概要
東インド会社が、航海ごとでなく、10年の会社として資本を集めた。1143人が出資し、株は他人に譲れた。同じ年、証券取引所。世界で最初の株式市場。先物、空売り、オプション。1688年、ジョセフ・デ・ラ・ベガ『混乱の中の混乱』が、その狂騒を書いた。1637年にはチューリップ球根の先物で最初のバブルが弾けていた。
場所
52.37°N 4.90°E · オランダ
本文
1595年、オランダの商人がアジアへ最初の船を送った(「最初の航海」。4隻、249人。3隻と87人が帰り、それでも利益が出た)。1598年から1601年に、14の会社が65隻を送った。互いに競争して、香料の買値が上がり、売値が下がった。
1602年3月20日、共和国の議会(連邦議会)が、6つの都市の商会を一つにまとめて、特許を与えた。「連合東インド会社(VOC)」。喜望峰から南米のマゼラン海峡までの独占。条約を結び、要塞を築き、兵を持ち、貨幣を鋳て、戦争をする権利。
資本。それまでの航海は、1回ごとに金を集めて、帰ったら船を売って、精算した。VOCは10年(実際にはそれ以後も)の会社として、646万ドイルダーを集めた。出資者1143人(大商人から、女中と職人まで。最小の出資は50ギルダー)。アムステルダムの帳簿に、名前が並んでいる。最初の出資者の一人は、東インド会社の建物の掃除婦だった。
株。出資は返してもらえない。代わりに、他人に譲れる。名義書換は会社の帳簿で行われた。手数料。譲渡が始まったのは、募集の締切のすぐ後から。1602年、最初の譲渡の記録。
取引所。初めは新しい橋(ニューウェ・ブルフ)の上と、教会の周りで。1611年、ヘンドリック・デ・カイセルの設計で、ダム広場の近くに屋根のある取引所ができた。中庭を回廊が囲む。柱に番号が振られ、商品ごと、地域ごとに、集まる場所が決まっていた。取引時間は正午から2時間。鐘が鳴った。
そこで作られたもの。先物(穀物とニシンでは16世紀からあった)。空売り(1609年、イサーク・ル・メールが仲間と組んで、VOC株を持たずに売る契約を結んで値を下げようとした。1610年、共和国が最初の空売り禁止令を出した。効かなかった)。オプション。信用取引。株価の日々の記録。配当(初めは香料の現物で払われた)。
1637年、チューリップ。球根の先物が、1年で数十倍になり、2月に崩れた。実際の被害の規模については、いまも議論がある(マッケイの『狂気の群衆』1841年が誇張した、と言われる)。しかし、「バブル」という現象の最初の記録。
1688年、ジョセフ・デ・ラ・ベガ(セファルディ系ユダヤ人の商人)『混乱の中の混乱(コンフュシオン・デ・コンフュシオネス)』。スペイン語の対話体で、取引所の描写。「この事業は、ヨーロッパで最も公正で、最も不正である。最も高貴で、最も悪名高い。……ここでは、人は自分の持っていない株を売り、自分の持っていない金で買う」。世界で最初の、株式市場についての本。
VOCは200年続いた。最盛期に船150、社員5万、私兵1万。1799年、負債を抱えて解散した。株は、東インドの領土と共に、オランダ国家が引き受けた。