ヌルハチ
概要
女真の諸部をまとめ、八旗という軍と社会の単位を作り、明に七つの恨みを宣して挙兵した。その国が清になる。
関わったできごと(1)
サルフの戦いAD1619年 · 総指揮本文
1559年、明の東北の辺境、いまの中国遼寧省の山あいに住む建州女真の首長の家に生まれた。氏族の名はアイシン・ギョロ。アイシンは女真の言葉で「金」を意味する。女真は、かつて12世紀に金(女真)を建てて宋を南へ追った民の子孫だが、この頃は多くの部族に分かれ、明から首長たちが官職をもらって、辺境の市場で交易を許されていた。

10歳ほどで母を亡くし、継母との折り合いが悪く、若くして家を出たと伝えられる。山で朝鮮人参や松の実を採り、明の撫順の市場で売って暮らしを立てた。漢語を覚え、『三国志演義』や『水滸伝』を好んで読んだという話も伝わる。明の遼東の総兵、李成梁の配下に身を置いていたとも言われる。
1583年、運命が変わった。李成梁の明軍が、敵対する女真の首長の城を攻めたとき、城中にいたヌルハチの祖父と父が、巻き込まれて殺されたのである。二人は明の側に立って城の説得に入っていたとされ、明はこれを誤りと認め、詫びとして、交易の許可証にあたる勅書30通と馬30頭、官職を与えた。ヌルハチは、祖父と父を死に追いやった案内役の女真の首長ニカン・ワイランを仇と定め、父の遺した13の鎧を元手に兵を挙げたと伝えられる。25歳だった。
それから30年あまり、ヌルハチは女真の部族を一つずつ従えていった。明から与えられた勅書の数は交易の権利の量であり、交易の利益が兵と物を集める力になった。人参や毛皮、真珠を明に売り、鉄や布、穀物を買う。ヌルハチは人参を煮て干し、腐らせずに保存する方法を広めて、値崩れを防いだとも言われる。1593年には、彼の台頭を恐れた周辺の九つの部族の連合軍を打ち破った。明に対しては従順な臣下として振る舞い、何度も北京へ朝貢に出向いて、官位を上げてもらっている。1592年に日本が朝鮮に攻め込んだときには(文禄・慶長の役)、援軍を出そうと明に申し出て、朝鮮に断られている。

ヌルハチは、従えた人々をまとめる新しい仕組みを作った。300人の男子を一つの単位とし、それを束ねて大きな集団を作り、旗の色で分けた。1601年に4つ、1615年に8つの旗にした。これが八旗である。八旗は戦うための軍の編成であると同時に、平時に人々を治め、土地を分け、税を集める単位でもあった。女真の人々は誰もが、どこかの旗に属した。のちには従ったモンゴル人や漢人も、それぞれ別の八旗に組み込まれていく。
1599年には、学者に命じて、モンゴル文字を使って女真の言葉を書き表す文字を作らせた。満洲文字の始まりである。それまで女真は、文書をモンゴル語で書いていた。自分たちの言葉で記録を残すことは、一つの民としてのまとまりを作ることでもあった。

1616年、ヌルハチは本拠のヘトゥアラでハンの位に就き、国の名を「アマガ・アイシン(後の金)」とした。後金である。かつての金の名を掲げたのは、明と対等の国だという宣言だった。1618年、ヌルハチは明に対する7つの恨みを掲げて、天に誓って兵を挙げた。祖父と父を殺されたこと、明が敵の部族ばかりを助けることなどを並べたこの文書を「七大恨」と呼ぶ。まず撫順の町を落とした。
明は翌1619年、大軍を4つの道に分けて後金の都へ向かわせた。ヌルハチは「敵が何路で来ようと、我らは一路で行く」と言ったと伝えられる。兵を一か所に集め、離れて進む敵の部隊を一つずつ素早く叩いた。わずか数日で明の軍は崩れた(サルフの戦い)。明はこの敗北から立ち直れなかった。

その後、ヌルハチは遼東の平野へ進み、1621年に瀋陽と遼陽を落とし、1625年には都を瀋陽に移した。いまの瀋陽の故宮の始まりである。だが、支配下に入った大勢の漢人の扱いには苦しんだ。漢人の農民を女真の家に割り当てて働かせ、逆らう者を厳しく罰したため、各地で反乱や逃亡が相次ぎ、ヌルハチは大勢を殺している。身内にも容赦はなかった。弟の一人を幽閉して死なせ、長男も処刑した。
1626年、ヌルハチは山海関の手前にある寧遠城を攻めた。守る将軍の袁崇煥は、ポルトガル人から伝わった西洋式の大砲を城壁に並べていた。八旗の騎兵は砲撃に打ち砕かれ、ヌルハチは初めてと言われる大敗を喫した。同じ年の秋、ヌルハチは病で亡くなった。数えで68歳だった。寧遠の戦いで受けた傷が元だったという説もあるが、確かではない。

跡を継いだ子のホンタイジは、1636年に国の名を清と改め、朝鮮を屈服させた(丙子胡乱)。1644年、ヌルハチの孫にあたる順治帝の軍が北京に入り、清の中国支配が始まる(清の中国支配)。辺境の一部族の首長が始めた国は、それから260年あまり、中国を治めることになった。八旗の仕組みは清の終わりまで続き、満洲文字は清の公の文字の一つとして使われ続けた。