できごと

ラスコーの壁画

Lascaux cave paintings
約1万7000年前(1940年に発見)
年に諸説あり重要度 5
ラスコーの壁画に関わる図版:Lascaux painting
Lascaux painting Wikimedia Commons EU · Public domain

概要

1940年9月、犬を追った4人の少年が穴に落ちた。600の動物。牛、馬、鹿、「一角獣」。人はほとんどいない。1948年に公開して、15年で呼気とカビで傷み、1963年に閉じた。いまはレプリカを見る。本物は、また暗闇の中にある。

場所

ラスコー
45.05°N 1.17°E · フランス

本文

1940年9月、フランス南西部ドルドーニュ地方の村モンティニャックの近くの丘で、4人の少年が、木の根元に開いた穴から地下に入り込んだ。持参したランプの明かりで照らした岩壁には、牛や馬や鹿が、赤と黒と黄色で、生きているかのように描かれていた。およそ1万7000年前の旧石器時代の人々が残した、ラスコーの洞窟壁画である。

発見のいきさつは、少年たちの思い出話として語り継がれてきた。最初に穴を見つけたのは18歳のマルセル・ラヴィダで、連れていた犬のロボが穴に落ちたのがきっかけだった、という話が広く知られている。ただし犬の話は、後から付け加えられた伝説だとも言われる。9月12日、ラヴィダは仲間のジャック・マルサル、ジョルジュ・アニエル、シモン・コエンカスとともに再び穴に入り、壁画を目にした。少年たちは地元の小学校の先生レオン・ラヴァルに知らせ、話はやがて先史学の権威アンリ・ブルイユ神父に伝わった。9月21日に洞窟に入ったブルイユは、その価値をすぐに認めた。ラスコーは「先史時代のシスティーナ礼拝堂」とも呼ばれるようになった。

ラスコー洞窟の馬の壁画
ラスコー洞窟の馬の壁画Wikimedia Commons Public domain

洞窟は全長200メートルあまり。入口から入ってすぐの広い空間は「牛の広間」と呼ばれ、長さ5メートルにも及ぶ巨大な野牛(オーロックス)が、馬や鹿とともに天井近くを駆けている。その奥に続く細い「軸状ギャラリー」には、天井から壁までびっしりと動物が描かれ、頭を下にして落ちていくような馬や、赤い牛の姿がある。さらに奥には「身廊」「後陣」と呼ばれる空間や、ネコ科の動物が刻まれた小部屋がある。描かれた動物はおよそ600、刻まれた線や記号は1500ほどにのぼる。最も多いのは馬で、ほかに野牛、鹿、バイソン、山羊の仲間などがいる。2本のまっすぐな角を持つ謎めいた動物は、「一角獣」と呼ばれてきた。

人の姿は、ほとんど描かれていない。唯一はっきり人と分かるのは、洞窟の奥の、深い縦穴の底に描かれた場面である。鳥のような頭を持つ男が、棒のように硬直して仰向けに倒れている。その前には、槍に貫かれて腹から腸が垂れ下がったバイソンが立っている。男のそばには、先に鳥の形がついた棒が置かれ、少し離れてサイが去っていく。狩りの事故を描いたのか、神話の一場面なのか、意味はいまも分からない。

ラスコー洞窟のオオツノジカ(点の列を伴う)
ラスコー洞窟のオオツノジカ(点の列を伴う)Wikimedia Commons HTO · Public domain

壁画を描いた人々は、私たちと同じホモ・サピエンスである。ヨーロッパではそれより前にネアンデルタール人の消滅があり、氷河時代の寒冷な草原で、サピエンスは大型の動物を狩って暮らしていた。考古学ではマドレーヌ文化と呼ばれる時代の初めにあたる。洞窟から見つかった炭や骨を放射性炭素で測った結果から、壁画はおよそ1万7000年前のものと考えられているが、もう少し古いとする研究もある。

顔料は、土に含まれる酸化鉄の赤や黄色、マンガンの黒などだった。動物の輪郭を描き、色を塗り、ときには顔料を口や管で吹き付けて、ぼかしをつけた。岩の凹凸を動物の体の膨らみに見立てて描いたものも多い。軸状ギャラリーの壁には、天井近くに描くための足場の木を差し込んだと思われる穴が残っている。暗い洞窟の中を照らしたのは、動物の脂を燃やす石のランプだった。洞窟からは100個以上のランプや灯火の跡が見つかっている。

ラスコー洞窟の後陣部分の壁画
ラスコー洞窟の後陣部分の壁画Wikimedia Commons Public domain

不思議なのは、描かれた動物と、人々が実際に食べていた動物が一致しないことである。洞窟の周りで見つかった骨からは、人々が主に狩っていたのはトナカイだったことが分かっている。ところが壁には、トナカイはほとんど描かれていない。人々は、食べるものではなく、何か別の理由で選んだ動物を描いたことになる。

なぜ描いたのか。ブルイユは、獲物が増えることや狩りの成功を願う呪術だったと考えた。20世紀の後半、フランスの先史学者アンドレ・ルロワ=グーランは、動物の配置に規則性を見いだし、馬と牛が対になって描かれていることから、男と女のような二つの原理を表す体系があったと論じた。洞窟の奥の暗闇で、シャーマンが意識の変容の中で見た幻を描いたとする説もある。どの説も決定的ではなく、答えは分からない。

ラスコーIV(再現施設)の一部
ラスコーIV(再現施設)の一部Wikimedia Commons Traumrune · Public domain

ラスコーは戦後の1948年に一般に公開され、多い日には1日に1000人を超える見物客が訪れた。人の吐く息の二酸化炭素と湿気、照明の熱が、洞窟の中の環境を大きく変えた。やがて壁に緑色の藻が広がり(「緑の病」)、白い方解石の結晶が絵を覆い始めた(「白い病」)。1963年4月、文化相アンドレ・マルローの決定で、洞窟は一般公開を打ち切って閉じられた。公開から15年だった。1979年、ラスコーはヴェゼール渓谷のほかの洞窟や遺跡とともに世界遺産に登録された。

その後も洞窟の苦難は続いた。2001年ごろには白いカビが大発生し、やがて黒い斑点も現れた。空調設備の更新や、カビの除去に使った薬剤が、かえって洞窟のバランスを崩したと批判された。いまは研究者などごく限られた人が、短い時間だけ入ることを許されている。

ラスコーII(壁画の復元施設)
ラスコーII(壁画の復元施設)Wikimedia Commons Jack Versloot · CC BY 2.0

一般の人が見るのは、複製である。1983年、本物の洞窟から200メートルほど離れた場所に、牛の広間と軸状ギャラリーを再現した「ラスコー2」が公開された。2016年には、洞窟のほぼ全体を最新の技術で再現した「ラスコー4」(国際洞窟壁画センター)が丘のふもとに開館した。本物の壁画は、1万7000年を暗闇の中で過ごし、わずか十数年、人の目と光にさらされて傷つき、ふたたび暗闇に戻された。

発見した少年たちのうち、マルサルとラヴィダは、のちにラスコーの管理と案内に長く携わった。ラスコーよりはるかに古い、3万年以上前の壁画を持つショーヴェ洞窟の壁画が1994年に見つかったとき、その洞窟は最初から一般公開されず、複製だけが公開された。スペインのアルタミラの壁画も、同じように公開が厳しく制限されている。ラスコーの失敗が、その後の洞窟壁画の守り方を決めた。

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