エルンスト・ルスカ
概要
ハイデルベルクの東洋学者の子。ミュンヘンとベルリンの工科大学で電気工学。学生のとき、磁界のコイルが電子の流れに対してレンズとして働くことを実験で確かめ、それを重ねれば倍率が上がることを示した。1931年、最初の装置。1933年、光学顕微鏡を超えた。ジーメンス社で量産型を作った。弟のヘルムートは医師で、この装置をウイルスの観察に使った最初の一人である。ノーベル物理学賞を受けたのは79歳、装置の完成から55年後だった。
関わったできごと(1)
電子顕微鏡AD1931年 · 作った本文
エルンスト・ルスカは1906年12月25日、ハイデルベルクに生まれた。父ユリウス・ルスカは東洋学者で、アラビアとイスラームの科学史、とくに錬金術の研究で知られた人だった。8世紀ごろの錬金術師ジャービル・イブン・ハイヤーンの著作を読み解いた学者の息子が、のちに物を見る新しい道具を作ることになる。
1925年、彼はミュンヘン工科大学で電気工学を学び始め、1927年にベルリン工科大学へ移った。そこでマックス・クノールの率いる高電圧の研究室に入った。研究室が取り組んでいたのは、電気の信号の波形を画面に描く陰極線オシログラフで、そのためには電子の流れ(電子線)を細く絞る必要があった。
1926年、ハンス・ブッシュという物理学者が、軸のまわりに対称な磁界は、電子に対してちょうどガラスのレンズが光に対してするのと同じように働く、と理論で示していた。ルスカは1928年から翌年にかけて、学生の課題としてこれを実験で確かめた。コイルの磁界で電子線を曲げ、焦点を結ばせる。測った値は理論とよく合った。
そこで彼は考えた。レンズなら重ねられる。重ねれば倍率が上がる。倍率が上がるなら、顕微鏡になる。1931年4月、ルスカとクノールは二段の磁界レンズを持つ装置で、金属の網の像を結ばせた(電子顕微鏡)。倍率はわずか十数倍で、とても実用にはならなかった。だが原理は示された。
同じころ、彼は電子にも波としての性質があり、その波長が光よりはるかに短いことを知った。波長が短ければ、原理の上では光の顕微鏡よりずっと細かいものまで見分けられるはずだ。後年の回想によれば、この装置を作り始めたとき、彼は電子を波として扱うド・ブロイの理論をまだ知らず、それを知って波長を計算したとき、その小ささに大いに勇気づけられたという。
1933年、ルスカは倍率約1万2000倍の装置を組み上げ、ついに光の顕微鏡で見分けられる限界を超えた。27歳だった。しかし大学には、装置を作り続ける資金がなかった。彼はテレビの会社で働いたのち、1937年に電機会社ジーメンスへ移り、電子光学の研究所を作って量産型の開発にあたった。ともに開発にあたったのは、技師のボード・フォン・ボリースで、ルスカの妹の夫でもあった。1939年、ジーメンス製の最初の市販の電子顕微鏡が出荷された。光の代わりに電子の流れを、ガラスの代わりに磁界のレンズを使い、ごく薄く切った試料を通り抜けた電子で像を結ばせる。仕組みの骨格は、学生時代の実験のままだった。
この装置を生物と医学に向けたのが、2歳下の弟ヘルムートだった。ベルリンのシャリテ病院の医師で、兄の装置で細菌を写し、1938年から39年にかけて、ウイルスの姿を初めてとらえた研究者の一人になった。タバコの葉に病気を起こすウイルスや、天然痘の仲間のウイルスである。天然痘は、1980年の天然痘の根絶宣言まで人類を苦しめ続ける。半世紀前から存在が推測されながら、誰も見たことのなかったものだった。ヘルムートはその後、ウイルスを形で分類する仕事の基礎を築いた。
戦争中、電子顕微鏡は軍事にかかわる研究にも使われた。ルスカは研究に従事する者として兵役を免れている。この時期の彼の立場について詳しく調べた研究は多くない。戦争の末期、ベルリンの研究施設は空襲で大きな被害を受けた。
戦後、彼はジーメンスで開発を続け、のちにベルリン工科大学で教えながら、マックス・プランク協会のフリッツ・ハーバー研究所で電子顕微鏡の部門を率いた。分解能は年々上がり、原子の並びにまで迫っていった。
1986年10月、ルスカにノーベル物理学賞が贈られた。79歳、最初の装置から55年がたっていた。賞の残り半分は、走査型トンネル顕微鏡を作ったビーニッヒとローラーに贈られた。顕微鏡の二つの世代が、同じ年にたたえられたのである。
ただ、喜びを分かち合いたい人々の多くは、もういなかった。共同研究者のクノールは1969年に、弟のヘルムートは1973年に死んでいた。ノーベル賞は死者には贈られない。受賞の講演で、ルスカは初期の協力者たちの名をていねいに挙げた。
電子顕微鏡には大きな弱点があった。中を真空にし、電子を浴びせるため、生きたものはそのままでは見られない。この壁にいちばん近づいたのが、試料を急速に凍らせて生きていたときに近い姿のまま見るクライオ電子顕微鏡で、2017年のノーベル化学賞はこの方法に贈られた。ルスカはそれを見ることなく、1988年5月27日、まだ壁(ベルリンの壁の建設)に囲まれていた西ベルリンで死んだ。81歳だった。
いま電子顕微鏡は、細胞やウイルスやたんぱく質を調べる生物学から、金属や半導体の断面を見る材料科学、半導体工場の検査、地質学や考古学、犯罪捜査の微細な証拠の分析まで、あらゆるところにある。新しい病原体が現れたとき、最初に世界に示されるその姿も、多くはこの装置で撮られたものだ。電子の波長は光よりはるかに短い。学生時代に彼が確かめたその一点から、人間に見えるものの範囲が変わった。