できごと

有刺鉄線

Barbed wire
AD1874年11月24日
重要度 4
大英帝国カナダアメリカ合衆国デンマークアメリカ合衆国ヌエバ・エスパーニャ副王領スペイン帝国スペインAD1874年11月24日ディカルブ
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1874年11月24日の版図を描いています(8勢力)。

概要

大平原には石も木もなく、柵が作れなかった。だから家畜は放し飼いにされ、土地は共同で使われていた。イリノイの農民ジョゼフ・グリデンが、針金にもう一本を巻きつけて棘を固定する方法で特許を取った。安く、大量に作れる。数年で年に数万トンが売れ、平原が細かく囲われていった。柵を切る者と守る者のあいだで銃撃が起き、水場を囲われた牧場主が破産した。所有権は前からあった。それを地面の上に見える形で示す手段が、このとき初めて安くなった。

場所

ディカルブ
41.93°N -88.75°E · アメリカ・イリノイ州

本文

ミシシッピ川の西からロッキー山脈の東まで広がるグレートプレーンズには、柵を作る材料がなかった。まず木がない。森がないので、柵の杭や横木は東部から運ぶしかなく、運び賃が土地の値段より高くつくこともあった。石もない。イングランドの石垣やニューイングランドの石積みのような囲いは作れない。生け垣を育てるには水と年月が要る。とげのある木を植えて生け垣にする試みもあったが、育つまで何年もかかった。

だから、人々は囲わなかった。牛は広い草原に放され、自由に歩き回った。「オープンレンジ」、つまり開かれた放牧地である。誰の牛かは、体に押した焼き印で見分けた。焼き印は郡の役所に登録された。年に一度、近くの牧場の男たちが共同で牛を駆り集め、焼き印を見てそれぞれの持ち主に分けた。土地の慣行では、作物を家畜から守りたいなら、囲う責任は畑を作る側にあった。家畜を囲えと言われたイングランドとは逆である。

有刺鉄線の牧草地にいる牛
有刺鉄線の牧草地にいる牛Wikimedia Commons xlibber · CC BY 2.0

土地の持ち主は、書類の上では決まっていた。六マイル四方の格子状の区画が西部にも引かれ、登記もされていた。しかし地面の上では、土地は事実上、共同で使われていた。「持っている」ことと「囲っている」ことが、離れていたのである。

1873年、イリノイ州ディカルブ郡の品評会に、ヘンリー・ローズという農民が変わったものを出品した。細長い木の板にとがった釘を何本も打ち込み、それを針金の柵に取りつけたものである。牛が触れると鼻を痛めて近づかなくなる。これを見ていた地元の男が3人いた。農民のジョゼフ・グリデン(1813〜1906年)、材木商のジェイコブ・ハイシュ、金物商のアイザック・エルウッドである。3人はそれぞれに、もっと良いものを作れないかと考え始めた。

2015年の世界経済フォーラムの警備に当たるスイス軍の有刺鉄線
2015年の世界経済フォーラムの警備に当たるスイス軍の有刺鉄線Wikimedia Commons Kecko from Northeast corner of, Switzerland · CC BY 2.0

グリデンの工夫はこうだった。短い針金を曲げて棘にし、それを一本の針金に巻きつける。そこへもう一本の針金を撚り合わせて、棘がずれないように固定する。棘を曲げるのに、台所のコーヒーミルを改造して使ったという話が伝わっている。グリデンは1873年に特許を出願し、1874年11月24日に認められた。ハイシュも別の形の有刺鉄線で特許を得ており、どちらの発明が先かをめぐって長い裁判が続いた。1892年、連邦最高裁判所はグリデンの特許を有効と認めた。グリデンはまもなく権利の半分をエルウッドに売り、二人は工場を建てて大量生産を始めた。

売れ方はすさまじかった。1874年に作られたのは5トンほどだったが、1880年には年に4万トンに達し、その後も伸び続けた。理由ははっきりしている。第一に安かった。値段は1874年には100ポンドあたり20ドルだったが、大量生産が進んで1890年代の終わりには2ドルを切った。第二に軽く、巻いて鉄道で運べた(大陸横断鉄道の開通)。第三に、杭を立てて張るだけなので簡単だった。そして第四に、よく効いた。柵そのものの強さは大したものではない。牛は一度痛い思いをすると、二度と近づかない。牛の記憶が、柵の役を果たしたのである。

大陸横断鉄道の開通に関わる図版:East and West Shaking hands at the laying of last rail Union Pacific Railroad - Restoration
大陸横断鉄道の開通Wikimedia Commons Andrew J. Russell / Adam Cuerden · Public domain

売り込みの名人もいた。ジョン・ゲイツという若いセールスマンは、1876年、テキサス州サンアントニオの広場に有刺鉄線の囲いを作り、その中に牛を入れて、暴れる牛が外へ出られないのを見物人に見せたと伝えられる。牧場主たちは疑い深かったが、実物を見て次々に買っていった。ゲイツはのちに鉄鋼業の大物になる。

平原は急速に囲われていった。それは、囲われる側を生むことでもあった。大きな牧場は、自分の土地だけでなく、誰でも使えるはずの公有地まで柵の中に取り込んだ。乾いた土地では水場が少なく、水場が誰かの柵の中に入れば、周りの広い土地は使い物にならなくなる。道もふさがれた。小さな牧場主や、新しく入って来た農民たちが締め出された。

カミソリ刃状の有刺鉄線(レザーワイヤー)
カミソリ刃状の有刺鉄線(レザーワイヤー)Wikimedia Commons Smithers7 · CC BY 3.0

彼らは夜に柵を切った。針金を切って回り、警告の書きつけを残していく。1883年、日照りに見舞われたテキサスでは、水と草をめぐる争いが激しくなり、柵を切る者と守る者のあいだで撃ち合いが起き、死者も出た。州議会は臨時の会期を開き、柵を切ることを重い罪とした。同時に、他人の土地や公有地を勝手に囲うことも禁じ、柵には一定の間隔で門を設けるよう定めた。1885年には連邦政府も、公有地の違法な囲い込みを取り締まる法律を作った。

開かれた放牧地に止めを刺したのは、天気だった。1886年から翌年にかけての冬、北部の平原は記録的な寒波と吹雪に襲われた。夏の日照りで草はすでに乏しく、牛は痩せていた。吹雪のとき、牛は風下へ流されていく。各地で柵や地形に行く手をふさがれた牛が寄り集まって凍え死に、春に雪が解けると、その死骸が並んでいたという。多くの牧場が牛の大半を失い、倒産した。「大量死」と呼ばれるこの冬の後、牧畜は、広い草原に放す形から、囲った牧場で冬の飼料を蓄えて育てる形へと移っていった。長い道のりを牛を追って鉄道の駅まで運ぶカウボーイの時代は、20年ほどで終わった。

グリッデンの「ザ・ウィナー」の初期手作り見本(デカルブ有刺鉄線歴史博物館)
グリッデンの「ザ・ウィナー」の初期手作り見本(デカルブ有刺鉄線歴史博物館)Wikimedia Commons A. McMurray ( A mcmurray ) · CC BY 2.5

先住民にとって、有刺鉄線は別の意味を持った。暮らしを支えたバイソンは、すでに絶滅寸前まで狩られていた(アメリカバイソンの激減)。そこへ土地が細かく囲われ、季節ごとに広い土地を移り歩く暮らしは、物理的にも成り立たなくなった。有刺鉄線は「悪魔の縄」と呼ばれたと伝えられる。

牛を止めるために作られた道具は、やがて人を止めるために使われた。ボーア戦争で、イギリス軍は有刺鉄線で囲った収容所に住民を集めた。第一次世界大戦では、塹壕の前に何重にも張られた有刺鉄線が、突撃する兵士を機関銃の前に足止めした(ソンムの戦い)。20世紀を通じて、有刺鉄線は収容所と国境の柵の標準の道具になり、囲い込みと閉じ込めの象徴として、人々の記憶に焼きついている。

ソンムの戦いに関わる図版:Map of the Battle of the Somme, 1916
ソンムの戦いWikimedia Commons SVG version, and changes : Grandiose Original map : Worldwari map13 largerview.jpg , US Military Inset map : Giro720 , F · Public domain

有刺鉄線が変えたものは何だったのか。土地の所有権そのものは、以前からあった。格子の区画は引かれ、登記もされていた。足りなかったのは、紙の上の線を地面の上に引く手段である。有刺鉄線は、それを安くした。そして安く引けるようになったとたん、線は引かれた。

イングランドでは、共同の土地を囲い込むのに、議会が一件ずつ法律を作っていった(囲い込み)。アメリカの大平原で囲い込みが起きなかったのは、制度が止めていたからではなく、単に囲う手段が高すぎたからだった。ここでは、法ではなく、針金の値段が下がったことが、同じ結果をもたらしたのである。

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