概要
十八世紀のヨーロッパで、牛疫が繰り返し流行した。一度来ると、その地方の牛が全滅する。国家の税収と食料が、直接、打撃を受けた。それまで家畜の治療は蹄鉄工と経験者が担い、体系だった知識が無かった。乗馬学校の教師クロード・ブルジュラが、王の認可を得てリヨンに学校を開く。解剖と、病理と、飼育を、教える。翌々年にアルフォールにも作られ、以後、ヨーロッパ各国が真似た。獣医が、職業として制度になった最初である。
場所
45.76°N 4.84°E · フランス
関わった人(1)
クロード・ブルジュラAD1712年11月27日–AD1779年1月3日 · 開いた本文
**牛疫**。
(——**Rinderpest**(ドイツ語で、**「牛の疫病」**)。
〈**——**モルビリウイルス属**のウイルスによる**。
**〈——麻疹ウイルスと、近縁である。**
**——おそらく、**牛疫ウイルスから、**麻疹が、人に移った**、と考えられている。〉**
**——**致死率、**牛で、**80%から90%**。
**そして、**極めて、伝染しやすい**。〉
**18世紀のヨーロッパ**。
〈**——**繰り返し、大流行した**。
**1709年から1720年**。**1742年から1760年**。**1768年から1786年**。
**——**推定で、**この世紀に、**ヨーロッパで、2億頭**の牛が死んだ、という数字がある**。
**〈——推定の幅は、大きい。**
**しかし、**壊滅的だった**ことは、確かである。〉**〉
**——**そして、**それは、**国家の問題**である**。
〈**(1)**税**。
**——**当時、**税の基礎は、**土地と、農業である**。
**(2)**食料**。
**(3)**そして、**軍**。
**——**輓獣と、革**。〉)
**それまでの、家畜の医療**。
(——**担っていたのは、**装蹄師**である**。
〈**——**そして、**羊飼いと、去勢する人と、**経験のある農民**。〉
**——**知識は、**徒弟の間で、口伝**である**。
〈**——**そして、**迷信と、経験が、混じっている**。
**〈——「悪い血を、抜く」。**
**——「魔女が、呪いをかけた」。〉**〉
**——**そして、**流行が起きたとき、**誰も、何をすべきか、知らなかった**。
〈**——**ただし、**優れた例外はあった**。
**〈——**ジョヴァンニ・ランチージ**(教皇の侍医)が、**1715年、**
**——「隔離、屠殺、そして、死体を深く埋める」**という方策を、示した。**
**——教皇領で、それが実行され、流行が、抑えられた。**
**——そして、それを、他国が、真似なかった。〉**〉)
**ブルジュラ**。
(**クロード・ブルジュラ**(1712〜1779年)。
〈**——**リヨンの、**裕福な家**。
**——**法律を学び、**弁護士**になり、**そして、辞めた**。
**そして、**騎兵隊**に入った**。
**——**除隊後、**リヨンの乗馬学校**を、引き継いだ**(1740年頃)。〉
**——**そこで、彼は、**馬の解剖**を、始めた**。
〈**——**「馬に、正しく乗るには、**馬の体を、知らなければならない」**。
**そして、**『馬術の諸原理』**(1750年代)。
**——**さらに、**ディドロとダランベールの『百科全書』**に、**馬術と馬に関する項目を、書いた**。
**〈——彼は、**啓蒙の知識人の、輪の中にいた**。〉**〉)
**説得**。
(——**彼は、**繰り返す牛疫を、見ていた**。
**そして、**こう主張した**。
〈**——**「家畜の病気を扱う、**専門の学問と、**専門の職業**が、要る」**。
**そして、**「それを、**国家が、作らなければならない」**。〉
**——**財務総監**アンリ・ベルタン**が、**それを、受け入れた**。
〈**——**理由は、**単純である**。
**——**税収が、減る**。〉
**1761年8月4日、**国王の裁可**。
**1762年2月、**開校**。
〈**——**リヨン、ゲイヤール街**の、宿屋を改造した建物**。
**——**最初の学生、**四人**。
**〈——そして、その年のうちに、**牛疫の流行地へ、学生を派遣した**。〉**〉)
**教育**。
(——**彼の方針**。
〈**(1)**解剖から、始める**。
**——**動物の体の、構造を、知る**。
**(2)**そして、**比較**。
**——**馬、牛、羊、豚、犬**。
**——**種によって、違うところと、同じところ**。
**〈——**「比較解剖学」**の、初期の実践である。〉**
**(3)**病理**。
**(4)**そして、**飼育と、繁殖と、飼料**。
**(5)**さらに、**装蹄**。
**——**ただし、**それは、**技能の一部**であって、**全部ではない**。〉
**——**期間、**三年から四年**。
**そして、**学生は、**各地方から、選抜されて、送られた**。
〈**——**卒業したら、**故郷へ戻って、開業する**。
**——**知識を、**全国に、行き渡らせる**。〉)
**広がり**。
(**1765年、**アルフォール**(パリ近郊)に、二校目**。
**そして、**ヨーロッパ各国が、真似た**。
〈**トリノ**(1769年)、**コペンハーゲン**(1773年)、**ウィーン**(1777年)、**ハノーファー**(1778年)、**ドレスデン**(1780年)、**ブダペスト**(1787年)、**ロンドン**(1791年)……
**——**三十年で、**ヨーロッパ中に、広がった**。〉
**——**そして、**多くの学校が、**リヨンから、教師を招いた**。〉)
**評価**。
(——**ブルジュラは、**厳格で、そして、**傲慢だった**、と伝えられる**。
〈**——**同時代人との、**争いが、多い**。
**そして、**アルフォール校の運営をめぐる、対立**。〉
**そして、**彼の医学の知識そのものは、**当時の水準を、大きく超えるものではない**。
〈**——**瀉血を、多用した**。〉
**——**彼がやったのは、**制度を、作ったこと**である**。
〈**——**「家畜の医学は、**教えられる知識である**」**。
**そして、**「それを教える学校を、国家が持つべきである」**。
**——**その二つを、**実現した**。〉
**1779年、死去**。**六十六歳**。
**——**リヨンの校長のまま**。〉)
**その後**。
(——**19世紀、**細菌学**が、これに合流した**。
〈**——**パストゥールが、**炭疽と、鶏コレラと、豚丹毒**を、扱った**。
**——**そして、**ロベール・コッホの結核菌**。
**〈——牛結核が、**牛乳を通じて、人に移る**。〉**〉
**——**そして、**「一つの健康」**(One Health)。
〈**——**人の病気と、動物の病気と、環境は、**分けられない**、という考え方**。
**——**新興感染症の、**多くが、動物由来である**。
**〈狂犬病、インフルエンザ、エボラ、SARS、そしてCOVID-19。〉**
**——**その考え方の、**制度上の出発点が、ここにある**。〉)