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Event / できごと

東海道の宿場

The post stations of the Tokaido
AD1601年
重要度 4
ロシア帝国中央アジアの諸ハン国スペイン帝国チベットチュクチアユタヤ朝Koryaks日本シャン諸邦大越朝鮮王朝Itelmen大越ビルマの諸王国カンボジアラオスLan NaアイヌモシリPeguAD1601年江戸
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1601年の版図を描いています(20勢力)

概要

関ヶ原の翌年、家康が東海道に伝馬の制度を敷いた。各宿に馬と人足を常備させ、公用の荷を次の宿へ渡す。後に五十三の宿が整う。宿は問屋場で継立を差配し、本陣に大名を、旅籠に一般の旅人を泊めた。義務は重い。人馬が足りなければ周辺の村から助郷として徴発され、これが農村の大きな負担になった。同時に、旅籠と茶屋と土産が育ち、庶民の旅が成立する。待つことが、産業になった最初期の例である。

場所

江戸
35.69°N 139.75°E · 日本・東京都(江戸城=現在の皇居)

本文

**制度**。

**1601年(慶長六年)**。

(——**関ヶ原の、翌年**である**。

〈**——**家康が、**東海道の各宿に、**伝馬朱印状**を、与えた**。

**——**「馬三十六疋を、常備せよ」**。

**——**そして、**公用の荷を、**次の宿へ、継ぎ送る**。〉

**——**まず、**軍事と、行政のため**である**。

〈**——**急使を、走らせる**。

**——**そして、**大坂と、京都と、江戸を、繋ぐ**。

**〈——大坂には、**まだ、豊臣が、いる**。〉**〉

**——**そして、**次第に、**五十三の宿**が、整った**。

〈**——**日本橋から、**三条大橋**まで**。

**——**約492キロ**。〉)

**宿の中身**。

(**(1)**問屋場**(といやば)。

〈**——**継立の、事務所**である**。

**——**人馬の、割り当て**。

**——**そして、**荷の、受け渡しと、記録**。

**——**責任者が、**問屋**、そして**年寄**と**帳付**。〉

**(2)**本陣**。

〈**——**大名、公家、幕府の役人**が、泊まる**。

**——**宿場の、有力者の家が、指定された**。

**——**そして、**門と、玄関と、上段の間**を、持つことを、許された**。

**〈——身分の高い者が泊まるので、**格式が、要る**。〉**

**——**そして、**採算が、合わない**。

**〈——宿賃が、**格式に見合わないほど、低く抑えられていた**。**

**——「泊めてやる」のではなく、**「泊めさせていただく」**という建前である。**

**——だから、**本陣が、傾いた**例が、多い。〉**

**——**そして、**脇本陣**(本陣が塞がったとき)。〉

**(3)**旅籠**(はたご)。

〈**——**一般の旅人**。

**——**そして、**「食事付き」**である**。

**——**さらに、**飯盛旅籠**。

**〈——「飯盛女」。**

**——建前は、給仕の女中である。**

**——実際には、**売春が、黙認されていた**。**

**——幕府は、**人数を、宿ごとに、制限した**(一軒に二人まで、など)。**

**——そして、守られなかった。〉**〉

**(4)**木賃宿**(きちんやど)。

〈**——**薪代だけ、払う**。

**——**自分で、米を持ち込み、**炊く**。

**——**最も、安い**。〉

**(5)そして、**茶屋、土産物屋、そして飛脚の取次**。〉)

**助郷**。

(——**そして、**これが、**この制度の、最も重い部分である**。

〈**——**宿場の常備の人馬では、**足りないことがある**。

**〈——大名行列。**

**——数百人から、**加賀藩なら、二千人を超える**。**

**——そして、それが、**参勤交代で、毎年、通る**。〉**

**——**そのとき、**周辺の村から、**人と馬を、徴発する**。

**——**「助郷」**(すけごう)。〉

**——**負担**。

〈**(1)**無償、あるいは、**極端に安い**。

**(2)**そして、**農繁期でも、**呼ばれれば、行かなければならない**。

**(3)さらに、**指定される村の範囲が、**次第に、広がった**。

**〈——「定助郷」「加助郷」「当分助郷」。**

**——数十キロ離れた村まで、指定された。〉**

**(4)そして、**行くだけで、**数日、かかる**。〉

**——**結果**。

〈**——**助郷の負担をめぐる、**訴訟と、一揆**が、**繰り返し、起きた**。

**〈——記録に残るものだけで、多数。**

**——特に、幕末に、増えた。**

**——外国人の通行と、幕府の軍の移動が、増えたからである。〉**

**——**「街道を、維持する費用を、**沿道の農民が、払っていた」**。

**——**ローマのクルスス・プブリクスと、**同じ構造である**。〉)

**そして、旅**。

(——**同時に、**庶民の旅が、成立した**。

〈**——**理由**。

**(1)**街道が、**安全になった**。

**〈——盗賊が、減った。〉**

**(2)**宿と、食事が、**確保できる**。

**(3)**そして、**理由が、あった**。

**〈——**伊勢参り**。**

**——「お蔭参り」の年には、**数百万人**が、動いた、とされる。**

**——そして、**善光寺、金毘羅、そして西国三十三所**。**

**——「信仰」という名目があれば、**手形が、出る**。〉**

**(4)さらに、**案内書**。

**〈——『東海道名所記』(1660年頃)。**

**——そして、**十返舎一九『東海道中膝栗毛』**(1802年から)。**

**——さらに、**広重『東海道五十三次』**(1833年)。**

**——「行く前に、**どんな場所か、知っている**」。〉〉**

**——**そして、**「待つこと」が、**産業になった**。

〈**——**宿場に、**人が、留まる**。

**——**そして、**そこで、**金を、使う**。

**——**名物**。

**〈——鞠子のとろろ汁。**

**——桑名の焼き蛤。**

**——そして、草津のうばがもち。〉**

**——**それが、**いまの、駅弁と、土産物の、遠い祖先である**。〉)

**終わり**。

(**1872年、**新橋・横浜間の鉄道**。

〈**——**そして、**街道の宿場が、**急速に、寂れた**。〉

**1889年、**東海道線が、全通した**。

〈**——**そして、**線路が、通らなかった宿場**が、**取り残された**。

**〈——逆に、**それが、古い町並みを、残した**。**

**——関宿(三重)。**

**——そして、中山道の妻籠と馬籠。〉**〉

**——**そして、**駅**。

〈**——**「駅」**という語は、**もともと、**街道の宿駅**である**。

**——**それが、**鉄道の停車場に、そのまま、使われた**。

**〈——「駅」「駅長」「駅弁」。**

**——千三百年前の、律令の語である。〉**〉)

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