人物

正宗

Masamune
13世紀後半 – 14世紀前半(享年50・推定)
鎌倉幕府重要度 3

概要

鎌倉時代末の相模の刀工。相州伝を代表し、その名は名刀の代名詞となったが、生涯の多くは分からない。

本文

正宗は、鎌倉時代の終わりから南北朝時代の初めにかけて、相模国鎌倉で刀を作った刀工である。五郎入道正宗、岡崎正宗とも呼ばれる。のちに「正宗」の名は名刀の代名詞となり、日本刀の歴史でもっとも名の知られた刀工になった。しかし生まれた年も死んだ年も分からず、その生涯の多くは後世の講談や芝居の中にある。

武士の町だった鎌倉には、早くから刀鍛冶がいたと考えられる。第5代執権の北条時頼が京や備前から刀工を呼び寄せて刀を打たせたとも言われるが、相州鍛冶の実質的な祖とされるのは新藤五国光である。国光は「鎌倉住人新藤五國光作 永仁元年十月三日」(1293年)の銘を切った短刀を残しており、このころ鎌倉で刀を打っていたことが確かめられる。正宗はこの国光の弟子とされる。国光の弟子行光の子、あるいは弟で後に養子になったとする説もある。正宗の名は、正和5年(1316年)に書かれたとされる刀剣の書『銘尽』(後の写本が残る)の相模鍛冶の系図に、国光の弟子として現れる。

正宗が刀を打った年がはっきり分かる刀は、いまは健全な形では残っていない。ただ江戸時代の『享保名物帳』には、「相模国鎌倉住人正宗 正和三年十一月日」(1314年)と銘を切った短刀があったと記され、「嘉暦三年八月 相州住正宗」(1328年)の銘を持つ短刀は、大坂城の落城で焼けた後に焼き直されて徳川美術館に残る。ここから、正宗が活動したのは13世紀の末から14世紀の前半と見られている。この点は研究者のあいだで異論が無い。

正宗の生きた時代は、二度の元寇を経て、鎌倉幕府が倒れていく激動の時期だった。その作風は、硬さの違う鋼を組み合わせて鍛えた独特の地鉄と、焼き入れで刀身に現れる「沸(にえ)」と呼ばれる細かな粒の美しさを追い求めたところにある。刃文は大きくうねる湾れや互の目の乱れが多く、刃の中には金筋や稲妻と呼ばれる光る筋が走る。こうした作風を完成させた鍛え方は相州伝と呼ばれ、日本刀の五つの大きな流れ(五箇伝)の一つになった。

正宗の刀には銘の無いものが多い。在銘で確かとされるのは短刀が数振りと、太刀の「木下正宗」一振りほどにすぎない。在銘の短刀には「不動正宗」「京極正宗」「大黒正宗」などがある。太刀として作られたものの多くは、後の時代に使い手の背丈や戦い方に合わせて茎の側から大きく切り縮められ(大磨上)、そのときに銘が失われた。銘を入れなかった理由については、幕府の注文で打った刀や身分の高い人への献上品には銘を切らない習わしがあったとする説がある。

正宗の名は南北朝・室町時代の文献にも見えるが、名刀の代名詞となったのは近世に入ってからである。豊臣秀吉の時代、刀剣の研ぎと鑑定を家業とした本阿弥家が正宗を高く評価し、正宗の刀は大名への恩賞や贈り物として重んじられた。粟田口吉光・郷義弘と並べて「天下三作」とも呼ばれる。徳川吉宗が享保4年(1719年)に本阿弥光忠に命じて作らせた『享保名物帳』には、名物とされた刀248振りが載り、そのうち59振りが正宗だった。

名物の正宗には、持ち主の名をとった号がつく。石田三成が持っていた「石田正宗」、本多忠勝が徳川家康に献じた「中務正宗」、伊達政宗から池田長吉の手に渡った「池田正宗」。安国寺恵瓊の持ち物で、関ヶ原の戦いの後に恵瓊を捕らえた奥平信昌が家康に献じた短刀は、幅広の異様な姿から「庖丁正宗」と呼ばれる。刀が戦国の武将たちの手を渡り歩いた跡が、そのまま名前に残っている。国宝に指定された正宗は刀4振り、短刀5振りある。上杉家の本庄繁長が敵将から奪ったという「本庄正宗」は、戦後に連合国軍に接収されたまま行方が分からない。

関ヶ原の戦いに関わる図版:Sekigaharascreen
関ヶ原の戦いWikimedia Commons User LordAmeth on en.wikipedia Collection of The Town of Sekigahara Archive of History and Cultural Anthropology · Public domain

明治29年(1896年)、宮内省で刀剣を扱っていた鑑定家の今村長賀は、読売新聞の談話で、在銘の確かな正宗を見たことがないこと、正宗が名工と言われ出したのは秀吉以後であることを挙げ、秀吉が本阿弥家に作らせた虚名ではないかと述べた。これが「正宗抹殺論」である。しかしその後、古い記録や在銘作の研究が進み、正宗が実在して鎌倉で相州伝を代表した刀工だったことは、いまでは疑われていない。

正宗の弟子とされる「正宗十哲」は、作刀の年代が重ならない者を含み、後世の作り話とされる。生き別れた父の行光と涙の再会を果たす孝行息子の物語なども、講談や民謡の脚色である。それでも江戸時代の遺跡から「正宗」と書いたおもちゃの木刀が出るほど、その名は庶民にまで知れわたっていた。名刀を「正宗」と呼ぶ言い方は、いまのおもちゃの刀にまで残っている。

動画(1)

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