人物

エンヘドゥアンナ

Enheduanna
BC2285年頃 – BC2250年頃(享年35・推定)
アッカド重要度 4

概要

名前の分かる世界最古の著述家。サルゴンの娘で、ウルの月神の大神官を務め、自分の名で讃歌を書いた。

関わったできごと(1)

アッカドのサルゴンBC2334年頃 · 娘。大神官

本文

紀元前24世紀、メソポタミアの南部には、シュメール人の都市国家が並び、それぞれが自分の守り神を祀って争っていた。そこへ北のアッカドから現れたサルゴンが、都市を次々に征服し、ペルシア湾から地中海の近くまでを一人の王のもとにまとめた(アッカドのサルゴン)。記録に残る最初の帝国とされる。エンヘドゥアンナは、このサルゴンの娘である。

エンヘドゥアンナの円盤。礫拝する女司祭と献酒する男性像が刻まれる(レナード・ウーリー発見)
エンヘドゥアンナの円盤。礫拝する女司祭と献酒する男性像が刻まれる(レナード・ウーリー発見)Wikimedia Commons Mefman00 · CC BY 4.0

彼女はアッカド人だったが、父はシュメールの古い都市ウルで、月の神ナンナに仕える最高の女性神官「エン」の地位に娘を就けた。ウルはシュメールでも格の高い都市で、月の神の神殿はその中心だった。征服者の娘が、征服された土地の最も尊い神殿の長になる。神の家族に王の家族を加えることで、シュメールの人々に新しい支配を受け入れさせる、政治の手だったと考えられている。エンヘドゥアンナという名も、生まれたときの名ではなく、天の飾りであるエン、といった意味の、神官としての名だったとみられる。以後、アッカドやその後の王たちも、娘をこの地位に就けることを習わしにした。

1920年代、イギリスの考古学者レナード・ウーリーがウルを発掘し、エン神官が住んだ建物の跡から、割れた円い石の浮き彫りを見つけた。そこには、祭壇の前で供え物をする神官たちの姿と、その中心に立つ一人の女性が刻まれ、裏には、サルゴンの娘で月の神の妻であるエンヘドゥアンナ、という銘があった。彼女の実在を示す同時代の証拠である。

アッカドのサルゴン王の娘エンヘドゥアンナ
アッカドのサルゴン王の娘エンヘドゥアンナWikimedia Commons Mefman00 · CC0

エンヘドゥアンナの名が特別なのは、彼女が書いた、とされる作品が残っていることにある。最も知られるのは、愛と戦いの女神イナンナをたたえる長い讃歌で、その中で彼女は、私、エンヘドゥアンナは、と一人称で語る。それまでの楔形文字の文書は、契約や記録、王の碑文がほとんどで、書いた人の名を記すことはなかった(楔形文字の成立)。自分の名を記し、自分の思いを語る書き手として、エンヘドゥアンナは名前の分かる世界で最も古い著述家と呼ばれている。

讃歌の中には、彼女自身の苦難が描かれている。ルガル・アネという人物が反乱を起こしてウルを奪い、エンヘドゥアンナは神殿から追われて荒れ地をさまよった。月の神は助けてくれない。彼女はイナンナに、自分のために立ち上がってほしいと訴え、最後には元の地位に戻されたことが語られる。この反乱は、サルゴンの孫で彼女の甥にあたるナラム・シンの時代に、シュメールの諸都市が一斉に背いた大きな反乱と関わるのではないかと考えられている。

シュメールの粘土板。詩『イナンナとエビフ』を記す
シュメールの粘土板。詩『イナンナとエビフ』を記すWikimedia Commons Daderot · CC0

もう一つ、彼女の名で伝わるのが、シュメールの各地の神殿をたたえる40余りの短い讃歌を集めたものである。その最後には、この書板をまとめたのはエンヘドゥアンナである、という一文が添えられている。北のアッカドと南のシュメールの神々を一つの体系の中に並べ、アッカドの女神イシュタルとシュメールの女神イナンナを重ね合わせていくことに、彼女の作品が役割を果たしたとする見方もある。

ただ、これらの作品は、彼女の時代の書板そのものとしては残っていない。見つかっているのは、それから数百年後の紀元前2千年紀の前半、古バビロニア時代に、ニップルやウルの書記の学校で書き写された写本である。シュメール語はそのころすでに話し言葉としては使われなくなっていたが、学問と祭りの言葉として学ばれ、彼女の讃歌はその教材として、何十枚もの粘土板に写され続けた。このため、作品が本当に彼女自身の手になるものか、後の時代に彼女の名に託して書かれたものかについては、研究者の間で議論がある。

シュメール文学『イナンナの称揚』を書写するバビロニアの書記たち
シュメール文学『イナンナの称揚』を書写するバビロニアの書記たちWikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

それでも、古代の人々が、これらの歌の作者を一人の女性神官として記憶し、その名とともに写し継いだことは確かである。『ギルガメシュ叙事詩』が今に伝わる形にまとめられるより何百年も前に、自分の名を名乗って神に語りかけた一人の書き手がいた。19世紀以来の解読によって、その名は4000年あまりの時を経て、再び読まれるようになった。

この項目は誰でも直せます。編集する編集履歴
BC2285年の世界を地図で見る国境・できごと・生きている人が、その年のものに入れ替わります歴史データベースとは? →