概要
関ヶ原の翌年、家康が東海道に伝馬の制度を敷いた。各宿に馬と人足を常備させ、公用の荷を次の宿へ渡す。後に五十三の宿が整う。宿は問屋場で継立を差配し、本陣に大名を、旅籠に一般の旅人を泊めた。義務は重い。人馬が足りなければ周辺の村から助郷として徴発され、これが農村の大きな負担になった。同時に、旅籠と茶屋と土産が育ち、庶民の旅が成立する。待つことが、産業になった最初期の例である。
場所
35.69°N 139.75°E · 日本・東京都(江戸城=現在の皇居)
本文
**制度**。
**1601年(慶長六年)**。
(——**関ヶ原の、翌年**である**。
〈**——**家康が、**東海道の各宿に、**伝馬朱印状**を、与えた**。
**——**「馬三十六疋を、常備せよ」**。
**——**そして、**公用の荷を、**次の宿へ、継ぎ送る**。〉
**——**まず、**軍事と、行政のため**である**。
〈**——**急使を、走らせる**。
**——**そして、**大坂と、京都と、江戸を、繋ぐ**。
**〈——大坂には、**まだ、豊臣が、いる**。〉**〉
**——**そして、**次第に、**五十三の宿**が、整った**。
〈**——**日本橋から、**三条大橋**まで**。
**——**約492キロ**。〉)
**宿の中身**。
(**(1)**問屋場**(といやば)。
〈**——**継立の、事務所**である**。
**——**人馬の、割り当て**。
**——**そして、**荷の、受け渡しと、記録**。
**——**責任者が、**問屋**、そして**年寄**と**帳付**。〉
**(2)**本陣**。
〈**——**大名、公家、幕府の役人**が、泊まる**。
**——**宿場の、有力者の家が、指定された**。
**——**そして、**門と、玄関と、上段の間**を、持つことを、許された**。
**〈——身分の高い者が泊まるので、**格式が、要る**。〉**
**——**そして、**採算が、合わない**。
**〈——宿賃が、**格式に見合わないほど、低く抑えられていた**。**
**——「泊めてやる」のではなく、**「泊めさせていただく」**という建前である。**
**——だから、**本陣が、傾いた**例が、多い。〉**
**——**そして、**脇本陣**(本陣が塞がったとき)。〉
**(3)**旅籠**(はたご)。
〈**——**一般の旅人**。
**——**そして、**「食事付き」**である**。
**——**さらに、**飯盛旅籠**。
**〈——「飯盛女」。**
**——建前は、給仕の女中である。**
**——実際には、**売春が、黙認されていた**。**
**——幕府は、**人数を、宿ごとに、制限した**(一軒に二人まで、など)。**
**——そして、守られなかった。〉**〉
**(4)**木賃宿**(きちんやど)。
〈**——**薪代だけ、払う**。
**——**自分で、米を持ち込み、**炊く**。
**——**最も、安い**。〉
**(5)そして、**茶屋、土産物屋、そして飛脚の取次**。〉)
**助郷**。
(——**そして、**これが、**この制度の、最も重い部分である**。
〈**——**宿場の常備の人馬では、**足りないことがある**。
**〈——大名行列。**
**——数百人から、**加賀藩なら、二千人を超える**。**
**——そして、それが、**参勤交代で、毎年、通る**。〉**
**——**そのとき、**周辺の村から、**人と馬を、徴発する**。
**——**「助郷」**(すけごう)。〉
**——**負担**。
〈**(1)**無償、あるいは、**極端に安い**。
**(2)**そして、**農繁期でも、**呼ばれれば、行かなければならない**。
**(3)さらに、**指定される村の範囲が、**次第に、広がった**。
**〈——「定助郷」「加助郷」「当分助郷」。**
**——数十キロ離れた村まで、指定された。〉**
**(4)そして、**行くだけで、**数日、かかる**。〉
**——**結果**。
〈**——**助郷の負担をめぐる、**訴訟と、一揆**が、**繰り返し、起きた**。
**〈——記録に残るものだけで、多数。**
**——特に、幕末に、増えた。**
**——外国人の通行と、幕府の軍の移動が、増えたからである。〉**
**——**「街道を、維持する費用を、**沿道の農民が、払っていた」**。
**——**ローマのクルスス・プブリクスと、**同じ構造である**。〉)
**そして、旅**。
(——**同時に、**庶民の旅が、成立した**。
〈**——**理由**。
**(1)**街道が、**安全になった**。
**〈——盗賊が、減った。〉**
**(2)**宿と、食事が、**確保できる**。
**(3)**そして、**理由が、あった**。
**〈——**伊勢参り**。**
**——「お蔭参り」の年には、**数百万人**が、動いた、とされる。**
**——そして、**善光寺、金毘羅、そして西国三十三所**。**
**——「信仰」という名目があれば、**手形が、出る**。〉**
**(4)さらに、**案内書**。
**〈——『東海道名所記』(1660年頃)。**
**——そして、**十返舎一九『東海道中膝栗毛』**(1802年から)。**
**——さらに、**広重『東海道五十三次』**(1833年)。**
**——「行く前に、**どんな場所か、知っている**」。〉〉**
**——**そして、**「待つこと」が、**産業になった**。
〈**——**宿場に、**人が、留まる**。
**——**そして、**そこで、**金を、使う**。
**——**名物**。
**〈——鞠子のとろろ汁。**
**——桑名の焼き蛤。**
**——そして、草津のうばがもち。〉**
**——**それが、**いまの、駅弁と、土産物の、遠い祖先である**。〉)
**終わり**。
(**1872年、**新橋・横浜間の鉄道**。
〈**——**そして、**街道の宿場が、**急速に、寂れた**。〉
**1889年、**東海道線が、全通した**。
〈**——**そして、**線路が、通らなかった宿場**が、**取り残された**。
**〈——逆に、**それが、古い町並みを、残した**。**
**——関宿(三重)。**
**——そして、中山道の妻籠と馬籠。〉**〉
**——**そして、**駅**。
〈**——**「駅」**という語は、**もともと、**街道の宿駅**である**。
**——**それが、**鉄道の停車場に、そのまま、使われた**。
**〈——「駅」「駅長」「駅弁」。**
**——千三百年前の、律令の語である。〉**〉)