シアーズの目録
概要
アメリカの農村では、雑貨屋が一軒しかなく、品数も値段も、その主人が決めていた。鉄道の駅員だったリチャード・シアーズが、売れ残りの時計を通信で売ったのが始まりである。分厚い目録を無料で配り、鉄道と郵便で届けた。品数は十万を超え、衣類、農具、楽器、薬、そして組み立て式の住宅まで載った。字の読める者が家族に読み聞かせた。地方の値段が、全国の値段に引き寄せられる。1970年代まで、アメリカ最大の小売業者だった。
場所
41.88°N -87.63°E · アメリカ・イリノイ州
本文
19世紀後半のアメリカでは、人口の大部分が農村に住んでいた。農家が買い物のできる場所といえば、たいてい近くの町の雑貨屋一軒だけである。品数は少なく、値段は主人が決めた。ほかに店が無いのだから、競争は起きない。しかも支払いは掛け売りが多く、収穫が終わるまで帳面に付けておき、そこに利子が乗った。農民は借金で店に縛られることにもなった。
その農村に、鉄道が延びていった。1869年には大陸横断鉄道の開通が東西をつなぎ、シカゴはその鉄道網の要の町になった。郵便も変わった。都市では1863年に家まで無料で手紙を届ける配達が始まり、農村でも1896年から無料配達が試され、やがて全国に広がる。それまで農民は、町の郵便局まで郵便を取りに行かなければならなかった。1913年には連邦の郵便が小包も扱うようになる。それまで小包は民間の運送会社に頼むしかなく、料金が高かった。

鉄道と郵便を使って、店の無い場所へ品物を届ける商売を最初に大きく育てたのは、モンゴメリー・ワードである。行商をしていて農村の商売の不便を見てきたアーロン・モンゴメリー・ワードは、1872年にシカゴで目録による通信販売を始めた。最初の目録はたった一枚の紙だった。農民の組合と手を組み、満足できなければ代金を返すという約束を掲げた。品物を見ずに買うのだから、その保証が無ければ誰も注文しない。これが決め手になった。
シアーズは、その後から来た。リチャード・ウォーレン・シアーズ(1863〜1914年)は、ミネソタの小さな駅の駅員だった。1886年、駅に宝石商あての金時計の箱が届いたが、宝石商は受け取りを拒んだ。頼まれていない品を送りつけて売るのは、当時よくある商法だった。シアーズはその時計を安く買い取り、沿線のほかの駅員に電信で売った。駅員は時刻を扱う仕事で、時計を必要としていた。これが儲かったので、彼は同じことを繰り返した。

翌年、シアーズはシカゴに移り、時計を直す職人としてアルヴァ・カーティス・ローバックを雇った。1893年、会社は「シアーズ・ローバック」の名になる。扱う品はやがて時計から、あらゆるものへ広がっていった。
目録は年ごとに厚くなった。1894年には300ページを超え、1897年には700ページを超え、20世紀に入ると1000ページを超える年もあった。それを無料で配った。衣類、靴、帽子、家具、ストーブ、農具、種、自転車、ミシン、楽器、銃、薬、玩具、墓石まで載っていた。1908年からは組み立て式の住宅も売り出した。注文すると、材木と部品と、一本一本に番号を振った説明書が貨車で届く。1940年までにおよそ7万戸が売れ、その多くはいまもアメリカ各地に建っている。同じ1908年には自動車も載せたが、こちらは売れず、数年でやめた。

目録の文章は、シアーズ自身がよく書いた。具体的で、数字が入り、読む人に話しかけるような親しげな調子である。誇張も少なくなく、薬の広告などはのちに規制の対象になっていく。
農家にとって、目録はただの商品の一覧ではなかった。字の読める者が家族に読んで聞かせ、子どもはページをめくって欲しいものを夢見た。「消費者の聖書」とも呼ばれ、のちにはクリスマス用の目録が「望みの本」と名付けられる。古くなった目録は屋外の便所で紙の代わりに使われ、光沢のある紙に変わったときには苦情が来た、という笑い話まで残っている。

目録は、地方の値段を変えた。目録に値段が印刷されている以上、町の雑貨屋はそれよりずっと高くは売れない。地方の値段は全国の値段に引き寄せられた。都会と同じ品が、農村でも買えるようになった。地元の商人たちは目録の会社を敵とみなし、目録を集めて焼く集まりを開いた町もあった。
南部の黒人の農民にとっては、別の意味もあった。地元の店では後回しにされ、高い値を付けられ、屈辱を受けることが多かった。目録なら顔は見えない。注文書と代金を郵便で送るだけで、白人と同じ値段で同じ品が届く。歴史家たちは、この点を繰り返し論じている。のちに社長となる実業家ジュリアス・ローゼンウォルドは、教育者ブッカー・T・ワシントンと組んで、南部の黒人の子どものための学校を5000校近く建てる資金を出した。

20世紀に入ると、時代が変わり始めた。1920年の国勢調査で、都市に住む人が初めて農村に住む人を上回る。T型フォードが普及し、農民は自分で車を運転して町へ買い物に行けるようになった。シアーズは1925年から実店舗を開き始め、郊外の店で大きく伸びた。1970年代まで、アメリカ最大の小売業者であり続ける。1973年にシカゴに完成した本社のシアーズ・タワーは、当時世界で最も高いビルだった。
だが、その後は振るわなくなった。1993年、シアーズは101年続いた総合目録の発行を打ち切る。それから間もなく、インターネットで品物を売る会社が現れた(ネットで本を売る)。2018年、シアーズは破産を申し立てた。

その衰えについて、繰り返し言われることがある。シアーズはもともと、遠くの客に、見ずに買える仕組みを届ける会社だった。目録と鉄道と郵便でやっていたことを、インターネットと宅配でやり直せばよかったのに、それをしなかった。代わりにそれをやったのが新しいネットの会社だった、というのである。店の無い場所へ、紙に刷った値段と返品の約束を届ける。19世紀の農村で始まったその発想は、形を変えて、いま私たちが画面で品物を選ぶ暮らしにつながっている。