概要
1960年代のロンドンでは、戦後のベビーブームに生まれた若者たちが、親の世代とは違う音楽と服を求めていた。キングス・ロードに店を開いたデザイナーのマリー・クワントは、若い女性が走ったり踊ったりできる、膝上の短いスカートを売り出した。クワントの好きな小型車の名から「ミニ」と呼ばれたともいう。パリのクレージュも短いスカートを発表した。痩せたモデルのツイッギーが世界に広め、1967年に彼女が来日すると、日本でもミニスカートが大流行した。服の流行は、上流の大人から若者へと、作り手が移っていった。
場所
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド
本文
1950年代の女性の服は、ディオールのニュールック(ディオールのニュールック)以来の、腰を絞った膝下の丈のスカートが主流で、流行を決めるのは、パリのデザイナーと、その服を買う上流の大人の女性たちだった。若い女性は、母親と同じような服を着ていた。
1960年代、戦後のベビーブームの世代が十代から二十代になり、自分で稼ぎ、自分で服やレコードを買うようになった。イギリスではビートルズが登場し、ロンドンは若者の文化の中心として「スウィンギング・ロンドン」と呼ばれた。
マリー・クワントは、1930年にロンドンで生まれ、美術学校を出たあと、1955年、夫とともにチェルシーのキングス・ロードにブティック「バザー」を開いた。彼女は、自分と同じ若い女性たちが着たい服を、自分で作って売った。踊ったり、走ったり、バスに飛び乗ったりできる服。彼女の店のスカートは、年々短くなり、1960年代の半ばには膝の上10センチを超えるほどになった。クワントの好きだった小型車「ミニ」にちなんで、「ミニスカート」と呼ばれるようになったともいわれる。
パリでは、デザイナーのアンドレ・クレージュが、1964年に白いブーツと合わせた短いスカートを発表した。誰が最初に考えたかは議論があるが、ミニスカートは、パリの高級な服からではなく、ロンドンの若者の通りから広がった流行だった。短いスカートに合わせて、ストッキングの代わりにパンティストッキングがはかれるようになった。
痩せた体と大きな目の十代のモデル、ツイッギーが、ミニスカートの顔として世界に知られた。1967年10月、ツイッギーが来日すると、日本でもミニスカートが大流行し、通学の制服のスカートまで短くなった。年配の人々は眉をひそめたが、若い女性たちは、自分の脚を見せることを、自由のしるしとして楽しんだ。服の流行を決めるのは、上流の大人から若者へと移っていった。