デヴィッド・グレーバー
概要
マダガスカルを調べた人類学者で、借金の5000年を書き、ウォール街占拠の運動に加わった。59歳で急死し、最後の本は共著者が出した。
所属
アメリカ合衆国本文
1961年、ニューヨークの労働者階級の家に生まれた。父ケネスは若いころスペイン内戦で国際旅団に加わって共和派のために戦い、のちには印刷工として働いた。母ルースは衣料工場の労働者で、労働組合が上演してブロードウェイで評判をとったミュージカルに主役で出たことがある。家には左翼の本があふれ、政治の議論が日常だった。彼はのちに、自分は生まれつきの急進派だと言っている。

10代のころ、趣味で古代マヤの文字の解読に取り組んだ。当時はまだ解読が進んでいない文字で、少年の書いたノートが専門の研究者の目に留まった。その縁で奨学金を得て、名門の私立高校に進んだ。大学ではニューヨーク州立大学で人類学を学び、シカゴ大学の大学院に進んで、人類学者マーシャル・サーリンズのもとで学んだ。
博士論文のための調査は、インド洋の島マダガスカルの、かつてメリナ王国の中心だった高地で行った(メリナ王国のマダガスカル統一)。1989年から2年近く、その村に住み込んだ。村には、かつて王国の貴族だった家の子孫と、奴隷だった家の子孫が暮らしていた。奴隷制が廃止されて100年近くたっても、人々は互いの家筋を知っていて、それが結婚や土地の争いに影を落としていた。国家の力がほとんど届かない村で、人々はそれでも自分たちで秩序を作って暮らしていた。この体験が、国家なしに人はどう生きられるか、という彼の生涯の関心の土台になった。
1998年、イェール大学の人類学部の助教授になった。だが2005年、大学は契約を更新しないと決めた。学問の業績は申し分なかったため、多くの研究者は、組合運動を支援した大学院生をかばったことや、アナキストとしての政治活動が理由ではないかと考え、署名を集めて抗議した。大学は理由を明らかにしなかった。アメリカの大学で職を得られなくなった彼は、ロンドンへ移り、ゴールドスミス・カレッジ、のちにロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで教えた。
学者であると同時に、彼は運動の人だった。グローバル化に反対する運動に加わり、指導者を置かず、全員の話し合いで物事を決める直接民主主義の実践にこだわった。
2011年、『負債論』を出した(物語「『負債論』で読む歴史」)。経済学の教科書は、昔の人々は物々交換をしていて、その不便を解消するためにお金が生まれた、と説明する。だが人類学者が世界中を探しても、物々交換を基本にした社会は見つかっていない。実際には、まず貸し借り、つまり負債があり、お金はその記録として生まれた、と彼は論じた。メソポタミアの王たちが周期的に借金を帳消しにしてきたことから、近代の債務危機まで、5000年の歴史をたどり、借りたものは返さなければならないという道徳がどのように作られ、人を縛ってきたかを問うた。世界金融危機の後で借金に苦しむ人々の間で、この本は広く読まれた。
同じ2011年の秋、ニューヨークのウォール街の近くの公園を占拠する運動が始まった。彼は準備の段階から集会に加わっていた。「われわれは99%だ」という標語は、最も裕福な1%とそれ以外という対比として運動の合言葉になったが、その成立に彼が関わったとされる。本人は、自分が作ったのではなく、皆で作った言葉だと言っている。
2013年には、雑誌に短い文章を書いた。世の中には、やっている本人さえ無意味だと感じている仕事があふれているのではないか。文章は大きな反響を呼び、世界中から自分の仕事も無意味だという告白が寄せられた。それをもとに2018年、『ブルシット・ジョブ』を出した。技術が進んでも労働時間が減らないのはなぜか、という問いを投げかけた本である。
最後の大仕事は、考古学者デヴィッド・ウェングロウとの共著だった。農業が始まると人々は定住し、やがて国家と不平等が生まれた、という人類史の通説に、二人は挑んだ。最新の考古学の発見を集め、狩猟採集民も季節ごとに大規模な集団を作ったり解いたりしていたこと、国家を持たない大きな都市もあったことを示し、人間は昔からさまざまな社会の形を意識して選び、試してきたのだと論じた。二人はおよそ10年かけて原稿を書いた。
2020年8月、原稿を書き上げた。その数週間後の9月2日、休暇で訪れていたヴェネツィアの病院で、急な病で死んだ。59歳だった。死因は、膵臓の急な壊死とされる。本は翌2021年、『万物の黎明』として出版された(物語「『万物の黎明』で読む歴史」)。
彼の本には、専門家から事実の扱いが粗いという批判も寄せられた。だが、当たり前とされている前提を疑い、別の可能性を示すことにこそ人類学の役割がある、というのが彼の一貫した態度だった。人は本当はもっと自由になれるはずだ、という問いを、彼は最後まで手放さなかった。