動く歩道
概要
シカゴ万国博覧会の桟橋に、環状の動く歩道が掛けられた。二重になっていて、外側は立ったまま、内側は腰を掛けたまま運ばれる。船着き場から会場までの数百メートルを歩かせないための仕掛けで、乗客を運んだというより、来場者に未来を見せる展示だった。七年後のパリ万博では三重の速度差を持つ版が現れ、乗り移りながら加速する。歩く速さを機械が肩代わりするという発想は、ここから空港や地下通路へ移り、いまでは長い乗り換え通路の標準になっている。
場所
41.88°N -87.63°E · アメリカ・イリノイ州
本文
1893年、シカゴでコロンブス記念万国博覧会が開かれた。コロンブスのアメリカ到達から400年を祝う博覧会で、本来の1892年には準備が間に合わず、1年遅れての開幕だった。ミシガン湖のほとりに白い漆喰で統一した壮麗な建物が並び、「ホワイト・シティ」と呼ばれた。夜には何万もの電球が会場を照らし、電気の時代の到来を見せつけた。半年の会期中に、2700万人を超える入場者があったとされる。ロンドン万国博覧会以来続いてきた万国博覧会の中でも、アメリカが自分たちの力を世界に示そうとした大きな催しだった。
会場には湖から船でも来られた。船は湖に長く突き出した桟橋に着く。そこから会場の入口までは、かなりの距離を歩かなければならない。この桟橋の上に、動く歩道が設けられた。博覧会の会社とは別の事業者が、5セントの料金を取って運転したと伝わる。

この歩道は桟橋の上を行って戻る輪の形になっていて、全長は1キロを超えた。帯は二重で、外側の遅い帯は立ったまま乗り、内側の速い帯には腰掛けが付いていて座ったまま運ばれた。止まっている地面からいきなり速い帯に乗るのは危ない。だからまず遅い帯に乗り、それに慣れてから速い帯へ移る。速さの違う帯を並べて、段階を踏んで加速するという考え方である。
輸送の手段としては、小さなものだった。桟橋の上だけを走り、博覧会の会期の間だけ動き、博覧会が終わると取り壊された。だが、展示としての意味は大きかった。同じ博覧会には、パリのエッフェル塔に対抗して作られた巨大な観覧車、フェリスの輪が初めて登場していた。電気の照明、電話、映写の機械。会場全体が、未来の暮らしはこうなるという見本市だった。動く歩道も、人が歩かずに運ばれる未来の街の姿を見せる展示の一つだった。

7年後の1900年、パリ万国博覧会で、動く歩道はさらに大がかりになって現れた。会場の一角を囲むように、地上7メートルほどの高架の上を、3キロを超える長さの輪が走った。乗り場は止まった床、その隣に時速およそ4キロの遅い帯、さらにその隣に時速およそ8キロの速い帯。速い帯は人の歩く速さの倍ほどになる。乗る人は床から遅い帯へ、遅い帯から速い帯へと、足を踏み出して乗り移った。帯には掴まるための柱が立っていた。
このパリの動く歩道は、当時の映画にも撮られている。エジソンの会社のカメラマンが撮影したフィルムには、帽子を押さえ、裾をつまみながら帯から帯へ乗り移る人々や、高架から見下ろす会場の眺めが映っている。乗り移るときにふらつく人、転ぶ人もいたが、物珍しさから多くの人が乗った。

博覧会の後、都市の交通に動く歩道を使おうという案は何度も出たが、実現しなかった。理由はいくつかある。いちばん大きいのは、速い帯に安全に乗り移る方法が無かったことだ。速くすれば乗り移りが危なくなり、遅くすれば歩くのと変わらない。屋外に置けば、雨や雪や落ち葉で機械が傷む。そして距離あたりの建設と維持の費用が、路面電車や鉄道よりずっと高かった。都市の交通は、電車と、やがてロンドン地下鉄の開業のような地下鉄が担うことになる。
動く歩道が戻ってきたのは、20世紀の半ば、建物そのものが大きくなりすぎた場所だった。1958年、アメリカのダラスの空港に、旅客用の動く歩道が設けられた。ジェット機の時代に入って空港のターミナルが長く伸び、搭乗口から搭乗口まで重い荷物を持って何百メートルも歩かせることになったからである。日本では1967年に大阪の阪急梅田駅に設けられたのが早い例とされ、大阪万博の会場にも動く歩道が走った。

いまでは、空港の長い通路、駅と駅をつなぐ地下の乗り換え通路、大きな展示場、そして買い物かごを載せたまま階を移れる傾斜した歩道まで、動く歩道はどこにでもある。ただし、その多くは歩く速さよりゆっくり動く、1893年の遅い帯と同じものである。
速い動く歩道の試みは、その後も続いた。2002年、パリの地下鉄モンパルナス駅の長い乗り換え通路に、時速9キロほどで走る高速の動く歩道が設けられた。乗り口で加速し、降り口で減速する仕掛けを持っていたが、故障が多く、乗り降りで転ぶ人も出て、数年で普通の速さの歩道に取り替えられた。100年前のパリの高架で人々がぶつかったのと同じ壁に、再び突き当たったのである。
歩く速さを機械が肩代わりするという発想は、歩けない人のためというより、歩かせたくない場所のために生まれた。桟橋から会場まで、搭乗口から搭乗口まで。建物や施設が人の足には大きくなりすぎたとき、動く歩道は現れる。そして面白いことに、設計者は人が立ったまま運ばれることを想定していたのに、急ぐ人はその上を歩く。だから立つ人と歩く人が自然に左右に分かれる。エスカレーターで片側を空ける習慣と同じことが、動く歩道の上でも起きている。