できごと

安政江戸地震

Ansei Edo earthquake
AD1855年11月11日(安政2年10月2日)
重要度 3
ロシア帝国清スペイン帝国ラタナコーシン朝(シャム)ビルマ日本安南朝鮮王朝フィリピンカンボジアアイヌモシリAD1855年11月11日(安政2年10月2日)江戸
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概要

黒船の翌年の翌年、夜10時、江戸の直下で。死者1万人。水戸藩邸で藤田東湖が母をかばって圧死し、尊王攘夷の頭が一人消えた。鯰絵が何百種も刷られ、地震は「世直し」と描かれた。

場所

江戸
35.69°N 139.75°E · 日本・東京都(江戸城=現在の皇居)

本文

嘉永6年(1853年)の黒船来航から、日本の世の中は落ち着きを失っていた。翌年、幕府はアメリカと和親条約を結び、開国への道が開いた。その同じ年の暮れ、嘉永7年11月には、東海道から紀伊半島、四国にかけて、二つの巨大な地震が一日違いで起き、大きな津波が沿岸を襲った。年号は災いを払うために安政と改められた。その翌年、今度は江戸の真下が揺れた。

安政2年10月2日、いまの暦で1855年11月11日の夜四つ時、午後10時ごろ。震源は江戸湾の北部、いまの東京の東部のあたりとみられ、規模はマグニチュード7前後と推定されている。揺れが激しかったのは、隅田川の東の本所や深川、日比谷から丸の内にかけての埋め立て地など、地盤の弱い低地だった。家々は崩れ、夜で火を使っていた時刻のため、各所から火の手が上がった。吉原の遊郭も焼け、多くの遊女が逃げられずに死んだ。

死者は、町方だけで4000人を超えたと町奉行所が数えている。武家屋敷や寺社の死者は別に数えられ、全体では7000から1万人ほどと推定される。大名屋敷の被害は藩ごとに記録が残ったが、町の裏長屋の死者はすべてが数えられたわけではなかった。

小石川にあった水戸藩の上屋敷では、藩の重臣の藤田東湖が死んだ。東湖は揺れの中でいったん外へ逃れたが、母が火の始末を気にして屋内に戻ったのを追って引き返し、落ちてきた梁を肩で受け止めて母を外へ押し出し、自分は下敷きになったと伝えられる。満49歳だった。東湖は前藩主の徳川斉昭の腹心で、『弘道館記述義』などを書き、尊王攘夷の思想を説いて全国の志士に読まれた人だった。同じ夜、斉昭の側近だった戸田忠太夫も死んだ。水戸藩は藩政の柱を二人同時に失い、こののち藩内の争いが激しくなっていったとされる。

地震のあと、江戸の町には「鯰絵」と呼ばれる刷り物があふれた。地下に棲む大鯰が暴れると地震が起き、常陸の鹿島の神が要石で鯰の頭を押さえている、という言い伝えをもとにした戯画である。鯰を懲らしめる人々を描いたものがある一方で、大工や左官や材木屋が鯰に礼を言う絵、鯰が金持ちの腹を叩いて小判を吐き出させる絵もあった。家を建て直す仕事が増え、ため込まれた金が世の中に回る。地震は「世直し」でもある、という庶民の見方が、そこに描かれている。版元の名を入れない無許可の刷り物で、数か月のうちに数百種が出たとされる。幕府は取り締まったが、作るほうも買うほうも止まらなかった。

翌年には、地震の被害と逸話を絵入りでまとめた『安政見聞誌』が出版された。崩れた屋敷、燃える町、梁の下から助け出される人々、身を挺して家族を守った人の話などが集められ、仮名垣魯文らが筆を執ったとされる。瓦版も被害の様子と焼けた町の範囲を刷って売り、遠国の親類の安否を気づかう人々が買い求めた。災害を伝え、記録し、笑いにも変える出版の力が、江戸の町には育っていた。

幕府も町の救済に動き、焼け出された人々のために御救小屋を建てて、握り飯を配った。ただ、揺れたのは将軍のお膝元である。幕府の威信を支える江戸の町が焼け、大名屋敷が崩れた。参勤のために江戸に住む大名たちは屋敷の再建に大きな費用を負い、その財政をさらに圧迫した。

この地震を挟んで、世の中は大きく動いた。1858年、幕府は日米修好通商条約を結び、反対した者たちを処罰する安政の大獄が始まる。同じ年には長崎から入ったコレラが江戸で猛威をふるった(安政のコレラ)。黒船、大地震、津波、疫病が数年のうちに続き、人々はそれを世が変わるしるしとして受け止めた。安政江戸地震は、幕府が倒れる十数年前に起きた、首都の直下の地震だった。いまの東京で想定されている首都直下地震を考えるとき、繰り返し参照される地震でもある。

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