人物

鑑真

Jianzhen (Ganjin)
AD688年 – AD763年(享年75・推定)
唐重要度 3

概要

日本の求めに応じて渡海を五度失敗し、失明してから六度目で着いた。奈良に戒律を伝え、唐招提寺を開く。

所属

唐

関わったできごと(1)

鑑真の来日AD753年 · 渡海

本文

688年、唐の揚州に生まれた。揚州は長江と大運河が交わる商業の町で、海外の商人も行き交っていた。14歳で出家し、のちに洛陽と長安で学んで、20歳ほどで正式な僧になるための戒(具足戒)を受けた。故郷に戻ると、揚州の大明寺を拠点に、戒律を講じ、多くの人に戒を授けた。生涯に戒を授けた人は4万人を超えたとされる。寺を建て、仏像を造り、病人の救済にも当たった。江南で知らない者のない高僧だった。

鑑真の肖像
鑑真の肖像Wikimedia Commons OGAWA SEIYOU(1894-1960) a famous photographer in Japan} · Public domain

そのころの日本では、仏教は国家の保護を受けて広まっていたが、僧になる手続きが整っていなかった。正式な僧になるには、資格を持つ10人の僧の前で戒を受けなければならない。だが日本には、その資格を持つ僧がそろっていなかった。一方で、僧になれば税や労役を逃れられるため、勝手に僧を名乗る者が増えていた。朝廷は、戒を授けることのできる師を唐から招こうと考えた。

733年の遣唐使とともに唐へ渡った日本の僧、栄叡と普照は、10年近く師を探し、742年、揚州の鑑真を訪ねた。誰か日本へ行く者はいないか、と鑑真が弟子たちに尋ねると、皆が黙った。海は危なく、行けば生きて帰れない。鑑真は言った。これは仏法のためである、どうして命を惜しもうか。皆が行かないなら、私が行く。数えで55歳だった。

鑑真第六回渡海図(「東征伝絵巻」第4巻)
鑑真第六回渡海図(「東征伝絵巻」第4巻)Wikimedia Commons Public domain

それから渡海は五度失敗した。一度目は、同行を外された弟子が、海賊と通じているという偽りの密告をして船が出せなかった。二度目は、出航してすぐに嵐で船が壊れた。三度目は、鑑真が国を出るのを惜しんだ弟子たちの訴えで役所に止められ、四度目もまた弟子の手で阻まれた。748年の五度目は、嵐で14日間漂流し、はるか南の海南島に流れ着いた。

そこから揚州へ戻る長い旅の途中で、日本から迎えに来ていた栄叡が病死した。鑑真の最も信頼する弟子祥彦も死んだ。そしてこの頃、南方の暑さと疲れのなかで、鑑真は目を患い、視力を失ったとされる。どこまで見えなくなったのかについては、全く見えなかったわけではないとする説もある。

唐招提寺の鑑真廟
唐招提寺の鑑真廟Wikimedia Commons Saigen Jiro · CC0

753年、六度目の渡海に臨んだ。帰国する遣唐使の船に、唐の朝廷の許しを得ないまま、ひそかに乗り込んだ。4隻の船団のうち、大使藤原清河と、唐で官僚になっていた阿倍仲麻呂の乗った船は嵐で安南(いまのベトナム)まで流され、二人は日本へ帰れなかった。鑑真の乗った副使の船は、その年の暮れに薩摩の坊津の近くに着いた(鑑真の来日)。最初の決意から11年が過ぎていた。

翌754年、奈良の都に入った。大仏開眼から2年、東大寺の大仏の前に戒壇が築かれ、鑑真はここで聖武天皇上皇、光明皇太后、孝謙天皇をはじめ、400人あまりに戒を授けた。翌年には東大寺に常設の戒壇院が建てられ、のちに九州の観世音寺と東国の下野薬師寺にも戒壇が置かれた。僧が正式に僧になる手続きが、こうして日本に整った。

鑑真が開いた唐招提寺
鑑真が開いた唐招提寺Wikimedia Commons 663highland · CC BY 2.5

だが、朝廷の中には、従来のやり方にこだわる僧もいて、鑑真の立場は安泰ではなかった。やがて鑑真は戒を授ける役目から退き、759年、平城京の西の京に、戒律を学ぶ寺として唐招提寺を開いた。ここで弟子を育てながら、医薬の知識も伝えたとされる。

763年、唐招提寺で、西を向いて座ったまま死んだと伝えられる。数えで76歳。死の直前に、弟子の忍基が師の姿を写して作らせたとされる乾漆の坐像が、いまも唐招提寺に残っている。目を閉じ、静かに座る姿である。弟子の思託らの記録をもとに、779年、淡海三船が『唐大和上東征伝』を著し、その苦難を伝えた。

900年あまり後の1688年、松尾芭蕉が唐招提寺を訪ね、この像の前で「若葉して御目の雫ぬぐはばや」と詠んだ。見えない目に浮かぶ涙を、若葉で拭ってさしあげたい、という句である。1980年には、この像が揚州の大明寺へ「里帰り」し、多くの人が迎えた。

動画(1)

東の地へいざ征かん!唐僧 鑑真 〜命を懸けた仏教の灯火〜【56-1 COTEN RADIOショート 鑑真編1】歴史を面白く学ぶコテンラジオ_COTEN RADIO六度の渡海を追うシリーズの第1回
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