概要
吉田光由が、明の『算法統宗』を下敷きに、日本の暮らしに合わせて書いた算術の入門書である。算盤の使い方、掛け算の九九、両替、検地、利息、そして継子立てや鼠算のような遊びの問題まで、絵入りで並べた。版を重ね、模倣と海賊版が無数に出て、江戸期を通じて最も読まれた数学の本になった。巻末に答えを付けない問題を残す遺題の形式を作り、それが次の著者への挑戦として受け継がれ、和算の発展を駆動した。
場所
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府
関わった人(1)
吉田光由AD1598年–AD1673年 · 著者本文
**著者**。
**吉田光由**(1598〜1673年)。
**京都、嵯峨**。
(——**角倉**(すみのくら)**の一族**である**。
〈**角倉了以**——**大堰川、富士川、高瀬川を開削した豪商**。
**そして、**朱印船貿易**。
**——**京都の、最も富裕な家の一つ**である**。〉
**光由は、**角倉素庵**(了以の子、書と学問の人)に学んだ**。
**そして、**毛利重能**(『割算書』の著者)にも学んだ、とされる**。)
**種本**。
**明の**『算法統宗』**(程大位、1592年)。
(——**当時、**中国から入ってきた、算盤の教科書**である**。
**——光由は、それを、**日本の暮らしに合わせて、書き直した**。〉)
**1627年、刊行**。**二十九歳**。
**題**。
(**「塵劫」**(じんこう)——**仏教の語**。
**「塵点劫」**——**極めて長い時間**。
〈**——「永遠に価値を失わない書」という意味を込めた**、とされる。
**そして、**素庵が名づけた**、と伝えられる。〉)
**中身**。
**(1)算盤**。
(——**使い方から始まる**。
**珠の動かし方、九九、そして割り算**。
〈**当時の算盤は、**上二珠、下五珠**である**。
**——**十六進法(一斤=十六両)**を扱うため**。
**〈後に、上一珠・下四珠になる。〉**〉)
**(2)実用の計算**。
(**両替**。
〈**——**金、銀、銭の三貨制度**である**。
**そして、**相場が、日々変動する**。
**——**換算が、日常的に必要だった**。〉
**検地と面積**。
**利息と、年貢**。
**材木の体積**。
**そして、**土木の人足の計算**。〉)
**(3)遊び**。
(——**ここが、この本を、他と分けている**。
**「継子立て」**(ままこだて)。
〈**——**三十人の子を円に並べ、十番目ごとに除いていく**。
**先妻の子と後妻の子の、どちらが残るか**。
**——**ヨセフスの問題**と、同じ型である**。〉
**「鼠算」**。
〈**——**正月に、鼠が十二匹の子を産む**。
**二月に、親も子も、それぞれ十二匹産む**。
**……**十二月には、何匹か**。
**——**答えは、**276億8257万4402匹**。
**〈等比数列である。〉**〉
**「油分け算」**。
〈**——**一斗の油を、七升枡と三升枡で、五升ずつに分ける**。
**——**現代の水差しの問題である**。〉
**「薬師算」「絹盗人算」「烏算」**。
**そして——**絵が、入っている**。
〈**——**問題の場面が、**挿絵として描かれている**。
**それが、**読み物として、面白かった**。〉)
**売れた**。
(——**江戸時代を通じて、**最も読まれた数学の本**である**。
**版を重ね、**光由自身が、何度も改訂した**。
**〈1627年の初版、1631年、1634年、1641年……〉**
**そして——**海賊版と、模倣が、無数に出た**。
〈**「塵劫記」という題そのものが、**算術の本の代名詞**になった**。
**——**別人の書いた「塵劫記」が、大量に流通した**。〉
**——**幕末までに、**数百種の版**が出た、とされる**。〉)
**遺題**。
(——**海賊版に、光由は、困った**。
**そこで、**1641年の版**に、**答えの無い問題を、十二問、載せた**。
**「遺題」**(いだい)。
〈**——**「これが解けるなら、解いてみよ」**。
**目的**。
**(1)**自分の本と、偽版を、見分けさせる**。
**(2)そして、**読者に、挑む**。〉
**——そして、**予想外のことが、起きた**。
**別の数学者が、**それを解いた本を出した**。
**そして、**その本の巻末に、**新しい遺題**を載せた**。
**——**次の人が、それを解いて、また新しい遺題を出す**。
〈**「遺題継承」**。
**——**これが、**約百年、続いた**。
**榎並和澄、礒村吉徳、村松茂清、沢口一之、そして関孝和**。
**〈関孝和の『発微算法』**(1674年)**は、沢口一之の遺題十五問を解いたものである。〉**〉
**——つまり**。
**出版された本が、**数学者同士の、公開の挑戦状の連鎖**になった**。
**そして、それが、**和算を、急速に高度化させた**。
〈**——**学会も、大学も、学術誌も、無い**。
**代わりに、**この連鎖があった**。〉)
**背景**。
(——**なぜ、江戸期の日本で、数学がこれほど広まったのか**。
**(1)**出版と、識字**。
〈**——**木版の商業出版が、17世紀前半に、確立していた**。
**そして、**寺子屋**。〉
**(2)**実務の必要**。
〈**検地、年貢、両替、そして商業の帳簿**。〉
**(3)**そして、**趣味としての数学**。
〈**——**算額**。
**神社と寺に、**数学の問題を書いた絵馬を奉納する**。
**——**約900面が、現存している**。
**〈解けたことへの感謝と、そして、次の人への挑戦である。〉**
**——**世界に、類例が無い慣行である**。〉)
**光由**。
(——**その後の生涯は、**あまり分かっていない**。
**晩年、**失明した**と伝えられる**。
**1673年、死去**。**七十五歳**。
**——**嵯峨の、二尊院**に、墓がある**。〉)
**そして**。
(——**「塵劫記」という語は、**明治まで、「算術の本」を意味した**。
**そして、いまも、**この本の遊びの問題は、算数の教材として使われている**。
**〈鼠算、油分け算、継子立て。〉**)