ガブリエル・ガルシア=マルケス
概要
『百年の孤独』で、祖母が怪異を淡々と語る口調をそのまま文体にした。ラテンアメリカ文学が世界に届く入口になる。
関わったできごと(1)
『百年の孤独』AD1967年 · 著者本文
1927年3月6日、コロンビアのカリブ海寄りの町アラカタカに生まれた。バナナ農園で栄えた町で、アメリカの果物会社(ユナイテッド・フルーツと「バナナ共和国」)が大きな力を持っていた。両親は仕事のために町を離れ、幼い彼は母方の祖父母の大きな家に預けられて、8歳ごろまでそこで育った。

祖父ニコラス・マルケスは、19世紀の終わりから20世紀の初めにかけての「千日戦争」と呼ばれる内戦を自由党の側で戦った退役大佐だった。孫の手を引いて町を歩き、戦争の話をし、サーカスに連れて行き、氷というものを見せた。生まれた翌年の1928年には、近くの町でストライキ中のバナナ農園の労働者が軍に撃たれる事件が起きていた。祖父の家では、その話も語られた。
祖母トランキリーナは、幽霊や予兆や死者の話を、天気の話をするのと同じ調子で語った。家には死んだ親族の霊がいるとされる部屋があり、少年は夜になると怖くて椅子から動けなかったという。のちに本人は、祖母のこの語り口、どんなに奇妙なことでも顔色ひとつ変えずに話す口調こそが、自分の文体になったと語っている。

ボゴタの大学で法律を学んだが、1948年、自由党の指導者が暗殺されて首都が暴動に包まれ、大学は閉鎖された。勉強をやめ、カリブ海沿岸の町で新聞記者になった。1955年、首都の新聞に、軍艦から落ちて10日間漂流した水兵の聞き書きを連載した。軍艦が密輸品を積みすぎていたことが事故の原因だと明らかにしたため、軍事政権の怒りを買い、ヨーロッパへ特派員として送り出された。そのままパリで仕事を失い、貧しい暮らしの中で小説を書き続けた。
1958年、幼なじみのメルセデスと結婚した。1961年からはメキシコ市に住み、映画の脚本や広告の仕事で家族を養った。

1965年、家族で車を走らせていたとき、書くべき小説の最初の一文が突然浮かんだという。引き返して机に向かい、ほとんど外に出ずに書き続けた。仕事をやめたため収入が途絶え、車を売り、家財を質に入れた。家計を支えたのは妻で、肉屋にも家主にも支払いを待ってもらった。1年半ほどかかって書き上げた原稿をブエノスアイレスの出版社に送ろうとしたが、郵便代が足りず、まず半分だけを送ったと本人は語っている。
1967年に出た『百年の孤独』は、出版されるとすぐに売り切れ、版を重ねた。マコンドという架空の町が生まれて消えるまでの百年を、ブエンディア家の七世代を通して描く。空飛ぶ絨毯、昇天する美女、4年11か月2日降り続く雨。そうした出来事が、内戦やバナナ会社の進出、労働者の虐殺と同じ平らな調子で書かれている。後に「魔術的リアリズム」と呼ばれる書き方である。40を超える言語に訳され、ラテンアメリカの小説が世界中で読まれる入口になった。

その後も、独裁者の孤独を描いた『族長の秋』、予告された殺人をめぐる『予告された殺人の記録』、半世紀以上待ち続ける恋を描いた『コレラの時代の愛』、解放者シモン・ボリバルの最期の旅を描いた『迷宮の将軍』と書き続けた。記者の仕事も生涯やめず、自ら雑誌や報道の学校を作った。
1982年、ノーベル文学賞を受けた。授賞式の講演の題は「ラテンアメリカの孤独」だった。この大陸の現実は、ヨーロッパの物差しで測られるとき、ますます理解されにくくなる、と彼は語った。独裁、虐殺、行方不明者。想像を超える現実の中で生きる人々にとって、自分の書くものは現実そのものなのだ、という主張だった。
政治には深く関わった。キューバ革命を支持し、フィデル・カストロとは長く親しく、その関係はたびたび批判された。一方で、コロンビアの政府とゲリラの和平交渉の仲立ちや、政治犯の釈放を求める働きかけもしている。

1999年にリンパのがんが見つかり、それを機に回想録『生きて、語り伝える』を書いた。晩年は記憶が衰えた。2014年4月17日、メキシコ市で亡くなった。87歳だった。コロンビアでは国を挙げて喪に服し、親しみを込めて呼ばれた愛称「ガボ」の名が、新聞の見出しに並んだ。