概要
長く、銀と金の両方が貨幣だった。ニュートンが造幣局長だった1717年、金と銀の交換比率を定めたところ、金を高く評価しすぎて銀が国外へ流出し、事実上の金本位になった。ナポレオン戦争の間、兌換は停止された。1816年の貨幣法で金を唯一の本位と定め、1821年に兌換を再開した。1870年代、ドイツ、フランス、アメリカ、そして日本が続き、世界の通貨が金で結ばれた。為替が安定し、貿易と投資が国境を越えた。同時に、各国は金の量に縛られた。
場所
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド
本文
**複本位制**。
18世紀まで、多くの国が、**金と銀の両方**を法定の貨幣にしていた(複本位制)。
問題は、**交換比率**である。
法律で「金1に対して銀15」と定める。しかし、市場の相場は変動する。
すると——**法定の比率で過小評価されたほうの金属が、消える**。
(人々は、割の良いほうを溶かして地金にし、外国へ売る。「**悪貨は良貨を駆逐する**」——グレシャムの法則。)
**ニュートン**。
1696年、**アイザック・ニュートン**が、**造幣局監事**(後に長官)になった。
(彼は、この職を閑職と考えていなかった。彼は貨幣の偽造者を精力的に追跡し、変装して酒場に潜入し、証拠を集め、そして**何人かを絞首刑に送った**。最も有名なのが、偽造者ウィリアム・チャロナー。)
**1717年**、彼は金と銀の公定比率を検討し、金貨(ギニー)の価値を **21シリング**と定めた。
結果——**金を、市場相場より高く評価しすぎた**。
だから、**銀貨が国外へ流出した**。イングランドから、銀が消えた。
(銀は、インドと中国へ流れた。アジアが銀を高く評価していたからである。)
**意図せず、イングランドは事実上の金本位制になった**。
(ニュートンがこれを意図していたかについては、議論がある。彼は比率の調整を提案したが、議会がそれを採らなかった、という経緯もある。)
**戦争と、兌換の停止**。
1793年から、フランス革命戦争、そしてナポレオン戦争。
1797年、**イングランド銀行が、金への兌換を停止した**。
(フランス軍の上陸の噂で、人々が銀行に殺到した。金が尽きかけた。)
以後**24年間**、イングランドは不換紙幣で戦争を戦った。
物価が上がった。
**地金論争**。
1810年、議会の**地金委員会**が報告書を出した。
(中心にいたのが、**デイヴィッド・リカード**。彼は、株式仲買人として財を成した後、経済学者になった。)
主張——**物価上昇の原因は、紙幣の発行超過である**。金への兌換を再開せよ。
反対論——原因は戦争と不作である。兌換を再開すれば、経済が締めつけられる。
議会は、当初、報告を退けた。
**1816年**。
**貨幣法**(Coinage Act 1816)。
- **金を、唯一の本位とする**。 - **ソブリン金貨**(1ポンド)を発行する。 - 銀貨は、**補助貨幣**にする(額面より少ない銀しか含まない。だから、溶かしても割に合わない。少額の支払いにしか法定通用力を持たない)。
**1821年**、兌換を再開した。1ポンド紙幣を持って行けば、金と換えられる。
(再開のために、通貨を戦前の平価に戻す必要があった。そのためのデフレが、戦後の不況と、社会不安を深めた。1819年の**ピータールーの虐殺**は、この時期の困窮を背景としている。)
**1844年、ピール銀行条例**。
イングランド銀行を「発行部」と「銀行部」に分け、**発行部が持つ金の量に応じてしか、紙幣を発行できない**ことにした(一定額の政府証券を除く)。
(この規則は、恐慌のたびに停止された。1847年、1857年、1866年。厳格な規則は、危機に耐えられなかった。)
**世界へ**。
1870年代に、雪崩が起きた。
**ドイツ**。1871年、普仏戦争に勝利。フランスから**50億フラン**の賠償金を得た。
その金で、**金本位制へ移行した**(1871〜73年)。**マルク**の導入。そして、保有していた**銀を、市場へ売った**。
**銀の価格が、暴落した**。
すると、銀本位制と複本位制の国が、次々に金へ移らざるを得なくなった。
- 1873年、アメリカ(**1873年貨幣法**。銀貨の自由鋳造をやめた。銀の生産者と農民が「**1873年の犯罪**」と呼んで、以後20年、政治の争点になった) - 1873〜76年、ラテン通貨同盟(フランス、ベルギー、イタリア、スイス)が、銀の自由鋳造を停止 - 1875年、スカンディナヴィア通貨同盟 - 1878年、オランダ - 1897年、**日本**(日清戦争の賠償金〈テール〉を、ロンドンで金として受け取り、それを準備にした) - 1897年、ロシア - 1900年、アメリカが金本位を明文化 - 1905年、メキシコ
1900年頃、**世界の主要な経済が、金で結ばれた**。
**利点**。
- **為替が固定される**。各国の通貨が金に固定されれば、通貨同士の比率も固定される。 - 貿易と、国際的な投資が、為替の危険なしに行える。 - 通貨の発行に、**規律**が課される。政府が勝手に紙幣を刷れない。 - 1870〜1914年、世界貿易と資本移動が、それ以前に例のない規模で拡大した(「**第一次グローバリゼーション**」)。
**代償**。
- **国内の政策の自由がない**。
金が流出すれば(貿易赤字、あるいは資本の逃避)、金利を上げ、通貨を締めるしかない。
不況でも、失業が増えても、**引き締める**。
(後に「**三すくみ(トリレンマ)**」として定式化された。**固定為替相場、自由な資本移動、独立した金融政策**——この三つのうち、二つしか同時に持てない。)
- **デフレ**。金の産出量が、経済の成長に追いつかなければ、物価は下がり続ける。
1873〜96年、世界的な物価の下落(「**大不況**」と呼ばれた)。債務者(特に農民)が苦しんだ。
(1896年、アメリカ大統領選挙。民主党の**ウィリアム・ジェニングズ・ブライアン**が、金本位制を攻撃する演説をした。
「**あなた方は、労働者の額に、この茨の冠を押しつけてはならない。あなた方は、人類を、黄金の十字架にかけてはならない**」。
彼は敗れた。)
**崩壊**。
- **1914年**、第一次大戦。各国が兌換を停止した。 - 1920年代、復帰の試み。1925年、イギリスが**戦前の平価**で復帰した(財務大臣は**チャーチル**。ケインズが『チャーチル氏の経済的帰結』で、過大評価された為替が輸出を殺すと批判した。翌年、ゼネストが起きた)。 - **1929年**、大恐慌。 - 1931年9月、イギリスが金本位を離脱。1933年、アメリカ(ローズヴェルトが、国民の金の保有を禁じた)。1936年、フランス。
(経済史の研究〈バリー・アイケングリーン『金の足枷』など〉が示したのは、**金本位制から早く離脱した国ほど、大恐慌からの回復が早かった**ということである。金本位制が、恐慌を世界へ伝播させ、そして各国が対応することを妨げた。)
- 1944年、**ブレトン・ウッズ**。金とドルを固定し、他の通貨をドルに固定する(金為替本位制)。 - **1971年8月15日**、**ニクソン・ショック**。アメリカが、ドルと金の交換を停止した。 - 1973年、主要国が変動相場制へ。
**現在**。
いま、どの国の通貨も、金と交換できない。
貨幣の価値を支えているのは、金属ではなく、**発行する国家と中央銀行への信頼**である。
(この状態を「不換紙幣(フィアット・マネー)」と呼ぶ。fiat はラテン語で「なれ」。「光あれ(fiat lux)」の fiat である。**そうと定めたから、そうである**。)
金本位制への復帰を主張する声は、いまもある。規律を求める議論として。
しかし、19世紀の世界の金の総量と、現在の経済の規模を比べれば、それが何を意味するかは、明らかである。