アルタミラの壁画
概要
1879年、8歳の娘マリアが天井を見上げて「牛」。父サウトゥオラが発表し、学界は「偽物」と言った。「原始人にこんな絵は描けない」。彼は否定されたまま1888年に死んだ。1902年、学界が謝った。天井の牛は、いまも赤い。
場所
43.38°N -4.12°E · スペイン
本文
1879年の夏、スペイン北部カンタブリア地方の洞窟で、8歳の少女マリアが天井を見上げて叫んだ。「見て、パパ、牛よ」。ろうそくの明かりに浮かび上がったのは、赤と黒で描かれた何頭ものバイソンだった。
洞窟は、その十年ほど前に、地元の猟師が見つけていた。狩りの犬が岩の割れ目に落ちたのがきっかけだったと伝えられる。近くの地主で、考古学に関心を持っていたマルセリーノ・サンス・デ・サウトゥオラは、1878年のパリ万国博覧会で先史時代の石器や骨の展示を見て刺激を受け、自分の土地の洞窟の床を掘り始めた。父が足もとの土を掘っているあいだ、ついてきた娘は、低い天井を見上げていたのである。

天井には、バイソンを中心に、馬や鹿や猪など、二十を超える動物が描かれていた。赤い土の顔料と炭の黒で塗り分けられ、岩の天井のふくらみや凹みを、そのまま動物の体の丸みに使っている。ある動物はうずくまり、ある動物は振り返っている。サウトゥオラは、床から出た石器と同じ時代の人が描いたものだと考え、1880年に小冊子で発表した。
学界の反応は冷たかった。とくに先史学の中心だったフランスの学者たちは、旧石器時代の人間にこれほど写実的で見事な絵が描けるはずがない、と考えた。顔料が新しく見えること、煙で煤けていないことも疑いの理由になった。その年リスボンで開かれた先史学の国際会議でも、絵はまともに取り上げられなかった。当時サウトゥオラの家にフランス人の画家が滞在していたことから、その画家に描かせた偽物ではないか、とまで言われた。フランスの先史学者エミール・カルタイヤックは、最も強く否定した一人だった。

サウトゥオラは詐欺師と陰口を叩かれ、1888年、汚名をそそげないまま57歳で亡くなった。
流れが変わったのは、その後のフランスでの発見による。1895年にはラ・ムートで、1901年にはフォン・ド・ゴームとレ・コンバレルで、旧石器時代の層に覆われていた壁画や線刻が次々に見つかった。旧石器時代の人間が洞窟に絵を描いたことは、もう疑いようがなくなった。1902年、カルタイヤックは学術誌に「ある懐疑論者の悔悟」と題する論文を書き、自らの誤りを公に認めた。彼は若い研究者アンリ・ブルイユとともにアルタミラを訪れ、サウトゥオラの娘マリアに会って謝罪したという。父の名誉が回復されたとき、本人はすでにこの世にいなかった。
天井のバイソンは、その後の研究で、およそ1万4000年から1万5000年前ごろに描かれたと考えられている。洞窟の中には、さらに古い時代の手形や記号もあり、近年の年代測定では3万5000年以上前にさかのぼる印もあるとされる。一つの洞窟が、長い時代にわたって描く場所として使われ続けたのである。のちに見つかったラスコーの壁画やショーヴェ洞窟の壁画とともに、旧石器時代の洞窟壁画の代表とされ、1985年に世界遺産に登録された。

名声は、洞窟を傷めた。1960年代には一日に数千人が訪れ、人の吐く息と体温と明かりで、壁の湿り気と温度が変わり、絵が傷み始めた。洞窟は1977年に閉じられ、人数を絞って再開されたが、2002年には壁に微生物が広がっているのが見つかって再び閉じられた。その前年、近くに天井を精密に写した複製の博物館が開かれ、いまは多くの人がそちらで絵を見る。本物の洞窟には、2014年から、くじで選ばれた週に数人だけが短時間入ることが許されている。
アルタミラを見たパブロ・ピカソが、アルタミラのあと、すべては衰退だと言った、という話がよく引かれるが、本当に言ったかどうかは確かめられていない。確かなのは、19世紀の学者たちが、遠い祖先を自分たちより劣った存在と思い込んでいたために、目の前の絵を信じられなかったということである。マリアは1946年に亡くなるまで、この発見の証人であり続けた。