コンモドゥス
概要
マルクス・アウレリウスの息子。ゲルマン戦争を金で終わらせ、闘技場で剣闘士として戦い、自分をヘラクレスと呼び、ローマを自分の名に改めた。愛人と侍従に毒を盛られ、それが効かず、風呂で絞められた。
所属
ローマ帝国関わったできごと(1)
コンモドゥスの暗殺と五皇帝の年AD192年12月31日 · 皇帝本文
161年8月31日、ローマ近郊のラヌウィウムで、皇帝アントニヌス・ピウスの養子マルクス・アウレリウスの子として生まれた。双子の兄弟がいたが、幼くして死んでいる。ネルウァからマルクスまでの、のちに「五賢帝」と呼ばれる皇帝たちは、実の息子に恵まれなかったこともあって、元老院議員の中から有能な者を養子に選んで帝位を継がせてきた。マルクス・アウレリウスには成人した実子がいた。それだけのことで、この習わしは終わった。コンモドゥスは、皇帝の在位中に生まれた息子として帝位を継いだ最初のローマ皇帝になる。
父は哲学者の皇帝として知られ、息子にも最良の教師をつけた。だが治世の大半はドナウ川の向こうのマルコマンニ人やクァディ人との戦いに費やされ、帝国はアントニヌスの疫病にも苦しめられていた。コンモドゥスは177年、15歳で父の共同皇帝に任じられ、前線にも同行した。180年3月、父がドナウの陣中で病死すると、18歳で単独の皇帝になった。

彼はまもなく部族と講和を結び、ローマへ帰った。父の顧問たちは、あと一押しで北方の諸部族を制圧できると考えていたから、この決断は後世の歴史家から怠惰と臆病の表れと書かれた。ただ、長い戦争で財政も兵も疲れていたことを考えれば、講和は一つの現実的な選択だったと見る研究者もいる。
182年、姉のルキッラが一部の元老院議員と組んで暗殺を企てた。刺客は短剣を見せつけながら「元老院がこれを送る」と叫んだため、斬りかかる前に取り押さえられた。ルキッラは島へ流されてのちに殺された。カッシウス・ディオらは、この事件以来コンモドゥスは元老院を憎み、人を信じなくなったと書いている。

政治は寵臣に任せきりになった。最初は近衛長官のペレンニスが実権を握ったが、185年に兵士たちの訴えで失脚して殺された。次に解放奴隷のクレアンデルが官職を売って富を蓄え、190年、ローマで穀物が不足すると、民衆は彼のせいだとして暴動を起こした。コンモドゥスはクレアンデルの首を民衆に差し出して事を収めた。寵臣が憎まれるたびに、皇帝はその寵臣を切り捨てて自分は生き延びた。
その間、皇帝の関心は闘技場に向いていた。彼は自分を英雄ヘラクレスの生まれ変わりと称し、獅子の皮をまとい棍棒を持った姿の像を作らせた。ローマの美術館に残る胸像がそれである。そして自ら剣闘士として闘技場に立ち、獣を射止め、剣闘士と戦った。皇帝が剣闘士のまねをすることは、ローマの上流の人びとにとって耐えがたい恥だった。後代の伝記集『ヒストリア・アウグスタ』は、足の不自由な人びとを神話の巨人に仕立て、棍棒で打ち殺したという話まで伝えるが、この伝記集には誇張や創作が多い。

元老院議員として闘技場に居合わせたカッシウス・ディオは、自分の目で見た場面を書き残している。皇帝はダチョウの首を切り落とすと、その首を左手に、血のついた剣を右手に持って議員の席の前に来て、何も言わずに首を振ってみせた。お前たちもこうなる、という意味だった。議員たちは恐ろしさよりも笑いをこらえるのに苦しみ、ディオは自分の冠の月桂樹の葉を噛んで、周りの者にもそうさせたという。
晩年の彼は、ますます自分を神格化した。ローマの町を「コロニア・コンモディアナ」と改め、元老院も軍団も艦隊も自分の名で呼ばせ、ついには1年の12の月の名を、すべて自分の名と称号に置き換えた。ルキウス、アエリウス、アウレリウス、コンモドゥス、アウグストゥス、ヘルクレウス、ロマヌス、エクスペラトリウス、アマゾニウス、インウィクトゥス、フェリクス、ピウスである。

192年の暮れ、彼が翌年1月1日の執政官の就任の儀式に、剣闘士の姿で臨むつもりだという話が広まった。周りの者たちは身の危険を感じた。愛人のマルキア、侍従のエクレクトゥス、近衛長官のラエトゥスは、大晦日の夜、皇帝に毒を盛った。だが彼は吐き戻してしまった。そこで彼らは、皇帝の格闘の稽古相手だったナルキッソスという若者を呼び、入浴中の皇帝を絞め殺させた。31歳だった。
元老院は彼を「祖国の敵」とし、碑文や記録からその名を削る決議をした。ところが数年後、内戦に勝って皇帝になったセプティミウス・セウェルスは、自分をマルクス・アウレリウスの養子だと称して正統性を得るため、コンモドゥスを「兄」として神格化した。

コンモドゥスの死から、ローマはコンモドゥスの暗殺と五皇帝の年と呼ばれる内乱に入る。18世紀のギボンは『ローマ帝国衰亡史』の冒頭で、五賢帝の時代を人類が最も幸福だった時代と呼び、その終わりにコンモドゥスを置いた(物語「『ローマ帝国衰亡史』で読むローマ」)。2000年の映画『グラディエーター』の悪役としての彼は広く知られているが、父を殺したという筋書きは創作である。