概要
李時珍が二十七年かけて書いた薬物の書である。1,892種を、鉱物から人体まで十六の部に分けて並べた。分類の順を、無機から植物、動物へと段階的に上げている。八百種以上を新しく加え、既存の書の誤りを正した。自ら山に入り、農民と漁師と猟師に聞き、自分で試した。生前には刊行されず、死の三年後、南京で出た。日本には1607年に伝わり、江戸期の本草学の土台になった。ダーウィンが「中国の百科事典」として引いている。
場所
32.06°N 118.80°E · 中国・江蘇省
関わった人(1)
李時珍AD1518年–AD1593年 · 著者本文
**題**。
**『本草綱目』**(ほんぞうこうもく)。
(**本草**——**薬になる物**(もともと草木を指したが、鉱物と動物も含む)。
**綱目**——**大きな分類(綱)と、細かい項目(目)**。
——**題そのものが、方法を示している**。)
**背景**。
**中国には、**本草の書の、長い系譜**がある**。
(**『神農本草経』**(後漢頃)——**365種**。
**『新修本草』**(659年、唐)——**世界最初の、国家が編纂した薬典**とされる。**850種**。
**『証類本草』**(1108年、宋)——**1,700種余**。
——**そして、**次々に写され、増補され、そのたびに誤りが混ざった**。〉)
**李時珍が、見たもの**。
(**同じ薬に、**別の名が、いくつも付いている**。
**別の薬が、**同じ名で呼ばれている**。
**そして——**間違った薬を使えば、人が死ぬ**。
〈**彼が挙げた例**。
**「蘭草」と「蘭花」**が、混同されていた。
**「防葵」と「狼毒」**が、取り違えられていた。
——**後者は、毒である**。〉)
**仕事**。
**1552年から、1578年まで**。
**二十七年**。
(——**三度、全体を書き改めた**。
**彼が、35歳から60歳の間である**。)
**方法**。
**(1)読む**。
(**参照した書——**八百種以上**。
**そのすべての典拠を、項目ごとに明記した**。
——**「誰が、何と言ったか」を、書く**。
**そして、**自分がどう判断したかを、その後に書く**。〉)
**(2)歩く**。
(**湖北、江西、江蘇、安徽**。
**山に入り、**薬草を、自分で採った**。
**そして——**農民、猟師、漁師、樵、薬売り**に、聞いた**。
〈**彼は、それを、はっきり書いている**。
**「書斎の中の学者が知らないことを、彼らは知っている」**という趣旨のことを。〉)
**(3)試す**。
(**曼陀羅華**(チョウセンアサガオ)——**自分で飲んだ**。
〈**麻酔と、幻覚の作用を、記録している**。
**「笑いながら飲めば、笑いが止まらず、踊りながら飲めば、踊りが止まらない」**。〉)
**構成**。
**十六の部**(綱)、**六十の類**(目)。
**1,892種**。
(——**うち、**374種が、新しく加えたもの**。
**そして、**処方が、11,096**。**図が、1,109**。)
**順序**。
(**水 → 火 → 土 → 金石 → 草 → 穀 → 菜 → 果 → 木 → 服器 → 虫 → 鱗 → 介 → 禽 → 獣 → 人**。
——**無機物から、植物へ、そして動物へ、人へ**。
〈**単純なものから、複雑なものへ、という配列である**。
**ダーウィンより、二百六十年前**。
——**進化の思想ではない**。**しかし、**段階的な秩序**という考え方が、そこにある**。〉
**そして、**「人部」**。
(——**人体に由来する薬**である。
**髪、乳、唾、尿、そして……**。
**李時珍は、**そのいくつかを、明確に否定した**。
〈**人肉、人骨、人胆**。
**「これは、残忍である。医の道ではない」**という趣旨を、書いている。
——**当時、**実際に、そうした療法が語られていた**。〉)
**各項目の書き方**。
(**釈名**(名の由来と異名)/**集解**(産地と形状)/**正誤**(先人の誤りの訂正)/**修治**(調製の方法)/**気味**(性質)/**主治**(効能)/**発明**(自分の見解)/**附方**(処方)。
——**「正誤」と「発明」の項があること**が、この書の性格を決めている。
〈**先人を、批判する**。
**そして、**自分の意見を、それと分けて書く**。〉)
**刊行**。
(**書き上げたのは、1578年**。
**版元が、見つからない**。
——**分量が、大きすぎる**。**費用が、出ない**。
**1590年、南京の書肆・胡承龍が、引き受けた**。
**李時珍は、**序文を、当代一の文人・王世貞に頼んだ**。
〈**王世貞は、彼に会って、こう書いた**。
**「痩せて、瘦せこけていて、まるで仙人のようであった」**という趣旨のことを。〉
**1593年、李時珍、死去**。**75歳**。
**1596年、金陵(南京)で、刊行された**。
——**三年後である**。)
**その後**。
**(1)中国で、標準の本草書になった**。
(**清代を通じて、繰り返し版を重ねた**。)
**(2)日本へ**。
**1607年、長崎に、初版が入った**。
(——**林羅山が、これを徳川家康に献じた**、と伝えられる。
**そして、**江戸期の本草学の、出発点になった**。
〈**貝原益軒『大和本草』**(1709年)。
**稲生若水、小野蘭山**。
——**『本草綱目啓蒙』**(小野蘭山、1803年)は、この書の講義録である。
**そして——**日本の博物学が、ここから始まった**。〉
**さらに——**多くの薬の名と、動植物の名が、この書を通じて、日本語に入った**。〉)
**(3)ヨーロッパへ**。
(**17世紀から、断片が訳された**。
**そして——**ダーウィン**。
**『種の起原』と『飼育栽培下における変異』で、**「中国の百科事典」**として、複数回、言及している**。
〈**金魚の品種と、鶏の品種についての記述を、引いている**。
——**彼が読んだのは、**訳された断片**である**。
**それでも、**人為選択の証拠として、使った**。〉)
**(4)そして、いまも**。
(**中医学の、基本文献の一つである**。
**そして——**創薬の手がかりとしても、読まれている**。
〈**2015年、屠呦呦がノーベル生理学・医学賞**。
**マラリアの薬アルテミシニン**。
——**彼女が手がかりを得たのは、**葛洪『肘後備急方』**(4世紀)の一節である**。
**「青蒿一握、水二升を以て漬し、絞りて汁を取り、尽く之を服す」**。
——**煮ずに、絞る**。
**そこから、**加熱すると有効成分が壊れる**ことに気づいた、と語っている。
〈**『本草綱目』にも、青蒿の項がある**。**彼女は、本草の書を、系統的に読んだ**。〉〉)
**評価**。
(——**近代科学ではない**。
**気味、陰陽、そして効能の記述には、**現在の薬理学と合わないものが、多く含まれる**。
**しかし——**
**方法が、近代的である**。
〈**典拠を明示する**。
**先人の誤りを、名指しで正す**。
**自分の見解を、伝聞と分けて書く**。
**そして、**現地で、自分で確かめる**。〉
**——それが、この書を、単なる薬の一覧から、分けている**。)