機械翻訳の公開実験
概要
ジョージタウン大学とIBMが、記者を集めて実演した。ロシア語の六十余りの文を、IBM701が英語に訳す。語彙は250語、規則は六つ。選ばれた文は、あらかじめ分かっていた。報道は熱狂し、五年で機械翻訳は解決すると書かれた。実際には、語義の曖昧さと文脈の問題が、規則では手に負えなかった。1966年のALPAC報告が、資金を打ち切る。統計的手法と、そして機械学習が現れるまで、この分野は長く冬に置かれた。
場所
40.71°N -74.01°E · アメリカ合衆国
本文
1954年1月7日、ニューヨークのマディソン街にあるIBMの本社に、記者たちが集められた。目の前で動いていたのは、IBMが初めて売り出した科学計算用の大型計算機、IBM701である。ジョージタウン大学とIBMが共同で準備したこの日の実演の中身は、ロシア語の文を英語に訳すことだった。
操作員がロシア語の文を打ち込んだパンチカードを機械に送ると、しばらくして英語の訳文が印字されて出てくる。「われわれは言葉によって思考を伝える」。「角の大きさは、弧の長さと半径の比によって決まる」。化学や数学の文に、日常の文が混ぜてあった。
キリル文字はそのまま入力できないので、ロシア語はラテン文字に置き換えてカードに打ち込まれた。打ち込んだのはロシア語をまったく知らない女性の操作員である、と当日は強調された。言葉を知らない者でも、機械がやってくれる、というわけだ。訳された文は六十あまりだった。
仕掛けは、驚くほど小さかった。機械に入っていた辞書は250語、文法の規則はわずか6つである。辞書で語を引き、規則に従って語順を入れ替え、意味の紛らわしい語を処理する。たとえば、ある語の意味が次に来る語によって変わる場合は、後ろの語を見てから訳を決める、といった具合である。そして、実演に使われた六十の文は、この規則で正しく訳せるように、あらかじめ選ばれていた。
それでも報道は熱狂した。翌日のニューヨーク・タイムズは、ロシア語が電子の頭脳で英語になったと大きく報じた。計画を率いたジョージタウン大学のレオン・ドスタートは、3年から5年のうちに、いくつかの言語の間の機械翻訳は実用になるだろう、という見通しを語り、この言葉は繰り返し引用された。
熱狂の背景には冷戦があった(物語「冷戦」)。アメリカは、ソ連で出版される大量の科学論文や技術文書を読まなければならなかったが、ロシア語を読める専門家はひどく足りなかった。3年後の1957年、ソ連がスプートニク1号を打ち上げると、その焦りはいっそう強まる。実演の後、アメリカ政府は機械翻訳の研究に大量の資金を注いだ。その後の十年あまりで、二千万ドルを超えたと見積もられている。計算機そのものも、ENIACからわずか数年で、言葉を扱う道具として期待されるところまで来ていた。
しかし、研究はなかなか進まなかった。いちばんの壁は、一つの語がいくつもの意味を持つことである。どの意味かは文脈で決まり、それを決めるには、しばしば世界についての知識が要る。イスラエルの言語学者バル=ヒレルは1960年、「箱はペンの中にあった」という英語の文を例に挙げた。
英語のペンには、書く道具のほかに、子どもを入れておく囲いの意味もある。箱が筆記具の中に入るはずはないから、ここは囲いだと人間にはすぐ分かる。だが機械にそれを判断させるには、箱やペンの大きさまで教えなければならない。彼は、完全に自動で質の高い翻訳は、原理的に手が届かないと論じた。
語の意味だけでなく、文の組み立ての紛らわしさ、慣用句や比喩も壁になった。規則を増やすと、規則どうしが食い違い始める。ある規則を足すと、それまで正しく訳せていた文が壊れ、それを直すとまた別の文が壊れる。研究者たちは、この終わりの無い手直しに疲れていった。
よく語られる笑い話がある。「心は熱しているが、肉体は弱い」という聖書の一節をロシア語に訳し、それをまた英語に戻したら「ウォッカは上等だが、肉は腐っている」になった、というものだ。英語の「霊」には酒の意味が、「肉体」には食べる肉の意味がある。この話はさまざまな形で繰り返し語られてきたが、実際にそういう訳が出たという記録は見つかっておらず、おそらく作り話である。それでも、問題の性質をよく言い当てていたからこそ広まった。
1966年、アメリカ科学アカデミーの自動言語処理諮問委員会(ALPAC)が報告書を出した。機械翻訳は人間の翻訳より遅く、不正確で、費用は二倍かかる。近い将来に実用的な機械翻訳ができる見込みは無い。資金はむしろ、計算言語学の基礎研究に向けるべきだ。
そういう内容だった。この報告をきっかけに政府の資金は打ち切られ、アメリカの機械翻訳の研究はほぼ止まった。「機械翻訳の冬」と呼ばれる時代が、およそ二十年続く。
ただし、研究がすべて消えたわけではない。カナダやヨーロッパ、ソ連、日本では研究が続いていた。1970年代の後半からカナダで使われた天気予報の翻訳の仕組みは、扱う言葉の範囲を天気に限れば、機械翻訳でも十分に実用になることを示した。日本でも1980年代には、国の計画や電機メーカーが英語と日本語の翻訳機の研究に力を入れている。
流れを変えたのは、規則を書くことをやめるという発想だった。1990年ごろ、IBMの研究チームは、人間が文法の規則を書き込む代わりに、大量の対訳を集めて、どの語がどの語に訳されやすいかを確率として計算する方法を打ち出した。教材になったのは、英語とフランス語の両方で記録されるカナダ議会の議事録である。音声認識を研究していたこのチームの長フレデリック・イェリネクは、言語学者を一人辞めさせるたびに性能が上がる、と言ったと伝えられる。言い回しには異同があるが、規則から統計へという転換を象徴する言葉として知られている。
2010年代には、神経回路をまねた計算の仕組みで文全体をまとめて訳す方法が現れ、2016年にグーグル翻訳がこれに切り替えると、訳の質は目に見えて上がった。その先に、膨大な文章から学んだ大規模な言語モデルがある。ドスタートの言った3年から5年は、実際には60年以上かかった。
それでも、機械翻訳が問題を解いたとはまだ言えない。文脈、専門用語、文化の含み、そして誤訳の責任。医療や裁判や外交の場では、いまも人間が訳し、確かめている。1954年のあの朝、記者たちが見ていたのは、機械が言葉を理解する姿ではなく、訳せると分かっていた六十の文だった。