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Person / 人

李時珍

Li Shizhen
AD1518年 – AD1593年(享年75・推定)
重要度 4

概要

湖北の蘄州、代々の医者の家に生まれた。父は息子に科挙を望んだが、三度落ちて医に戻った。楚王府と太医院に仕えたが長く留まらず、郷里で診療した。既存の本草書に誤りと重複が多いことに気づき、二十七年をかけて『本草綱目』を書いた。八百種以上の文献を読み、各地を歩き、農民と猟師と薬売りに聞き、自ら試した。三度書き改めた。刊行を見ることなく死んだ。

所属

関わったできごと(1)

本草綱目AD1596年 · 著者

本文

**李時珍**(りじちん、1518〜1593年)。**字は東璧**、**号は瀕湖**。

**湖北、蘄州**(きしゅう、現在の蘄春県)。

**家**。

(**祖父——**鈴医**(りんい)**。

〈**鈴を鳴らして村を回る、**渡りの医者**である**。

**当時の社会で、**最も低く見られた職**の一つ。〉

**父・李言聞**——**地元で評判の医者**になった。

**そして——**息子には、医者になってほしくなかった**。

〈**医は、**賤業**とされていた**。

**「良医は、良相に及ばず」ではなく、**「医者では、家が上がらない」**。

**——父は、息子に、**科挙**を望んだ**。〉)

**科挙**。

(**14歳で、**秀才**(県試)に合格した**。

**——そこまでは、順調である**。

**そして、**郷試**(省の試験、**挙人**の資格)に、**三度、落ちた**。

**17歳、20歳、23歳**。

〈**二度目の受験の後、**重い病にかかった**、と伝えられる**。

**「骨蒸病」**(結核か)。

**——父が、治した**。〉

**23歳のとき、父に、こう言ったと伝えられる**(要旨)。

**「わたしは、身を尽くして医を学びます。父上、お許しください」**。

**父は、**許した**。)

**医者として**。

(——**評判が、上がった**。

**楚王府**(武昌の、藩王の宮廷)に、**奉祠正**として招かれた。

〈**世子(後継者)の病を治したことがきっかけ**、と伝えられる。〉

**そして、**推薦されて、北京の太医院**へ**。

**——一年ほどで、辞めた**。

〈**理由は、明確に記録されていない**。

**通説では——**太医院で、**皇帝(嘉靖帝)が、丹薬(不老長生の薬)に耽っていた**ことに、耐えられなかった**、とされる**。

〈**嘉靖帝は、**道教の丹薬**を大量に服用していた**。

**——水銀と鉛の化合物である**。

**李時珍は、後に『本草綱目』で、**水銀の丹薬を、明確に批判した**。

**「水銀は、大毒である。……**古今、これによって死んだ者は、数え切れない**」**という趣旨のことを書いている。

**——皇帝の療法を、書物の中で、否定した**。〉

**ただし——**太医院にいた間に、**宮廷の蔵書と、各地から集まった薬材**を見たことが、大きかった**、とも言われる**。〉

**郷里へ戻った**。

**そして、**診療しながら、書いた**。)

**『本草綱目』**。

**1552年から、1578年**。

**二十七年**。

(**三度、全体を書き改めた**。

**参照した書——**800種以上**。

**歩いた範囲——**湖北、江西、江蘇、安徽、河南**。

**そして——**聞いた相手**。

〈**農民、漁師、猟師、樵、車夫、薬売り、そして僧**。

**彼は、序文でこう書いている**(要旨)。

**「山に登り、野を渉り、遠く近く、尋ね求めた」**。〉

**自ら試したもの**——**曼陀羅華**(チョウセンアサガオ)、**その他**。

〈**「笑いながら飲めば笑いが止まらず、踊りながら飲めば踊りが止まらない」**——**幻覚と、暗示のかかりやすさを、記録している**。〉)

**内容の、いくつかの正確さ**。

(**(1)**鉛の毒性**を、明確に述べた**。

〈**「鉛は、大毒である」**。

**当時、**化粧の白粉に、鉛が使われていた**。〉

**(2)**蒸留**の記述**。

〈**焼酒(蒸留酒)の製法**を、詳しく書いている。

**「元の時に始まる」**——**中国における蒸留酒の起源についての、重要な史料**とされる。〉

**(3)**予防接種の記録**。

〈**人痘接種**についての、早い時期の記述が、この系統の書にある。〉

**(4)そして、**誤りも、多い**。

〈**動物の変化についての伝承**(雀が蛤になる、など)を、**そのまま載せている項目がある**。

**——ただし、**「これは疑わしい」と注記しているものも、多い**。〉)

**刊行**。

(**1578年、完成**。

**版元が、見つからない**。

**1590年、**南京の胡承龍**が、引き受けた**。

**李時珍は、**当代一の文人、王世貞**に、序文を頼んだ**。

〈**王世貞は、**十年、待たせた**、と言われる**。

**そして、1590年、書いた**。

**そこに、こうある**(要旨)。

**「北に面して坐す。**痩せて、瘦せこけていて、まるで山沢の癯(やせた仙人)のようであった**」**。

**そして——**「これは、ただの医書ではない。**格物の書(物の理を究める書)**である」**。〉

**1593年、李時珍、死去**。**75歳**。

**1596年、刊行**。)

**その後**。

(**息子・李建元が、**万暦帝に、この書を献上した**。

**皇帝の返答は、**「書留めよ」**の三文字だった、と伝えられる**。

——**それだけである**。

〈**国家の事業として、扱われなかった**。

**それでも、**書肆が、繰り返し版を重ねた**。〉

**日本へ——**1607年**。

**朝鮮、ヴェトナムへ**。

**ヨーロッパへ——**17世紀から、断片が訳された**。

**そして——**ダーウィンが、引用した**。

〈**『飼育栽培下における変異』**で、**金魚と鶏の品種**について。〉

**2011年、**ユネスコ「世界の記憶」**に登録された**。)

**墓**。

(**蘄春県、雨湖のほとりにある**。

**そして——**そこに、彼が集めた薬草の園がある**。)

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