人物

チャールズ・チャップリン

Charlie Chaplin
AD1889年4月16日 – AD1977年12月25日(享年88)
イギリス重要度 3

概要

山高帽にちょびひげの放浪紳士で世界を笑わせた、イギリス出身の映画俳優・監督。「喜劇王」と呼ばれた。

本文

チャールズ・スペンサー・チャップリンは、1889年4月16日にロンドンで生まれた。両親はどちらも寄席(ミュージック・ホール)の芸人だったが、父は酒におぼれて家を離れ、早くに亡くなった。母ハンナは舞台で声が出なくなって仕事を失い、やがて心を病んで施設に入った。チャップリンと異父兄のシドニーは救貧院や貧しい子どもの学校を転々とし、ロンドンの裏町で飢えをしのぎながら育った。のちの映画に繰り返し出てくる、貧しさと孤独と、それでも失わないおかしみは、この少年時代から来ている。

10歳になる前から舞台に立ち、やがてフレッド・カーノの喜劇一座に入って腕を磨いた。一座のアメリカ巡業中に映画会社の目に留まり、1913年末にキーストン社と契約した。1914年、だぶだぶのズボンに窮屈な上着、大きすぎる靴、山高帽にステッキ、ちょびひげという扮装が生まれる。のちに「放浪紳士(トランプ)」と呼ばれるこの人物は、貧しくても紳士の誇りを捨てず、警官や金持ちを出し抜いて、最後はひとり道の向こうへ歩き去っていく。映画が始まってまだ20年ほどの時代に、チャップリンは世界でいちばん顔を知られた人物の一人になった。

彼は演じるだけでなく、脚本・監督・製作、のちには音楽まで自分で手がけた。1919年にはメアリー・ピックフォードやD・W・グリフィスらと映画会社ユナイテッド・アーティスツを興し、作品を自分の思いどおりに作れる立場を手に入れた。『キッド』(1921年)では捨て子を育てる放浪紳士を、『黄金狂時代』(1925年)では雪山で靴を煮て食べる男を演じた。撮り直しを何十回、何百回と重ねる完璧主義で知られる。

1927年に映画に声が入り(映画がしゃべる)、映画は音のある時代に移ったが、チャップリンは放浪紳士にしゃべらせることを拒み、『街の灯』(1931年)と『モダン・タイムス』(1936年)を、音楽と効果音だけの映画として作った。『モダン・タイムス』では、工場の流れ作業に追い立てられて歯車に巻き込まれる男を描き、機械に使われる人間の姿を笑いの中に見せた。

初めて本格的に声を使ったのが『独裁者』である。ヒトラーをあからさまにまねた独裁者と、彼にそっくりなユダヤ人の床屋の二役を演じ、最後に床屋が独裁者になりすまして人間の良心を訴える長い演説をする。アメリカがまだ参戦していない時期に、ナチス・ドイツを正面から笑い者にした作品だった。

日本とのつながりも深い。長く秘書や運転手を務めた高野虎市は広島出身の日本人で、チャップリンは日本人の使用人を何人も雇った。1932年5月に初めて来日したとき、首相の犬養毅との会見が予定されていたが、5月15日、チャップリンは犬養の息子の健と相撲見物に出かけていた。その日、海軍の青年将校らが首相官邸を襲って犬養を殺した(五・一五事件)。のちの裁判で、将校らが歓迎会にいるチャップリンも襲う計画を話し合っていたことが明らかになっている。その後も何度か来日し、天ぷらをたいそう気に入って、一度にえび天を何十本も平らげたという話が伝えられている。歌舞伎も好んだ。

第二次世界大戦後のアメリカでは、チャップリンは政治的に左寄りだとして非難を浴びた。私生活の訴訟や、アメリカ国籍を取らずにいたことも攻撃の材料になった。マッカーシズムの空気が広がるなか、1952年、『ライムライト』の公開のためにロンドンへ向かう船の上で、アメリカへの再入国の許可を取り消されたことを知る。彼はアメリカに戻らず、スイスのレマン湖のほとりに家を構えて残りの生涯を過ごした。

マッカーシズムに関わる図版:Anticommunist Literature 1950s
マッカーシズムWikimedia Commons Anticommunist_Literature_1950s.tiff : Myron Coureval Fagan derivative work: Comte0 ( talk ) · Public domain

4度目の妻ウーナ(劇作家ユージン・オニールの娘)とのあいだには8人の子が生まれ、晩年は穏やかだった。1972年、20年ぶりにアメリカを訪れてアカデミー賞の名誉賞を受け、会場は長い拍手に包まれた。1975年にはイギリスでナイトに叙された。1977年12月25日、スイスの自宅で88歳で亡くなった。翌年、遺体が墓から盗まれて身代金を要求される事件が起き、のちに見つかって改めて葬られている。

チャップリンの映画は、笑わせながら、貧しい者や弱い者の側に立って社会を見つめた。「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見ると喜劇だ」という言葉は彼のものとして知られている。その作品はいまも世界中で上映され、無声映画の時代を代表する芸術家として、別格の位置を占めている。

動画(1)

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