ジョン・ロー
概要
スコットランドの賭博師で、決闘で人を殺して逃げた先のフランスで財政を任された。紙幣と株式で立て直そうとして、史上有数のバブルを作る。
所属
フランス王国関わったできごと(1)
ミシシッピ会社のバブル1719年 · 仕掛けた本文
ジョン・ローは1671年4月21日、スコットランドのエディンバラに生まれた。父は金細工師で、当時の金細工師は金を預かり、貸し付けもする銀行家の役割を果たしていた。ローは幼いころから、お金の動く現場を見て育った。12歳ごろに父を亡くし、まとまった財産を受け継いだ。数学に秀でていたという。

20歳ごろ、ローはロンドンへ出た。背が高く、身なりのいい若者で、社交界に出入りし、賭博に明け暮れた。確率の計算に強く、勝つことも多かったが、大きく負けて財産の一部を手放したこともある。
1694年、ローはロンドンの広場で、エドワード・ウィルソンという男と決闘し、一突きで殺した。女性をめぐる争いだったといわれる。殺人の罪で死刑を言い渡されたが、のちに罪を軽くされる見込みが出た。ところが被害者の家族が訴えを続けたため、ローは翌年、牢を抜け出して大陸へ逃げた。脱獄を役人が黙認した、という噂もあった。

それから20年ほど、ローはヨーロッパの都市を渡り歩いた。アムステルダムでは、預金を受け入れて決済をする銀行の仕組みと、株式の売り買いを見た。賭博で稼ぎながら、彼は一つの考えを練り上げていった。国が貧しいのは、お金が足りないからだ。金や銀の量には限りがあり、それに縛られていては商売も産業も伸びない。土地や国の信用を裏付けに紙のお金を出し、出回るお金を増やせば、人は働き、物は売れ、国は豊かになる。
1705年、ローは故郷スコットランドの議会に、土地を担保に紙幣を出す銀行の案を出したが、退けられた。ほかの国々にも売り込んだが、受け入れられなかった。

機会が来たのはフランスだった。1715年にルイ14世が死んだとき、長い戦争の末にフランスの財政は破綻の寸前にあった。幼いルイ15世に代わって摂政となったオルレアン公フィリップは、ローの賭博仲間だった。1716年、ローは摂政の許しを得て、パリに銀行を開いた。紙幣を出し、いつでも金貨や銀貨と取り替えると約束した。紙幣は使い勝手がよく、信用を得て広まった。
1717年、ローは北アメリカのフランス領ルイジアナとの交易を独占する会社を作った。ミシシッピ会社と呼ばれる。翌年、銀行は国の王立銀行になった。会社はアジアやアフリカとの交易の会社も吸収し、税の徴収の請負まで手に入れた。そして国の借金を引き受け、国債を持つ人に会社の株と取り替えさせた。国の借金を、新大陸の富への期待に置き換える仕組みである。ミシシッピ川の河口近くにニューオーリンズの町が作られたのも、この頃である。
ルイジアナには金銀の山がある、という宣伝が流され、株は飛ぶように売れた(ミシシッピ会社のバブル)。1719年の間に株の値は何倍にもはね上がり、パリの取引所の通りには、身分を問わず人びとが押し寄せた。にわかに大金持ちになった人を指して、「ミリオネール(百万長者)」という言葉が使われはじめたのは、この頃だといわれる。王立銀行は、株を買うための紙幣を次々に刷った。1720年のはじめ、ローはカトリックに改宗したうえで、財務総監に任じられた。外国生まれで、新教徒から改宗したばかりで、殺人の罪で死刑を宣告された男が、フランスの財政の全権を握ったのである。

だが、ルイジアナから富は来なかった。湿地の多い土地に送り込まれた入植者は病に倒れ、利益は上がらなかった。賢い投資家たちは株を売り、紙幣を金や銀に替えはじめた。ローは紙幣の価値を守ろうと、金銀を持つことを禁じたり、株と紙幣の値を政令で下げたりしたが、かえって人びとの不信を招いた。1720年の夏、銀行に人が殺到し、押し合いで死者まで出た。年の暮れ、ローは身の危険を感じ、フランスから逃げ出した。
同じ1720年、ロンドンでも南海会社の株が暴騰し、崩れている(南海泡沫事件)。

その後のローは、ブリュッセル、ロンドン、ヴェネツィアを転々とし、ふたたび賭博で暮らした。財産のほとんどはフランスに残され、取り戻せなかった。1729年3月21日、ヴェネツィアで肺炎のため死んだ。57歳だった。
フランスでは、ローの失敗のあと、紙幣と銀行への不信が長く残り、国の財政の改革は進まなかった。それが18世紀末の財政の行き詰まりと革命の遠い背景になった、と見る歴史家もいる。一方で、お金は金や銀の量に縛られる必要はなく、信用で増やせる、というローの考えそのものは、いまの中央銀行と紙幣の仕組みを先取りしていたとも評価される。間違っていたのは考えよりも、やり方と速さだった、という見方である。『サピエンス全史』は、信用が崩れると国家の信用まで崩れる例としてこの泡を取り上げている(物語「『サピエンス全史』で読む歴史」)。