概要
かつて北アメリカで最も数の多い鳥だった。推定50億羽。群れが通ると空が数日暗くなったと記録されている。1860年代から、電信で群れの位置を知らせ、鉄道で運ぶ商業的な狩猟が始まった。この鳥は密集して繁殖するので、繁殖地を襲えば一挙に絶える。40年で消えた。最後の一羽マーサが、1914年9月1日午後1時、シンシナティ動物園で死んだ。これほど多い種でも絶滅しうるという事実が、アメリカの自然保護法制を動かした。
場所
39.10°N -84.51°E · アメリカ・オハイオ州
本文
**数**。
**リョコウバト**(*Ectopistes migratorius*)。
19世紀の初め、北アメリカに**30億〜50億羽**いたと推定される。
**当時の北アメリカの、すべての鳥の4分の1から3分の1**を占めていた、と考えられている。
**地球上で、最も個体数の多い鳥**だった。
**群れ**。
記録が残っている。
**1813年、ジョン・ジェームズ・オーデュボン**(鳥類画家)が、ケンタッキー州で見たもの。
「**空気が、文字通り、鳩で満たされていた。真昼の光が、日食のように遮られた**。……糞が、溶けかけた雪のように降ってきた。……
私は、時計を出して、数え始めた。……21分後、私は数えるのをやめた」。
彼は、その群れが**3日間**、通り続けたと書いている。
**1866年**、オンタリオ州南部。ある観察者が記録した群れ。
幅**1.5km**、長さ**500km**。通過に**14時間**。
推定、**35億羽**。
**繁殖**。
彼らは、**密集して繁殖した**。
一つの営巣地が、数百平方キロメートルに及ぶ。
一本の木に、**50から100以上の巣**。枝が、鳥の重さで折れた。
1871年、ウィスコンシン州の営巣地は、**2200平方キロメートル**(東京都の面積の約1倍)に広がり、**1億3600万羽**が集まったと推定されている。
**一羽が、一度に産む卵は、1個**である。
**この、極端な集中性が、致命的だった**。
**なぜ絶滅したか**。
**(1)商業的な狩猟**。
1850年代から、大規模な商業化が始まった。
**電信**——群れが発見されると、電報で全米の狩猟者に知らされた。
**鉄道**——狩猟者が現地へ行き、そして肉を都市へ運ぶ。
方法。
- **散弾銃**で群れに撃ち込む。一発で数十羽が落ちる。 - **網**。餌を撒いた場所に大きな網をかけ、一度に数百羽を捕る。 - **囮鳥(スツール・ピジョン)**。目を縫い閉じた鳩を、止まり木(stool)に繋いで、群れを呼び寄せる。
(英語の "stool pigeon"=密告者、という語は、ここから来る。)
- 営巣地では、**木を切り倒す**。あるいは、硫黄を燃やして煙で燻し、雛と成鳥を落とす。 - 落ちた雛を、豚に食わせた(豚を営巣地に放して、太らせた)。
**規模**。
1878年、ミシガン州**ペトスキー**の営巣地。
5か月間で、**約5万羽が、毎日**出荷された。
総計、**約1100万羽**。
これが、**最後の大規模な営巣地**だった。
**(2)繁殖の失敗**。
彼らは、**巨大な群れでなければ、繁殖できなかった**可能性が高い。
理由として挙げられるもの。
- **捕食者の飽食**。集団が大きければ、捕食者が食べきれず、多くの雛が生き残る。群れが小さいと、全部食べられる。 - **社会的な刺激**。集団の存在そのものが、繁殖行動の引き金だった可能性。
これは「**アリー効果**」と呼ばれる。**個体数がある閾値を下回ると、繁殖の成功率そのものが急落する**。
だから、まだ数万羽いた時点で、既に回復不能だった。
**(3)森林の伐採**。
彼らの主食は、**ブナ、ナラ、クリの実**(マスト)。
19世紀、東部の落葉樹林が、農地と材木のために伐採された。
**急落**。
- 1860年代:まだ膨大な数 - 1870年代:営巣地が小さくなる - 1878年:ペトスキーの営巣地が最後 - 1890年頃:野生でほとんど見られなくなる - **1900年3月24日**、オハイオ州パイクで、少年が撃った一羽が、**野生の最後の確実な記録**とされる。
**マーサ**。
飼育下の個体が、いくつかの動物園に残っていた。
シンシナティ動物園には、1900年代初め、数羽がいた。
(この動物園は、リョコウバトの繁殖を試みたが、成功しなかった。1910年、他の個体が死に、**一羽だけ**が残った。)
その一羽の名は、**マーサ**。
(アメリカ初代大統領の妻マーサ・ワシントンにちなむ、とされる。)
動物園は、彼女に「同種の雄を連れてきた者に**1000ドル**」の賞金を掛けた。
誰も現れなかった。
彼女は、老いた。晩年、震えがあり、ほとんど動かなくなった。見物客が反応を見るために砂を投げつけるので、飼育係が檻の周りに柵を張った。
**1914年9月1日、午後1時ごろ**。
マーサは、檻の底で死んでいるのが見つかった。**推定29歳**。
(正確な時刻については、午後1時とする記録と、午前中とする記録がある。)
**その後**。
遺体は、**300ポンドの氷の塊**の中に封じられ、鉄道でワシントンの**スミソニアン協会**へ送られた。
剥製にされ、内臓は保存された。
現在、スミソニアン国立自然史博物館にある。(常設展示ではなく、記念の年に公開される。)
**意味**。
これが決定的だったのは、**数の問題**である。
50億羽。地球上で最も数の多い鳥。
**それが、40年で、ゼロになった**。
それまで、多くの人は、**自然の資源は無尽蔵である**と考えていた。あまりに多いものが、なくなるはずがない。
(19世紀の議会の記録に、リョコウバトの保護法案に対して「この鳥は無数にいる。保護は不要である」という反対意見が残っている。1857年、オハイオ州議会の委員会報告。)
リョコウバトは、その前提を、事実で否定した。
**法制**。
- 1900年、**レイシー法**。違法に捕獲された野生生物の州をまたぐ取引を禁じた(アメリカ最初の連邦の野生生物保護法)。この法律の成立の議論の中で、リョコウバトの事例が繰り返し引かれた。 - 1918年、**渡り鳥条約法**(カナダとの条約に基づく)。渡り鳥の捕獲、殺害、売買を全面的に禁じた。**現在も、アメリカの野生鳥類保護の中心的な法律**である。
(この法律の直接のきっかけは、羽根飾りのための水鳥の乱獲だった。しかし、リョコウバトの記憶が、その背景にある。)
- 1973年、**絶滅危惧種法**。
**記念**。
1947年、ウィスコンシン州のワイアルーシング州立公園に、リョコウバトの記念碑が建てられた。
**アルド・レオポルド**(『野生のうたが聞こえる』の著者、近代の環境倫理の礎を築いた人物)が、除幕式で演説した。
「**我々は、我々の祖先が持っていなかったものを持っている。それは、悲しむ能力である**。
……この記念碑は、我々自身の悔恨の証である。**我々は、我々が愛したものを、殺した**。
……鳩は、我々が空を占領したことを知らないまま、消えた。**しかし、我々は知っている**。
……もし、この鳥に、我々のような時間の感覚があったなら……
いや。**鳩は、我々を悼まない。我々が、鳩を悼むのである**」。
**復活**。
2010年代から、リョコウバトの「脱絶滅」を目指す計画が存在する(「**グレート・パッセンジャー・ピジョン・カムバック**」)。
博物館の標本からゲノムを読み、近縁のオビオバトの細胞を編集する。
(2017年、シカゴのフィールド博物館とカリフォルニア大学の研究チームが、リョコウバトのゲノムを解読した。判明したことの一つは、この鳥の遺伝的多様性が、その膨大な個体数に比して**極端に低かった**ことである。個体数が周期的に大きく変動していたか、あるいは特定の遺伝子への強い選択があったと考えられている。)
実現の見通しは立っていない。
そして、仮に一羽を作り出せたとしても——**50億羽の群れがなければ、この鳥は繁殖できない**。