概要
中国の三弦が琉球に入って三線になり、蛇皮を張った。それが16世紀の半ば、堺に来た。日本には蛇がいないので、猫と犬の皮を張った。琵琶法師が、撥で弾く技法を持ち込んだ。棹に勘所を示す印がなく、音程を耳で取る。この楽器が、浄瑠璃と歌舞伎と、遊里の音楽を担った。町人の音楽の中心になり、江戸の音の風景を変えた。
場所
34.57°N 135.48°E · 大阪府
本文
中国に三弦(サンシェン)という楽器がある。長い棹、蛇の皮を張った小さな胴、三本の弦。元・明の頃、北方の遊牧の楽器が中国に入ったものとされる。
これが琉球に伝わって、**三線(サンシン)**になった。ニシキヘビの皮。爪(水牛の角の義甲)で弾く。
16世紀の半ば、琉球と交易していた堺に、この楽器が来た。渡来の年を1562年とする説(『糸竹初心集』などの近世の記述による)があるが、確かな記録ではない。
**日本での変化**。
(1)**皮**。日本に大きな蛇はいない。猫の皮(腹の皮。乳の跡が残る)と、犬の皮を使うようになった。
(2)**撥**。琉球では爪で弾く。日本では、琵琶法師が最初の弾き手になったので、琵琶の大きな撥を使った。撥は皮を叩く。だから、弦の音と、太鼓のような打音が同時に出る。
(3)**棹**。棹を三つに分解できるようにした(三つ折れ)。持ち運びのため。
(4)**サワリ**。一の糸を、上駒に掛けずに、棹に直接触れさせる。すると、弾いたときに「ビーン」という濁った倍音が乗り続ける。これは意図的に作られた雑音である。琵琶の「さわり」から来た。西洋の楽器が排除しようとするものを、この楽器は積極的に加えた。
(5)**勘所に印がない**。フレットがない。音程は、弾き手が耳と指で覚える。
**担った音楽**。
浄瑠璃。それまで扇拍子や琵琶で語られていた語り物が、三味線を得た。1600年前後、人形と結びつく(人形浄瑠璃)。竹本義太夫と近松門左衛門。太棹の三味線が、腹に響く低音で、悲劇を支える。
歌舞伎。長唄。細棹。囃子とともに、舞台の音を作った。
地歌。上方の、当道座の盲人音楽家たちの芸。箏と組んで、三曲になった。
そして、遊里。端唄、小唄、都々逸。座敷で、酒とともに。
新内、清元、常磐津、義太夫——三味線音楽が、江戸の都市の音の風景そのものになった。町を歩けば、稽古の音が聞こえた。
**社会**。演奏家の多くは、盲人(当道座)と、遊女と、被差別の身分の芸能民だった。皮を扱う仕事も同じである。楽器そのものが、その分業の上に立っていた。
**現在**。津軽三味線(明暗の激しい撥使い。ボサマと呼ばれた盲目の門付け芸人の系譜)。義太夫と長唄と地歌は、それぞれ棹の太さと音を変えて、いまも続いている。
猫の皮は、いまはほとんど使われず、犬の皮と、合成の皮が使われる。