概要
湖北の蘄州、代々の医者の家に生まれた。父は息子に科挙を望んだが、三度落ちて医に戻った。楚王府と太医院に仕えたが長く留まらず、郷里で診療した。既存の本草書に誤りと重複が多いことに気づき、二十七年をかけて『本草綱目』を書いた。八百種以上の文献を読み、各地を歩き、農民と猟師と薬売りに聞き、自ら試した。三度書き改めた。刊行を見ることなく死んだ。
所属
明関わったできごと(1)
本草綱目AD1596年 · 著者本文
**李時珍**(りじちん、1518〜1593年)。**字は東璧**、**号は瀕湖**。
**湖北、蘄州**(きしゅう、現在の蘄春県)。
**家**。
(**祖父——**鈴医**(りんい)**。
〈**鈴を鳴らして村を回る、**渡りの医者**である**。
**当時の社会で、**最も低く見られた職**の一つ。〉
**父・李言聞**——**地元で評判の医者**になった。
**そして——**息子には、医者になってほしくなかった**。
〈**医は、**賤業**とされていた**。
**「良医は、良相に及ばず」ではなく、**「医者では、家が上がらない」**。
**——父は、息子に、**科挙**を望んだ**。〉)
**科挙**。
(**14歳で、**秀才**(県試)に合格した**。
**——そこまでは、順調である**。
**そして、**郷試**(省の試験、**挙人**の資格)に、**三度、落ちた**。
**17歳、20歳、23歳**。
〈**二度目の受験の後、**重い病にかかった**、と伝えられる**。
**「骨蒸病」**(結核か)。
**——父が、治した**。〉
**23歳のとき、父に、こう言ったと伝えられる**(要旨)。
**「わたしは、身を尽くして医を学びます。父上、お許しください」**。
**父は、**許した**。)
**医者として**。
(——**評判が、上がった**。
**楚王府**(武昌の、藩王の宮廷)に、**奉祠正**として招かれた。
〈**世子(後継者)の病を治したことがきっかけ**、と伝えられる。〉
**そして、**推薦されて、北京の太医院**へ**。
**——一年ほどで、辞めた**。
〈**理由は、明確に記録されていない**。
**通説では——**太医院で、**皇帝(嘉靖帝)が、丹薬(不老長生の薬)に耽っていた**ことに、耐えられなかった**、とされる**。
〈**嘉靖帝は、**道教の丹薬**を大量に服用していた**。
**——水銀と鉛の化合物である**。
**李時珍は、後に『本草綱目』で、**水銀の丹薬を、明確に批判した**。
**「水銀は、大毒である。……**古今、これによって死んだ者は、数え切れない**」**という趣旨のことを書いている。
**——皇帝の療法を、書物の中で、否定した**。〉
**ただし——**太医院にいた間に、**宮廷の蔵書と、各地から集まった薬材**を見たことが、大きかった**、とも言われる**。〉
**郷里へ戻った**。
**そして、**診療しながら、書いた**。)
**『本草綱目』**。
**1552年から、1578年**。
**二十七年**。
(**三度、全体を書き改めた**。
**参照した書——**800種以上**。
**歩いた範囲——**湖北、江西、江蘇、安徽、河南**。
**そして——**聞いた相手**。
〈**農民、漁師、猟師、樵、車夫、薬売り、そして僧**。
**彼は、序文でこう書いている**(要旨)。
**「山に登り、野を渉り、遠く近く、尋ね求めた」**。〉
**自ら試したもの**——**曼陀羅華**(チョウセンアサガオ)、**その他**。
〈**「笑いながら飲めば笑いが止まらず、踊りながら飲めば踊りが止まらない」**——**幻覚と、暗示のかかりやすさを、記録している**。〉)
**内容の、いくつかの正確さ**。
(**(1)**鉛の毒性**を、明確に述べた**。
〈**「鉛は、大毒である」**。
**当時、**化粧の白粉に、鉛が使われていた**。〉
**(2)**蒸留**の記述**。
〈**焼酒(蒸留酒)の製法**を、詳しく書いている。
**「元の時に始まる」**——**中国における蒸留酒の起源についての、重要な史料**とされる。〉
**(3)**予防接種の記録**。
〈**人痘接種**についての、早い時期の記述が、この系統の書にある。〉
**(4)そして、**誤りも、多い**。
〈**動物の変化についての伝承**(雀が蛤になる、など)を、**そのまま載せている項目がある**。
**——ただし、**「これは疑わしい」と注記しているものも、多い**。〉)
**刊行**。
(**1578年、完成**。
**版元が、見つからない**。
**1590年、**南京の胡承龍**が、引き受けた**。
**李時珍は、**当代一の文人、王世貞**に、序文を頼んだ**。
〈**王世貞は、**十年、待たせた**、と言われる**。
**そして、1590年、書いた**。
**そこに、こうある**(要旨)。
**「北に面して坐す。**痩せて、瘦せこけていて、まるで山沢の癯(やせた仙人)のようであった**」**。
**そして——**「これは、ただの医書ではない。**格物の書(物の理を究める書)**である」**。〉
**1593年、李時珍、死去**。**75歳**。
**1596年、刊行**。)
**その後**。
(**息子・李建元が、**万暦帝に、この書を献上した**。
**皇帝の返答は、**「書留めよ」**の三文字だった、と伝えられる**。
——**それだけである**。
〈**国家の事業として、扱われなかった**。
**それでも、**書肆が、繰り返し版を重ねた**。〉
**日本へ——**1607年**。
**朝鮮、ヴェトナムへ**。
**ヨーロッパへ——**17世紀から、断片が訳された**。
**そして——**ダーウィンが、引用した**。
〈**『飼育栽培下における変異』**で、**金魚と鶏の品種**について。〉
**2011年、**ユネスコ「世界の記憶」**に登録された**。)
**墓**。
(**蘄春県、雨湖のほとりにある**。
**そして——**そこに、彼が集めた薬草の園がある**。)