大学で教えながら研究を続け、2015年に世を去った。

1984年、ブランダイス大学のジェフリー・ホールとマイケル・ロスバッシュ、ロックフェラー大学のマイケル・ヤングが、それぞれ独立にピリオド遺伝子を取り出すことに成功した。そして、その遺伝子がどうやって時を刻むのかを解き明かしていった。仕組みは驚くほど単純である。遺伝子の情報からタンパク質が作られ、細胞の中にたまっていく。

たまったタンパク質は細胞の核の中へ入り、自分を作っている遺伝子の働きを止める。新しいタンパク質は作られなくなり、すでにあるものは少しずつ分解されていく。減ってしまうと抑えが外れ、遺伝子はまた働き始める。この一回りに、ほぼ24時間かかる。

自分が自分の生産を止めるという、負の帰還の輪である。輪が速く回りすぎないためには、遅れが要る。ヤングは、ピリオドのタンパク質と組んで核へ運ぶタンパク質や、それを少しずつ分解して時間を稼ぐタンパク質の遺伝子も見つけた。遅れが無ければ、周期は生まれない。同じ基本の仕組みは、ハエでも、カビでも、植物でも、そして人間でも、本質的に変わらない。2017年、ホール、ロスバッシュ、ヤングの三人はノーベル生理学・医学賞を受けた。

人間の場合、時計の中枢は、脳の奥の視床下部にある視交叉上核という小さな細胞の集まりである。左右に一つずつあり、合わせて約2万個の神経細胞からなる。そしてこれとは別に、肝臓や腎臓、心臓、皮膚と、体のほとんどすべての細胞が、それぞれ自分の時計を持っている。中枢の時計が、それらの時計を指揮者のようにそろえている。中枢の時計を毎朝合わせ直すのは光で、網膜には、物を見るためではなく、明るさ、とくに青い光を感じて時計へ知らせるための特別な細胞があることが、2000年代の初めに確かめられた。目の見えない人でも光で時計が合うことがあるのは、このためである。

体内時計が分かってくると、身の回りの多くの問題に説明がついた。時差ぼけは、体の時計と土地の時計がずれた状態である。夜勤と日勤を繰り返す交代勤務では、このずれが慢性的に続く。世界保健機関の国際がん研究機関は2007年、体内時計の乱れを伴う交代勤務を、人に対しておそらく発がん性がある区分に入れ、2019年の見直しでもその判断を保った。同じ薬を同じ量だけ飲んでも、飲む時刻によって効き目や副作用が違うことも分かってきた。夜遅くまで浴びる照明や画面の青い光が、時計を後ろへずらし、眠りを妨げることも論じられている。

朝型か夜型かという違いにも、遺伝の要素が大きい。夕方の早い時間に眠くなり、夜明け前に目覚めてしまう、極端な朝型の家系があり、2001年、その原因がピリオドの仲間の遺伝子のたった一つの変異にあることが示された。学校や職場の時間割は朝型の人に合わせて作られがちで、夜型の人は毎週、平日と休日の間で時差ぼけのような状態を繰り返している、という指摘もある。人は時計を作り(機械時計と、等しい一時間)、国ごとに時刻をそろえ、夏には時計の針を一時間進めることまでしてきた(時計を一時間進める)。しかし、体の中の時計は、それとは別に、何億年も前から刻まれてきた自分の時を刻んでいる。

1729年のパリで、天文学者がオジギソウの鉢を暗い戸棚にしまった。光の届かない暗闇の中で、葉は、まるで夜明けを知っているかのように開き続けた。その小さな驚きが、遺伝子の中で回る時計の発見までつながっている。

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